episode14「Unbreakable Heart」
「う、おおおおお!」
怖気づいた自分の心を雄叫びで鼓舞して、シュエットは駆ける。全速力で距離を詰めて、手にした剣を大きく振り上げた。
遅く、単調で、ほとんど素人のような一手だ。しかしそれでも、サイラスはいつものように遊ぶつもりはなかった。
サイラスは、シュエットの振り下ろす剣をたった二本の指で受け止める。
「――――ッ!?」
そして即座に、もう片方の手で剣の横っ腹に手刀を叩き込む。その一撃だけで、シュエットの剣はいともたやすく折られてしまった。
これが、エリクシアンの力なのだ。
普通の人間とは圧倒的に違う。金属で出来た剣を、手刀で叩き折るような怪物なのだ。
そのまますかさず、シュエットの腹部にサイラスの右拳が直撃する。
シュエットには、一瞬足りともその動きが見えなかった。
鉄球でも打ち込まれたかのような衝撃が、腹の中で炸裂する。血反吐をぶち撒けながら倒れ伏し、シュエットは飛びかけた意識を必死で掴み取った。
今ので間違いなく内臓がいくつか損傷している。
「まだ息があるか」
「今ので……殺した、つもりか……? 丁度いいマッサージだったぜ……」
ゆらりと。シュエットが立ち上がる。
サイラスは先程の一撃で既に戦闘不能にしたつもりだったが、シュエットはサイラスの想定よりもタフらしい。
感情の乏しかったサイラスの表情に、僅かに嗜虐的な笑みが差す。
「マッサージか……そいつはいい。何発でもサービスしてやるよ!」
次の一撃が、シュエットへと迫る。
回避することは出来ないが、受けることだけに意識を集中させれば先程のように急所にそのままもらうこともない。
両腕で必死にガードして、シュエットは持ちこたえる。
まるで骨にヒビでも入ったかのような衝撃だ。長くはもたない。
サイラスは容赦なくシュエットの身体に拳を叩き込む。
その全てに対してシュエットは回避と防御を試みたが、成功したものは一つとしてない。精々十割のダメージを九割だか八割だかに軽減した程度だ。
当然、シュエットはその場に力なく膝をついた。
いつの間にか意識も飛んでいるのか、その瞳には何も映っていない。
他愛もない戦い……否、戦いですらない一方的な暴力だ。最早嬲っていただけに過ぎなかった。
膝をつくシュエットのそばを、サイラスが静かに通り過ぎる。それと同時に、シュエットはそのまま前のめりに倒れた。
「さて……あのガキでも捜すか」
レクスが期待外れなら、あとは銀髪の少年くらいしかサイラスのお眼鏡に叶う相手はいない。もっともその少年にすら、サイラスはそれほど強く期待しているわけでもなかったが。
少なくとも腑抜けたレクスや既に倒れているシュエットよりは楽しませてくれるだろう。
そう考えてサイラスが歩き始めると、その右足を力強く掴む者がいた。
「どうした……? 俺はまだ、生きているぞ……!」
シュエットである。
この数秒の間に意識を取り戻し、這いずりながらサイラスの右足を掴んだのだ。
そのままサイラスにしがみつき、シュエットはサイラスを見上げて睨めつける。
そんなシュエットの顔面を、サイラスは適当に左足で蹴りつけた。
蹴り飛ばされ、サイラスから手を放してしまったシュエット。しかしその目は、まだサイラスを見据えていた。
「運良く拾った命を大事にする気にはならないのか?」
「するさ。だがそれは……お前達から、この町を守ってからだ……ッ!」
「その力が自分にない自覚はもう流石にあんだろ? 何がお前をそうさせる?」
サイラスの問いに、シュエットは一瞬も悩まずにこう答える。
「俺が、ヴァレンタイン騎士団の団員だからだ」
シュエットは決して強い騎士ではない。
剣技は並で、体格も特別良いわけでもない。
一度はそれを気にしていたこともあった。騎士に憧れて入団し、訓練する中で他人との差に悩んだこともあった。それでも剣を振り続けるシュエットに、レクスはこう言ったのだ。
心さえ折れなければ、必ず強くなれる、と。
そして、決して折れるな、それが誇り高き騎士だ、と。
だから――――
「絶対に折れはしない……! たとえ、団長が折れたとしてもだ……!」
それがシュエット・エレガンテの、唯一にして最強の武器なのだ。
「さあ、勝負はこれからだサイラス! かかってこい!」
叫びと共に血を吐き出しながらも、シュエットは真っ直ぐに立ち上がる。
その姿に、サイラスは思わず瞠目した。
シュエットは、サイラスがこの町に来たその日から何度もサイラスに挑んでいた。
その度に軽くいなして、適当にあしらってきた。
しかしどれだけ力の差を見せても、シュエットがサイラスに挑むのをやめることはなかった。
シュエット・エレガンテは、今この瞬間も含めてただの一度も折れたことはなかったのである。
だが、それだけだ。
「ならお望み通り、今度こそ死なせてやるよ」
シュエットに歩み寄り、サイラスは真っ直ぐにシュエットを見据える。血だらけで青あざだらけのその顔は、それでもサイラスからそらされることはなかった。
もう、シュエットにはそれだけしか出来ることがなかった。
シュエット自身、勝ち目がないのはもうとっくの昔にわかっている。
それでも。それでもこれだけは譲れない。
決して折れない鋼の心。唯一つの己の武器だけは。
「あばよシュエット・エレガンテ。名前くらいは覚えておいてやるよ」
不可避の拳が迫る。
最早立ち上がるだけで精一杯のシュエットには、防ぐことすらかなわない。
