episode30「I am The Red Stone」

 魔力は、血液の中に宿るとされている。


 エリクシアンの体内では、血と共に魔力が循環しているのだ。血液に含まれる魔力の濃度は、エリクシアンごとに個人差がある。大抵は飲んだエリクサーの濃度が関係しており、魔力濃度の高いエリクサーを飲んだ者程強力な魔力を持つエリクシアンとなる。


 これらの情報はエリクサーを生成し、実験を繰り返しながらエリクシアンを生み出し続けたゲルビア帝国の研究所のレポートにまとめられている。


 当然チリーは知る由もなかったが、チリーは感覚的に理解している。魔力は血と共に体内を循環していること。そして多量の失血は、普通の人間同様エリクシアンにとっても致命傷となり得ることを。


 それ故に、実際に目の当たりにすればその異常性に厭でも気がつく。チリーの体内にあった血が、魔力が、身体を離れて動き始めている。そしてこれは、チリーの能力とは違う。


 動き始めた血の塊を見つめながら、チリーは一度意識を手放した。




***



 次にチリーが目を覚ました時、そこは上も下もない真っ黒な空間だった。


「…………」


 本当に”黒”以外には何もない。身体を見れば、いつの間にかウサギから元の姿に戻っていた。


「……死んだ……のか……?」


 状況を考えれば、むしろそう考えるのが自然かも知れない。あれだけの量の血を失えば、エリクシアンと言えど致命傷だ。そのまま死んでいても何らおかしくはない。


 死後、生き物がどうなるのかわからない以上、これも仮定でしかない。結局のところ、現状については全くわからなかった。


 ひとまず状況を調べるために、チリーはその場から一歩踏み出す。そのまま数歩歩いたが、景色には何一つ変化がない。


 そのまま歩いていると、不意に黒の中に馴染まない真っ赤な人影が見えた。


 驚いてソレを凝視していると、真っ赤な人影はゆっくりとこちらへ歩いてくる。


 まるで血のような赤だ。それが、チリーと同じくらいの背丈の人間の形を象って歩いている。


 チリーはすぐに気づく。


 その赤い人影が、先程自分の血液が形成した姿と酷似していることに。


「テメエはなんなんだ? ここはどこだ?」


 チリーが問いかけると、赤い人影の口元が黒く裂ける。それが笑っているように見えて、チリーはひどく不愉快だった。


「壊せ」

「……あ?」


 赤い人影の言葉に、チリーは顔をしかめる。


「全てを壊せ。それがお前の責務だ」


 赤い人影は、どこか笑っているような声音でそう続けた。


「先に質問に答えろ。お前はなんだ? ここはどこだ?」


 苛立ちながらチリーが質問を繰り返すと、赤い人影はゆっくりと答える。


「俺は、”賢者の石”」


 赤い人影のその言葉に、チリーは驚愕して目を見開いた。


「賢者の石……だと……!?」

「正確にはその力の一部。わかっているだろう? お前の身体に流れている魔力が賢者の石の魔力だと」


 チリーがエリクシアンになったのは、賢者の石の力に触れたからだ。あの時、賢者の石の力はチリーの身体の中に流れ込んでいた。その力が今、意志を持って直接チリーと対峙している。


 あまりの状況にチリーは一度言葉を失った。


 だがすぐに、チリーは赤い人影に詰め寄る。


「なら賢者の石はどこにある!? お前がその力の一部なら知ってんじゃねえのか!?」

「知るかよ。もう何十年もお前の中にいたんだぜ? 本体の位置なんて知らねえよ」

「けっ、使えねえな。『俺は賢者の石』、だなんてデケェ口叩いたわりには結局ただの残り滓じゃねえかよ」

「随分な物言いだな。その残り滓のおかげで生き延びていた癖に」

「ッ……!」


 最初にチリーが”赤き破壊神”と呼ばれるきっかけとなったあの日、チリーは致命傷を負っていた。あの時、この賢者の石の力がなければ死んでいたのは間違いない。それは無論、サイラスとの戦いの時も同じだ。


 そもそもチリーがエリクシアンとして長い時を生きていられるのも、この賢者の石の力によるものだ。


「まあいい。今回も助けてやるよ」

「あ?」


 チリーが短く怒声を上げると、赤い人影はククッと音だけで笑う。


「ここでジッとしてな。今は聖杯の邪魔も入らない。辺り一体を破壊し尽くしておいてやるよ」

「おい! 里の連中は関係ねえだろ! ぶっ壊すならゲルビアだけにしろ!」


 思わず胸ぐらをつかもうと手を伸ばすチリーだったが、返ってきたのはぬるりとした血液のような感触だった。


「俺は全てを破壊するために生まれた。壊せるだけ壊すのは俺の責務だ。そして……器になったお前の責務でもあるんだぜ……”赤き破壊神”」


 全てを破壊するために生まれた。今、赤い人影は――――賢者の石は確かにそう言った。


 チリーは今まで、賢者の石自体はただの魔力の塊だと考えていた。

 膨大過ぎて制御が出来ず、暴れ狂うだけの濁流のようなものだと。

 だが、この人影の言っていることが本当なら――――


(賢者の石は、最初から破壊のために作られていた……!?)


