episode13「Pride and Mud」

 ヴァレンタイン邸が現在襲撃されている。犯人は案の定、サイラス達だった。


 そもそも今日ヴァレンタイン邸に客として訪れているのはサイラス達で、三度目の殲滅巨兵モルス引き渡しの交渉だった。

 ミラル達にわざわざ観光をさせたのは、このためだったのだ。それはミラル達を厄介事に巻き込まないためでもあり、サイラスとのやり取りをこれ以上厄介にしないためでもある。ミラル達の外出への懸念がサイラスであったことを考えると、これ程適切な判断もあるまい。


「……これは俺達の問題だ。お前らを巻き込むつもりはねェ」


 暗についてくるなと告げ、レクスはシュエットと共に立ち上がる。しかしその背中は、すぐにチリーによって引き止められた。


「相手はエリクシアンだぞ」

「わかっている。正面からぶつかるつもりはない。まずは状況を確認してから、サイラスに直接掛け合ってみるさ」

「交渉がどうなったかは知らねえが、襲撃してくるような連中だぞ。掛け合ってどうにかなるとは思えねえな」

「……ゲルビアから本気で襲撃されれば民にまで被害が出る。最悪の場合、モルスを明け渡す必要がある」


 その言葉を聞いた瞬間、勢いよく机を叩いたのはシュエットだった。シュエットの勢いに若干気圧され、何か言いかけていたチリーは口をつぐんだ。


「団長……本気で言っているのか!?」


 シュエットは、見た目ですぐわかる程怒りに震えていた。


 勢いよくレクスの胸ぐらを掴み、シュエットはレクスと顔を突き合わせる。

 激怒したシュエットの鋭い視線が、まっすぐにレクスを射抜いた。


「掛け合う? 明け渡す? それが……それが誇り高きヴァレンタイン騎士団の団長、レクス・ヴァレンタインの言葉なのか!?」


 殲滅巨兵モルスを明け渡すということは、大量殺戮兵器をゲルビア帝国に与えるということだ。

 ただでさえ各地に攻め込み、領土を広げているゲルビア帝国だ。危険な兵器を与えれば、その勢いは更に苛烈になるだろう。


 そして殲滅巨兵モルスの力は、何百何千という人々の命を奪う。


「アレは動かせない」

「そういう問題じゃないだろう!? 今度という今度こそ……見損なったぞ!」


 吐き捨てるようにそう言って、シュエットはレクスを突き飛ばす。

 呆気にとられてその場に尻もちをついたレクスは、黙り込んだままシュエットを見つめていた。


「何を怯えているんだ! 団長!」


 レクスは、言葉を返さなかった。


「もう、言い返すことすら出来ないのか……!?」


 シュエットの瞳が、わずかに潤む。

 こぼれだしそうになる失望を、シュエットはぎゅっと目を閉じて抑え込もうとしていた。


 その姿を見上げながら、レクスは立ち上がる。


「……そうだよ。俺は団長だ……」


 低く、くぐもった声だ。絞り出すような声音に、シュエットは僅かに動揺したが、態度には出さずに抑え込む。


「この町を! この国を! 守らなければならない、ヴァレンタイン騎士団の団長なんだよ! 俺は!」


 気がつけば、レクスもまたシュエットの胸ぐらを掴んでいた。


「わかっているのか? 俺が……何人の命を背負わなければならないのか!」