それでも絶対に瞳をそらさない。それだけが最後の抵抗だった。
……が、しかし、その拳はシュエットには届かなかった。
「何……?」
訝しむサイラス。
そしてシュエットの眼前で、長い銀髪が揺れる。
「お前は……!?」
「よぉシュエット……お前、思ったよりやれンじゃねえか」
そこにいたのは、チリーだった。
訓練所からここまで駆けつけたチリーが、間一髪のところで間に入って受け止めたのである。
「ふっ……余計な真似を……。ここからが本番だったんだがな!」
安堵で今にも崩れ落ちそうになる身体をプライドで支え、減らず口を叩くシュエット。
「抜かせ」
ここまでの戦いは、シュエットの傷を見ればチリーにも想像出来る。
圧倒的なワンサイドゲームの中、シュエットは耐えきったのだ。
エリクシアンであるサイラスを相手にだ。
シュエットをふざけた男だと思っていたチリーだったが、彼の精神性には好感を覚える。思わず笑みをこぼした後、眼前のサイラスへ目を向けた。
サイラスは、自身の拳を受け止めるチリーを見つめて歓喜に打ち震えていた。
今ので確信したのだ。
エリクシアンの拳を容易く受け止めるこの少年が、自分にとってまともな戦いの相手になるのだと。
「最初に視界の端に映った時……妙だと思ったんだ……」
殺気。
瞬時に理解して、チリーは顔色を変えた。
「ガキの目つきじゃねえってなァ!」
チリーの手を振り払い、サイラスは左拳でチリーへ殴りかかる。
かわせばシュエットに被害が及ぶ。チリーは即座に右手で受け流し、サイラスの懐に潜り込んで拳を放つ。
サイラスはそれを膝で弾くと、一度チリーから距離を取った。
なるべくシュエットを遠ざけたかったチリーは、それを好機とばかりにサイラスとの距離を詰め、再び殴りかかる。
その拳速は、人間のものではない、サイラスは瞬時に理解してそれを回避し素早くアッパーで迎撃した。
チリーはそれをガードしつつも、その勢いを殺し切れない。
咄嗟に跳躍し、アッパーの勢いをそのまま上に流しながら天井にぶら下がったシャンデリアへと着地する。
ぐらりと揺れるシャンデリアの上。人並み外れた体幹でバランスを保ち、チリーは下にいるサイラスへ視線を向けた。
その姿に、サイラスが口角を釣り上げる。
「
チリーはその場でだらりと両腕を垂らし、その腕に魔力をまとわせる。
赤い輝きが両腕にまとわりつき、それが真紅の籠手を形成していく。
「ご名答」
魔力を解放したチリーが、サイラス目掛けて飛び降りた。
***
チリーとサイラスの戦闘が始まってから、少し遅れてミラルとラズリルはヴァレンタイン邸に到着する。そして倒れそうになっているシュエットに気づくと、ミラルはすぐにその身体を支えた。
「これはお嬢さん……情けない姿を……見せてしまった」
「ひどい怪我だわ……! あまり喋らないでください!」
「……団長、は……?」
外から入ってきたなら、レクスが今どうなっているのか見てきているハズだ。そう判断してシュエットが問うと、ミラルは小さくうなずいて見せる。
「外で戦ってます……!」
その言葉に、シュエットは大きく目を見開いた。
「そう……か……」
今にも泣き出しそうな表情で呟いて、シュエットは穏やかに微笑む。
「団長は……戦っているのか……!」
一気に安心して、シュエットは思わず意識を手放した。
「シュエットさん!?」
慌てて脈を確認し、ミラルは安堵のため息をつく。傷は酷いが、シュエットは気を失っただけだ。
「ミラルくん、一度シュエットくんを運ぼう」
「……ええ」
サイラスと戦うチリーのことは気がかりだったが、今はひとまずシュエットをどこか安全な場所に運ぶ方が先だ。
すぐに行動を開始しようとするラズリルだったが、突如気配を感じ取る。
背後に何かが迫っている。
そこにいるのが何なのか、ラズリルは判断を後に回した。
理由は簡単で、それがただの気配ではなく、明確な敵意を孕んだ気配だったからだ。
一切の躊躇はない。淡々と、しかし自身に出せる最大の速度で、ラズリルは袖の内側に縫い付けたナイフを取り出して振り抜く。
ナイフの切っ先の向こうに見えたのは、ひょろりとした背格好の男だった。薄い無精髭に、前頭部を剃り上げた短髪の男――サイラスの部下の一人、ザップだ。
ナイフは、ザップの伸ばした腕を切りつける。しかし鮮血が舞っても尚、ザップの動きは止まらなかった。
内心冷や汗をかきつつ、ラズリルはミラルとシュエットをかばうようにして立つ。その肩に、ザップの手が触れた。
「ひ、ひでえな……いきなり切ることねえじゃねえか……お前、ひでえよ……」
「覚えておき給え、レディに音もなく近づくとナイフが煌めく場合があるってね」
ラズリルが即座にザップの手をはたき落とすと、ザップは突如悲鳴を上げた。
「クソがァーーーーーーーッ! 女はいつもこうだッ! 俺の心をちくちくさせやがるッ!」
ラズリルには、ザップの次の手が全く読めなかった。
情緒の乱れが激しい。考えが読めない。
どうすべきか思考を巡らせていると、ラズリルの全身を不快な感覚が支配する。
どろりと何かが流れ込んできたかのような感触だ。身震いするような気色悪さに、ラズリルは顔をしかめた。
「仲良くしてくれよォ……」
ラズリルが怖気だつ頃にはもう、遅かった。
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