episode37「Origin Of Rivalry」
試合を終え、青蘭は黙ったまま控室へ戻っていく。
特に何も感慨はない。エルピス・サディアスとの試合も、青蘭にとっては退屈な試合だった。完全なワンサイドゲームで、予選の時から何も変わらないとさえ思えた。
この程度の試合が準決勝か。そう考えるとため息の一つでもつきたくなる程だった。
「おい! 待て、話が違うぞ!」
青蘭が廊下を歩いていると、正面から一人の男が現れて怒声を上げる。
見覚えのある顔だ。確か名前はケヴィン・サディアスとか言ったか。準決勝の相手である、エルピスの父親だとか言う男だ。
恰幅が良く、かなり整った身なりをしている。見るからに貴族然とした出で立ちだ。
「何の話だ?」
「とぼけるな! エルピスとの試合は、お前が負ける話だっただろうが!」
「承諾した覚えはない」
青蘭が吐き捨てるようにそう言うと、ケヴィンはあからさまに顔を歪めて青蘭の胸ぐらを掴む。
「東の猿風情が良い気になるなよ……!? ひっ捕らえられて売り飛ばされたいのか!?」
「……この国の人間は弱い。お前達の基準で集めた兵士が何人束になろうと俺は捕らえられない」
「何だとォ……ッ!?」
「俺は武力を持たない人間とは戦わないが、降りかかる火の粉なら全て払う。お前は俺に”降りかかる火の粉”になるつもりか?」
ギロリと青蘭が睨みつけると、ケヴィンは気圧されて怯んでしまう。
そのまま青蘭の胸ぐらを放し、ケヴィンは数歩退いた。
「痛い目に遭うぞ……」
「遭わせてみろ。せめて十人は連れてこい」
平然と言い捨て、青蘭は口惜しそうに歯を軋ませるケヴィンの横を通り過ぎていく。
その背中を、ケヴィンはジッと睨み続けていた。
***
決勝戦を前にして、チリーは控室で軽くストレッチを始めていた。
そんな姿を見て、ニシルは目を丸くする。
「珍しいね。準備運動なんて」
「ああ。あの痩せっぽち、舐めてかかると返り討ちに遭いそうだからな」
「そんなに強かったの?」
「……俺が見に行った頃には試合が終わってやがった。相手になんなかったんだろうな。つまらなさそうな顔してたぜ」
結局チリーは、あの青蘭という男の試合を一度も見ていない。それは控室で待機しているニシルも同じだ。
そもそもニシルはこのコロッセオに入る権利を持っていない。勝手に忍び込んでチリーの控室で息を潜めている状態だ。出来れば試合を観戦してチリーに少しでも情報を渡せれば良かったのだが、正規の観客として入場するにはそれなりに金が必要だった。
「準優勝じゃ賞金にはなンねェからな。楽勝かと思ったが、とんだ伏兵が潜んでやがった」
そうは言いつつも、チリーは口元に笑みを浮かべている。
これまでの試合が退屈だったのは、チリーも青蘭も同じだったのだろう。
「まあ、負けたら負けたでまた野盗狩りなりお手伝いなりで稼げばいいよ。気負わずに楽しんでおいで」
「……だな。んじゃ、お言葉に甘えて楽しませてもらうとすっか」
一通り準備運動を終える頃には、決勝戦の時間が迫ってきていた。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい。いい報告待ってるよ」
背を向けてニシルに手を振り、チリーは控室を後にした。
***
その頃、コロッセオの運営本部は非常にざわついていた。
コロッセオで行われるトーナメントで優勝するのは、基本的には”国の有力者の関係者”だ。クレミー・ガフですら、例外ではない。
クレミーが野盗であることに変わりはないが、彼はトーナメントを盛り上げるために貴族が雇った人間なのだ。
トーナメントの優勝者には多額の賞金が支払われるが、八百長が行われる代わりにその一部が貴族に返還される仕組みになっている。
腕自慢が力を競い合っているように見えて、内部で行われているのは金が物を言う薄汚い権力争いだ。賭けのレートも、一部の貴族が調整しているのである。
しかし今回のトーナメントは、二つの大番狂わせがあった。
まず、青蘭だ。
彼はケヴィン・サディアスの交渉を無視し、本来予定されていた優勝者であるエルピス・サディアスを、言い訳が聞かない程徹底的に叩きのめした。
その上、飛び入り参加のルベル・
彼らの参入が、トーナメントにおける”多くの予定”を完全に崩壊させてしまったのである。