 殲滅巨兵モルスを明け渡してはならない。

 そんなことは、レクスにだってわかり切っている。


 だがそれでも、レクス・ヴァレンタインはヴァレンタイン騎士団の団長なのだ。民を、町を、国を、守らなければならない。

 このヘルテュラシティに生きる人々の命を、守らなければならないのだ。


「俺はもう二度と……この町が戦場になる姿なんざ見たくねェ! そのためなら、誇りなんざ捨ててやらァ! 泥でも何でも被ってやる!」


 かつての戦いで、レクスは見てしまった。

 攻め込んでくるゲルビア兵との戦いで傷つき倒れていく騎士団員達を。

 当時騎士団を率いていたジェイン・ウェストサイドが団長職を退いたのも、その時の怪我が原因だ。

 次々と仲間が倒れ、四方を囲まれ、それでもレクスは戦い続けた。

 そして残った戦いの痕に、レクスは呆然とした。


 二度とこの地で、こんなことを繰り返してはならないと、そう誓った。

 そのためなら、誰に蔑まれようと、どれだけ屈辱を受けようと構わないと。


「…………」


 レクスの言葉に、シュエットは返す言葉がなかった。

 しかしそれでも、そのまま飲み込めるわけでもない。


 シュエットは強引にレクスの手を振り払うと、そのまま訓練所を飛び出していく。


「おい、待て!」


 逃げるように走り去るシュエットを、レクスはそのまま追いかけた。


 その背中が見えなくなるよりも早く、チリーは立ち上がる。


「……ラズリル」

「あいよ」

「ミラルを頼むぜ。俺はあいつらを追う」


 いくらラズリルと訓練していたとは言え、わざわざ戦闘が起こっている場所に連れていけるような力はない。自身にもその自覚があり、ミラルはラズリルより先に頷いて見せる。


殲滅巨兵モルスはゲルビアには渡さねえ……レクスがどう言おうがな」


 サイラス達はアレを動かせてしまう可能性がある。動かせないと高をくくって明け渡すのはあまりにも危険だ。

 シュエット同様、チリーもレクスの考えには違和感を覚えていた。

 シュエットの言う通り、まるで怯えて殲滅巨兵モルスを差し出そうとしているように思える。


「うーん、ダメ」


 しかしラズリルは、妙にあっけらかんとした表情でチリーの提案を却下する。


「あァ!?」


 語気を荒げるチリーだったが、ラズリルは両手でバツマークを作って却下を激しく主張。おまけに、眉間にしわを寄せ始めたチリーにそのまま軽いクロスチョップを叩き込んだ。


「何しやがる!」

「勝手な推察で悪いんだが、チリーくんの力ってまだ不完全な状態なんじゃないか?」


 ラズリルがそう問うと、チリーはうっ……と言葉に詰まる。


「ラズは直接見たわけじゃないけど、君の力はミラルくんの助けを得て初めて全開になったそうじゃないか」


 ラズリルの言う通りだ。

 あの時、城の地下で青蘭と戦ったチリーは圧倒的に不利だった。

 万全の力で襲いかかる青蘭に、チリーは一方的な攻撃を受け続けていたのだ。


 ミラルに触れ、聖杯の力がチリーの力を増幅して初めてチリーの力は青蘭と互角になったのだ。その後、チリーはそのまま元の力を取り戻したわけではない。それはチリー自身が一番わかっている。三十年のブランクは、決して軽くない。