「……ふざけんなよ……ッ!」


 赤き崩壊レッドブレイクダウンは、ただの災厄ではなく……何らかの意志によって起こされた破壊と殺戮だったのかも知れない。


 そう考えると、一気に全身の血が沸騰するかのような怒りがチリーを支配した。即座に目の前の人影を殴りつけたが、べちゃりと音を立てて頭の部分が崩れるだけだった。


 すぐに頭部の形状を取り戻し、人影はもう一度口元を黒く三日月状に裂いた。今度ははっきりとわかる。こいつは、笑っている。


「おいおいはしゃぐなよ恥ずかしいな」

「ンだと!?」

赤き崩壊レッドブレイクダウンが自分のせいじゃなくなりそうで嬉しいのか?」

「テメエッ……!!」


 胸中を少しだけ言い当てられ、チリーは歯噛みする。

 その感情は、怒りの中に紛れるようにして確かに湧き上がっていた。


 赤き崩壊レッドブレイクダウンは、賢者の石を起動したチリー達によって起こされたものではなく、賢者の石が破壊を目的に起こした事件なのだとしたら……?

 ルベル・Cチリー・ガーネットの赤く汚れた人生は、綺麗に洗い落とされるかも知れなかった。


 贖罪の人生は、幸福を追求する明るい人生へと変わる。

 あの純粋で無垢で、お人好しの少女と共に歩く未来が――――正当化される。


 指摘されたことで、その感覚はチリーの中で強く強く湧き上がる。しかし同時に、それを許さない自分がいた。


 賢者の石を起動したのはチリー達だ。起動さえしなければ、少なくともあの時は赤き崩壊レッドブレイクダウンを引き起こさずにすんでいる。

 チリーに罪があることに変わりはない。あの日失われた無数の命は、チリーのせいで失われたのだから。


「ッ……」


 そう考えると、胃の中のものを全て吐き出してしまいそうになってうずくまる。


(俺は……何を考えてンだ……)


 この生きているのか死んでいるのかもわからない世界で、感覚だけが吐き気を訴えた。


(こいつに全部なすりつけちまおうなんて……最悪じゃねえか……)


「ああ、自分でわかってくれたようで何よりだ赤き破壊神。アレはお前が引き起こしたモンだよ」


 人影が、もう一度音だけで笑った。


「壊そうぜ。それこそが俺達の責務だ」


 うずくまったチリーの肩に、そっと赤い手が置かれる。チリーはそれを振り払わず、低くくぐもった声で、問いかけた。


「……何のためだ……?」


 チリーの問いに、人影は首を傾げる。


「何のために壊すのかって聞いてンだよ」


 チリーが下から睨めつけると、人影はチリーの肩から手を離す。


「……さあ? 俺はそう作られたからそうするだけだ。道具だからな」


 道具が、その在り方を疑問に思うことはない。ただそのように作られ、そのように役目を果たすだけだ。


 ここにいる人影は、己を賢者の石だと主張する存在は、ただそのように在るだけなのだ。


 人語を解すせいで誤解してしまいそうになるが、この人影はただの道具に過ぎない。破壊に意味も、理由もない。


「……そうかよ」


 そう呟いてから、チリーは力強く手を伸ばす。

 赤い人影の首をつかもうとした手は、ぬらりとした感覚と共に人影の中に入り込んでいく。掴んだような感触はない。


「だったらテメエは俺が使う」

「……ほう?」

「お前がただの道具で、その力に理由も意味もねえならッ!」


 そうだ。

 この旅の中で、チリーは誓った。


 力を破壊のために使わない。


 この力は、”守るために使う力”であると。


「俺に従え賢者の石ッ! 勝手に人の身体に間借りしてンだ……家賃ぐれえ払え!」

「……!?」


 そこで、人影は異変に気づく。


 自身の赤い身体が、少しずつチリーの中に溶け込んでいっているのだ。

 抵抗しようとしてもまるで止まらない。赤い人影は――――賢者の石の力は、チリーの中に取り込まれていく。


「俺は破壊の力だ……俺は必ずもう一度お前の意識を奪い、責務を果たす」

「たかが血の分際でデケェ口叩いてンじゃねえよ。テメエは黙って俺に使われてやがれッ!」


 その言葉を皮切りに、チリーが賢者の石の力を取り込む速度は早まっていく。

 完全に取り込まれる寸前、人影がもう一度だけ音を立てて笑ったような気がした。




***



 マーカス・シンプソンは、目の前で起こる現象に困惑していた。


「ウサちゃんの血は動かないだろォォォォォォォォォッ! ふざけないでよォォォォォォッッッ!!!!!!」


 そしてブチギレていた。


 魔力を爆発させるウサギなどあってはならない。

 エリクシアンのウサギなどあってはならない。

 まして血がひとりでに動き出すウサギなど論外だ。


 ウサギとは愛らしく柔らかく、純粋で無垢で汚れのない、愛情を命として具現化させたようなものでなくてはならない。というのがマーカスの思想だ。それは他の動物も例外ではない。