もうどうしようもないレベルでめちゃくちゃになったこのトーナメントに、運営者達が頭を抱えていると、一人の男が部屋に駆け込んでくる。
ケヴィン・サディアスだ。
「エクストラマッチを組むぞ!」
ケヴィンの男に、運営の一人が怪訝そうな顔を見せる。
「エクストラマッチ……ですか?」
「そうだ! あのまま東の猿とどこの馬の骨ともわからんガキに優勝されてたまるか!」
「ですが、一体何をどうするというんです……?」
「俺に考えがある。必要なものは、もう運ばせている。お前達はただアレを受け入れ、会場に解き放てばいい」
アレ、と言われて運営者達は一度首を傾げていた。しかし、その内の一人がその正体に気がついて即座に青ざめる。
「な、なるほど……確かにアレなら……」
「元々死者も負傷者も出ているトーナメントだ。観客も血を望んでいる。一部の連中には補填が必要になるだろうが……。このままガキ共を勝たせるよりは余程マシだ!」
そう言ってケヴィンは薄ら笑いを浮かべる。
「決勝戦の参加者が全員事故死となれば、賞金はどこにも行くまい」
***
トーナメントの裏にある謀略を知りもしないまま、チリーと青蘭は試合会場で向き合った。
青蘭は麻のズボン以外は何も身につけていない。細く引き締まった身体に秘められた筋力は、間近に見てようやく理解出来た。
彼と向き合った時、チリーは言いようのない緊張感を覚えた。明らかにこれまでの対戦相手とは違う、実力のある人物だと雰囲気だけでわかる。
直感力に優れたチリーだからこそ、青蘭の実力をある程度正確に察することが出来た。
そしてソレは、チリーと向き合う青蘭も同じだった。
「……青蘭っつったな。まさかお前みてーなのと
チリーがそう言うと、青蘭は薄く笑いながら身構える。
「ルベル・
右手を前に構え、左手を腹部に添える。やや中腰になって身構えた青蘭の殺気に、チリーは再び武者震いした。
武術の構えを取る青蘭に対して、チリーが取ったのは簡単なファイティングポーズだ。正面を向いたまま、両手を僅かに構えている。
「……し、試合開始ッ!」
形だけの審判が開始を告げても、チリーと青蘭は互いに互いの出方を伺っていた。
これまでの試合では、二人共開始と同時に猛攻をしかけて即座に勝負を決めていた。そんな二人が、身構えたまま互いの出方を伺っている。その緊張感に、観客は息を呑んだ。
(ケッ……やりにくいな。嫌な予感ばっか見えてきやがる)
青蘭に隙はほとんどない。どこからせめても、的確なカウンターが飛んでくるだろう。
だがこのまま見合っていても埒が明かない。どちらかが攻めに転じなければ、退屈した観客から野次が飛び始めかねない。
軽く舌打ちしながら、先に攻撃をしかけたのはチリーだ。
素早く距離を詰め、青蘭に右拳で殴りかかる。
チリーに武術の心得はない。大振りなその拳の軌道は、青蘭には簡単に読めてしまう。
しかしその速度たるや、常人のソレではない。
極めて高い身体能力は、恐らく天性のものだろう。
「面白い……!」
チリーの拳を右腕で受け止めて払う。そして即座に青蘭の左拳がチリーの腹部にめり込んだ。
「かッ……!」
「天性の獣と俺達が渡り合うための力……それが”武術”だ」
このトーナメントが始まって以来、チリーは始めて相手からダメージを受けた。
めり込んだ左拳は、内臓を破壊せんばかりの威力だ。血反吐をぶちまきそうになりながらも、チリーは持ちこたえて受け身を取る。
「俺達東国人は、体格の面でお前達に劣る。それは永遠に変えられない事実だ」
東国に住む者達は、大陸に住む人間に比べて全体的に小柄だ。東国における成人男性の体格は、時に大陸では成人女性と同等であることさえある。
その力の差を埋めるための修練。それが武術だ。
「だから俺達は武を磨く。お前達と渡り合うために」
再び身構えながら語る青蘭を睨みつけ、チリーは口の中から血を吐き捨てる。
「御高説どーも。タメになったぜ」
「それは良かったな。ではもう一度教えてやる。来い」
その言葉に、挑発の色はなかった。
次の手でも確実にカウンターを取れるという圧倒的な自信から来るものだ。
「出待ちかよ。お前から来ても良いんだぜ?」
「そうか。ではそうさせてもらう」
次の瞬間、青蘭はチリーとの距離を詰めていた。
(――――速ェッ!)