「そしてここは断言させてもらうぜ……君一人では三人のエリクシアンを倒せない」


 きっぱりと言い切って、ラズリルは真剣な面持ちでチリーを見据えた。


「恐らく、レクスくんやシュエットくんの力を借りた上で、ね」


 ミラルは、チリーは何か言い返すものだと予想していたが、意外にもチリーは小さく嘆息して腕組みをするだけだった。

 完全に諭されてあまり面白くはなさそうだったが、とりあえずラズリルの言うことには納得しているように見える。


「更にもう一つ。仮に殲滅巨兵モルスを破壊するとして、本当に今の君は破壊出来るのかい?」


 容赦なく詰めてくるラズリルに、チリーは言い返すことが出来ない。やがてチリーは、降参とでも言わんばかりに乱暴に数度頷いた。


「けっ……全くかわいげのねえピエロだぜ」

「いや、かわいいが?」

「お前の推察は間違っちゃいねえよ。だが、他にどうする?」


 ラズリルの真顔の反論は無視しつつ、チリーがそう問うと、ラズリルはニヤリを笑みを作って見せた。


「すっごく簡単な話だよ。みんなで行こうぜ」

「え……?」


 不意にラズリルから視線を向けられて、ミラルは少し戸惑う。


 みんなで、とはミラルを含めた全員、ということだ。てっきりラズリルは、サイラスにはこのまま関わるなと言うものだとミラルは思っていたくらいだ。


「君にはミラルくんの力が必要だよ」


 ラズリルの言葉には答えず、チリーはジッとミラルを見つめる。

 どこか憂いを帯びた、不安げな視線だった。


 しかしやがて、チリーはかぶりを振ってミラルを見つめ直す。今度は真っ直ぐに、力強く。


 それがもう、答えだった。


「ミラル、なるべく俺から離れるな」

「……うん!」


 強くうなずいたミラルを連れて、チリーは走り出した。



***



 ヴァレンタイン邸の庭では、ゲルビア帝国兵と騎士団員が今正に戦っている状態だった。

 ゲルビア帝国兵の数は多くなかったが、そのわりには倒れている騎士団員の数が多い。その光景に、シュエットは目を疑った。


 屋敷の警備を任されている騎士団員はヴァレンタイン騎士団の中でも精鋭揃いだ。いくらゲルビア帝国兵が強いとは言え、そう簡単に負けるハズがない。


 戦いの脇をくぐり抜け、シュエットは屋敷の中へと入り込んでいく。


 玄関ホールへ入ると、戦闘の音が遠のき、しんと静まり返った。しかしそれとは裏腹に、緊張感は高まるばかりだった。

 背中に厭な汗が流れるのを感じつつ、シュエットが警戒していると、奥から一人の男が悠然と歩いてくる。


「……なんだお前か」


 そこにいたのは、燃え上がるような赤髪の男、サイラス・ブリッツだった。

 シュエットはサイラスを睨みつけ、腰に下げた剣の柄に手をかける。


「サイラス! 貴様……許さんぞ!」

「お前に用はねェ。レクスを連れてこいよ。それに、その台詞は聞き飽きた」


 吐き捨てるようにそう言うサイラスだったが、シュエットはそれをわざとらしく鼻で笑った。


「……あんな腑抜けと戦って何になる!」


 そう口にしてから、シュエットは歯噛みする。


 団長、レクス・ヴァレンタインは腑抜けている。そんなこと、シュエット自身が一番信じたくないのだ。


 しかし現状、レクスはサイラス達と戦うつもりがない。こんな事態になっても尚、モルスを明け渡してでも戦いを避けようと考えている。


 それなら、もうシュエットが戦うしかない。

 レクスが誇りを捨てるなら、代わりにシュエットがそれを貫く。

 そう覚悟して、シュエットは勢いよく剣を引き抜いた。


「この俺と戦うがいい!」

「腑抜けか……確かにな」


 決意を秘めた眼差しを向けるシュエットとは対照的に、サイラスの目は冷ややかだ。

 こちらを真っ直ぐに見ないサイラスに、シュエットが苛立ちを覚えていると、追いついたレクスが玄関ホールへ駆け込んできた。


「サイラス……! これはどういうことだ!?」


 レクスの姿を見た瞬間、サイラスの態度が一変する。

 すぐさま身構え、歓喜に震えながらレクスへ視線を向けた。


「どうもこうもねえよ……めんどくさくなっちまってな。それより、俺とやろうぜレクス・ヴァレンタイン! 正直俺にとっちゃ他のことはどうだっていいんだよ!」


 サイラスにとって殲滅巨兵モルスは、あくまでゲルビア帝国からの指令で求めているだけに過ぎない。ただの退屈な任務だった。しかしこの町で英雄視されているレクス・ヴァレンタインと出会った時、サイラスの目的は”英雄と戦うこと”にすり替わっていた。


 この瞬間を、誰よりもサイラスが待っていた。


「来いよヘルテュラの英雄さんよ! 今日まで我慢してたんだぜェ!」


 かつてゲルビア帝国の侵略に対して、たった一人になっても戦い続けていた国境の英雄。

 アギエナ国で高い戦力を持つヴァレンタイン騎士団の現団長、レクス・ヴァレンタイン。


 エリクシアンであるサイラスにとって、戦っていて歯ごたえのある相手というのはそう多くない。人間が相手なら尚更だ。正直なところ、イモータル・セブンとしての戦いにもひどく退屈していたところだった。


 しかし、レクスなら。

 サイラスの餓えを少しは満たしてくれるかも知れない。

 期待すればするほど震えが止まらなかった。


「さあ!!」


 ここまでやればレクスも応えるハズだ。


 しかしサイラスの期待は裏切られる。

 レクスは、構える様子を見せなかった。


「……頼む。これ以上、この町を傷つけないでくれ」

「……あん?」

「モルスが必要なら明け渡す。戦えというのなら……後でいくらでもやってやる」


 期待外れの言葉に、サイラスは眉をひそめる。


 そしてレクスは、あろうことかその場で腰を折り、サイラスに対して頭を下げて見せた。


「だから頼む……これ以上は……町も、人も、傷つけないでくれ……!」


 その瞬間、サイラスは呆気にとられて言葉を失う。


「おい……何をやっているんだ……」


 わなわなと震えるシュエットが、レクスの元へゆっくりと歩み寄る。


 今ここで。

 敵に頭を下げる男が。

 シュエット・エレガンテの憧れた団長なのか。


「やめてくれ……! そんな姿は見たくねえよ! 団長ッ!」


 今にも膝を折りそうになるのを堪えて、シュエットはレクスを見つめる。


 そんな様子をしばらく眺めた後、サイラスは深くため息をついて見せた。


「……はぁ」


 サイラスの中で高ぶっていた熱が急速に冷めていく。いきなり冷水をかけられたような気分になって、サイラスは舌打ちする。


 頭を下げたままでいるレクスを、サイラスはつまらなさそうに眺める。つい先程までとはまるで真逆の、冷めた視線で。


「確かにそこの馬鹿の言う通りだな。腑抜けと戦っても何にもならねえ……失せろ」


 サイラスがそう口にした瞬間、不意にサイラスの背後から一人の男が現れた。

 男は素早くレクスへ近づき、剣を振り上げる。


「――――ッ!?」


 咄嗟に反応して回避するレクスだったが、男の顔を見るとその顔を驚愕に染め上げた。


「ジェイン……!?」


 そこにいたのは、虚ろな表情のジェイン・ウェストサイドだった。

 ヴァレンタイン騎士団の副団長にして、レクスの師でもあるその男は、レクスに対して剣を構えたまま虚空を見つめていた。


「戦わねえ奴には興味ねえよ。人形と遊んでな」

「人形だと……!?」


 再び振り下ろされる剣を回避し、レクスはジェインの懐に潜り込む。


「おい! しっかりしろ! どうした!?」


 ジェインは、レクスの言葉には一切反応しなかった。

 虚ろな表情のまま、ジェインはレクスを蹴り飛ばす。


「団長!」


 そのままレクスへ襲いかかるジェインを止めようとするシュエットだったが、それを引き止めるように強烈な殺気が放たれる。


「そんじゃ……やろうや」


 振り返り、シュエットは身構えたサイラスを見据えた。


 今までのサイラスは、シュエットと戦う時はどこか遊ぶような態度を見せていた。

 しかし今回は今までのソレとは違う。

 ビリビリとした錯覚がシュエットの身体を走る。


 シュエットはここでようやく思い知ったのだ。

 サイラスと自分の間には、天と地ほどの戦力差があるということを。


「言っとくが今日は加減してやらねえぞ……。俺は今、死ぬほど機嫌が悪いんだ」


 思わず後じさりそうになる足をどうにか押さえつけ、シュエットは剣を構え直した。

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