 しかし目の前のウサギは完全に”解釈違い”だ。こんなウサギはあり得てはならない。


 今にも暴れ出しそうな程に冷静さを欠きつつあったマーカスだったが、倒れているウサギの身体に異変が起こり始めていることに気がつく。


 ウサギの身体が、少しずつ人間に戻り始めている。


 恐らく、吸い込んだマーカスの魔力が、血と共に体外へ排出されたからだろう。完全に元に戻るのも時間の問題だ。


 本来なら、あの一撃で死んでいるハズの命だ。しかし元に戻り始めた手足はピクピクと痙攣している。恐らくまだ生きているのだろう。


 そして体外に放出された血は、人を象った後は大きな動きを見せない。プルプルと震えており、まるで何かに拘束されているかのようだった。


「さッ……殺処分ッ……してやるゥ……ッ! 殺ッ殺ッ殺ッ殺ッ殺処分ッ!」


 血を警戒しながらも、マーカスは素早く倒れたウサギに近づいていく。もうその身体はほとんどがチリーに戻っており、ウサギとは呼び難かった。


「天に返還しろォォォォォ!」


 アーミーナイフを振り上げ、奇声を上げるマーカス。しかし次の瞬間、血が凄まじい速度でチリーの身体の中へ戻り始めた。


「――――ッ!?」


 チリーの周囲で激しく魔力が迸り、その衝撃でマーカスは弾き飛ばされてしまう。


 慌ててマーカスが起き上がると、意識を取り戻したチリーが立ち上がっていた。


 それも、今までとは全く違う姿で。


「なんですか……それは……ッ!? なんなんですか!?」


 チリーの全身を、赤い血が装甲のように包んでいた。しかし左目だけが露出しており、チリーの真紅の瞳がマーカスを捉えている。


 口元は、完全に血の装甲で塞がれていた。アレは恐らく、マーカスの霧をこれ以上吸わないためだろう。あの状態では、チリー自身も呼吸が出来ない。


 ようやくクリアになった意識の中で、チリーは心底安堵する。


(動かせる……! コントロール出来る!)


 今まで血の装甲は、完全にチリーのコントロールを外れていた。暴走する魔力が、ただ荒れ狂うだけの力だった。


 だが今は違う。身体を流れる魔力も、身にまとった魔力もコントロール出来る。

 その中で、疼くような感覚があった。全てを破壊しようという、力の中の意志がチリーを急かすように脈打っている。


(……はしゃぐなよ。とりあえず暴れられそうで嬉しいのか?)


 刹那。チリーはマーカスの前から姿を消した。


 困惑するマーカスだったが、その顔面にチリーの右手が迫る。


「ッ!?」


 そのまま顔面を掴まれ、マーカスは地面に叩き伏せられた。


「ぶげッ……!?」


 マーカスが悲鳴を上げても、チリーは攻撃の手を緩めない。


 強引にマーカスの身体を起こすと、その腹部に渾身の左拳を叩き込む。

 衝撃で吹き飛ぶマーカスだったが、その身体に血のロープが巻き付いた。


 魔力濃度の高いチリーの血は魔力そのものだ。コントロール次第でどのような形にでも変化する。

 血のロープに引き寄せられたマーカスを待っていたのは、尋常ならざる密度の魔力が込められた左拳だ。アレほどの破壊の魔力を直接叩き込まれれば、エリクシアンでも無事ではすまない。


「うおおおおおおおおおッッ!?」


 逃れようともがいても、血のロープはマーカスを放さない。


 そしてマーカスの身体には、必殺の一撃が叩き込まれた。


「かッ……!?」


 赤黒いい魔力が閃光の如く弾けて、マーカスの腹部で炸裂する。その一撃で意識を手放して、マーカスはその場に倒れ伏した。


 それと同時に、周囲に立ち込めていた霧状の魔力が消えていく。マーカスの能力が完全に消えたのを確認してから、チリーは口元の装甲を解いた。


 今のところ、コントロール出来ている証拠だ。


「……まあ、悪くなかったぜ。たまにゃ人参もな」


 冗談めかして吐き捨てて、チリーはとりあえず脱いだままになっている自分の服を回収しに行った。

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