チリーの身体のど真ん中。つまるところ、正中線……青蘭はそれを的確に狙う。
一手。
二手。
三手。
青蘭の連撃が、チリーの正中線に立て続けに打ち出される。一、二手目は身を引いてかわしたものの、更に踏み込んだ青蘭の三手目の拳は避け切れずに胸部で受けてしまう。
ふっ飛ばされかけたのをどうにか持ちこたえ、チリーは反撃を試みた。
しかし乱暴に振り回した拳は空を切り、カウンター気味に顎に青蘭の右拳によるアッパーが繰り出された。
「――ッ!?」
そのアッパーを、チリーは左手でどうにか受け止める。その咄嗟の防御に、青蘭は一瞬目を剥く。
すぐに青蘭は拳を引いて態勢を立て直そうとしたが、チリーの左手が強引に青蘭の拳を握りしめ、捕らえていた。
その驚異的な握力に青蘭が戸惑っている内に、チリーは青蘭の左手を右手で抑え込み、そのまま青蘭の頭部に思い切り頭突きを喰らわせた。
「ぐッ……!」
いくら身体を鍛えても、身体の構造上、人間は頭部へのダメージに弱い。しかしそれは本来、頭突きを喰らわせたチリーも同じハズだ。
だがチリーはそのまま青蘭の両腕を掴んだまま、青蘭の腹部に膝蹴りを叩き込む。
「やっぱりなァ……ッ!」
頭部から僅かに血を垂らしつつ、チリーが笑みを浮かべる。
「”武術”とかいう形式張ったモンのにこだわってるテメエは、予測の外の攻撃にゃ対応し切れねえらしいなッ!」
事実、青蘭の戦い方は相手の動きを読んで反撃を行う”カウンター型”の闘い方だ。
予測とは常に自身の想定する範囲で行うものだ。攻撃をそのまま受けながら強引に相手の動きを止め、自身へのダメージを考慮せず頭突きで反撃する闘い方は、青蘭の想定の中にはなかったのである。
青蘭がこれまでの闘いを制してこれたのは、これまでの相手が全員予測の範囲内の動きしかしてこなかったからだ。
自身を傷つけてでも強引に攻めてくる人間との闘いを、青蘭は知らなかった。
「貴様ッ……!」
しかしそのまま終わるような青蘭ではない。
その場で踏ん張って足払いをしかけ、チリーが態勢を崩しかけた隙をついて強引にチリーの両手を振り払う。そして即座に、半ば慌てるようにしてチリーから距離を取る。
「……貴様を”天性の獣”と称したが……訂正させてもらおう」
「あ?」
「貴様はただの獣だ! 荒れ狂うその獣性……俺が制する!」
「ンだよ……口のわりに楽しそうな顔してンじゃねえか!」
青蘭自身は気づいていないが、その口元には笑みが浮かんでいた。
退屈でしかないと感じていたこのコロッセオでの闘いの中、未知なる好敵手との遭遇は青蘭にとっても心躍る体験となったのだ。
そして一進一退のその闘いに、多くの観客達から歓声が上がる。
既に彼らのせいで賭けに負けた貴族達は大半がコロッセオから退場している。この場に残っているほとんどの人間は、純粋に試合の観戦を望む者と、チリーや青蘭に賭けている酔狂な者達だけだった。
「仕切り直しと行こうじゃねえか! 青蘭ッ!」
「どこからでも来い! ルベルッ!」
チリーと青蘭が互いに構え直した――――その時だった。
会場から控室に続く通路から、突然悲鳴が上がる。慌てて二人がそこに視線を向けると、通路の向こう側から顔のひしゃげた男の死体が会場の中に投げ込まれた。
「なッ……!?」
突然のことに息を呑む二人。
そして通路の中から現れたのは、体長三メートル程もある巨大な熊だった。
「なんだこいつ……どっから入って来やがったんだ!?」
真っ黒な体毛のその熊は、顔の辺りに大きな爪痕が残っている。獰猛かつ凶暴なその獣は、腹でも減っているのか、チリー達を見て咆哮した。
「うわあああああ!?」
熊が乱入するなどという話は、観客の”ほとんど”が聞かされていない。悲鳴を上げた観客達は、一目散に出口に向かって駆け出していく。
「ここでエクストラマッチの開始だァーッ! 飛び入り参加の謎の少年、ルベル・
「ハァ!? 聞いてねえぞふざけんなッ!」
罵声を浴びせるチリーだったが、審判はそれだけ叫ぶと一目散にその場を去っていく。
会場には、チリーと青蘭、そしてトロルベアだけが残された。
***
その光景を、観客席から悠然と眺める男がいた。
ケヴィン・サディアスと、エルピス・サディアスだ。
「親父、本当に大丈夫なのか? あんなの放っちまって……」
不安げに問う息子のエルピスに、ケヴィンは鼻を鳴らして応える。
「最後は弓兵に毒矢を射たせる準備をしてある。我々はトロルベアが生意気なガキ共を蹂躙するのを、ここで眺めておけば良いのだ」
「なるほど……それもそうだな! よし、あの猿を喰っちまえトロルベア!」
ケヴィンの言葉を聞いて、エルピスは心底愉快そうに手を叩くとトロルベアの応援をし始めた。
トロルベアは、コラドニアシティの街道沿いにある魔獣の森に棲んでいた大型の熊で、トロルベアとは近隣住民が付けた俗称だ。
クレミー一派が魔獣の森に住み着く前、あの森が魔獣の森と呼ばれていたのはこの化け熊がヌシとして棲んでいたからなのである。
それをケヴィンの私兵達が罠を仕掛け、数十人がかりで捕らえたのがこのトロルベアだ。
ケヴィンは元々自身の権力や力の象徴としてトロルベアを捕らえ、飼育させていた。そのトロルベアを今、チリーと青蘭を抹殺するために会場に解き放ったのだ。
「お前にくれてやる最後の餌だトロルベア……! あのクソガキ共をぐちゃぐちゃのミンチにして貪り食え!」
ケヴィンの言葉に呼応するように、会場でトロルベアが再び咆哮した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます