狐食
「今日もうまそうに食ってたなァ」
田辺幸雄は三本目のビールが空になったところで、常連の狐塚サキのことを思い出しカウンターの向こうのおかみに声をかけた。
「本当にねえ。油揚げ、喜んでくれてよかった」
おかみは注文もひと段落した為、手を拭くとカウンター側に出てきて自分も椅子に腰かけた。
「しかしこう……な! サキちゃんは何というか、あれバレてないと思ってるのかな」
「バレてないと思ってるみたいよ? というか、バレたってなったらここ来なくなっちゃうんじゃないかしら」
「尻尾出てたのになあ」
「耳も出てたのにねえ」
田辺とおかみは迂闊だよなあ、とサキのことを考えながら互いに首肯しあう。
そう、サキ自身はバレていない、大丈夫と思っているが……実際にはほぼ公然の秘密。常連の間では、彼女の正体は共通認識だった。
最初は稲荷神社の狐さんが来たのか、大変だと彼女が帰った後で大騒ぎをしたものだが、何度も続くうちに何かをするでも無し、ただご飯を食べに来たいだけなのだとわかると、彼らもそれに応える形で接するようになった。
油揚げやいなり寿司は、偶然で用意したわけじゃない。サキが折角来てくれるならと、歓待と新しい契機とばかりに考えたものだったのだ。
そして、常連が皆彼女の正体を知っているというならそれは当然、
「兄ちゃんもなあ、そろそろアタックしたらいいんじゃないの」
最近常連となったイラストレーターの青年も知っているということだ。
「い、いやあ……。なんというか」
イラストレーターの青年────草木俊彦は、酒が回った状態でいろいろと考えながら頭を下げた。
「まあ大変よね、稲荷神社のお狐さんを好きになっちゃったら」
おかみは本当に大変だといった様子で、しみじみと草木を見る。
「あのポスターだってなあ、もっとサキちゃんに似せて描けばいいだろって言ったのに」
「いやカンベンしてくださいよ田辺さん……。流石にそれはロコツですって」
草木は苦笑いしながらポスターを改めて見た。実際のところ、描いている時にサキを意識しないよう苦労したのだ。
最初に店で彼女を見かけた時、その食べる姿がとても素敵だと一目ぼれしてしまった。
それから店に通うようになり、他の常連から少しずつ情報を聞き出していった中で、彼女が稲荷神社の狐であることを知った。
困惑した。どうすべきか迷った。
しかしながら、好きという気持ちに理屈や何やかやは通らない。彼はとりあえず店に通い続け、晩酌を装ってサキの姿をなるだけ視界に映せるようにと努力をすることにした。
サキが店で見かける度に筋肉がすごくなっている、パンプアップしていると思うのも無理はない。毎日のようにここに通ってサキを見る為に酒を飲んで食べているのだから、太らないように朝にランニング、トレーニングをしてから仕事に行くようにしたら、すっかりムキムキになっていったのだ。
逞しくなるにつれて自分にも自信がついてきたが、まだサキに積極的に声をかける気にもなれない。彼女と何を話して、仮につき合えたとしてどうしていけばいいのかという気持ちがまだブレーキをかけているのだ。
だからこそ、今日は色々とポスターについて話したり、背中をさすってもらえたりしたのは幸運というか────かなり、ドキドキした。こんなに異性(と言っていいものか)にドキドキしたのは、中学生の頃以来じゃないだろうか。
とりあえずは、また明日もここでひとりで晩酌をすることにしようと草木は思った。
また明日も《おひとりさま》の《おいなりさま》が、ここで美味しそうにご飯を食べるのだから。
「サキちゃんが来てくれてから、店も明るくなった気がするのよね」
「おっなんだ、ご利益か? お稲荷さんのご利益か?」
「さあ……。でも、お狐さんだからってわけじゃなくてさ」
おかみは、いつも美味しそうにご飯を食べるサキの姿を思い出しながら、
「きっと、サキちゃん自身が明るくて良い子で、美味しそうに食べるからだと思う」
そう素直に、自分の想いを述べた。
「それもそーか……」
田辺もまた、サキの姿を思い出す。そしてしばしの沈黙の後、
「よし、兄ちゃんこっち来な!」
「えっ、僕ですか」
草木を自分の隣に座らせた。
「まあサキちゃんのことで今日はもう少し話そうや! おかみ、あの油揚げのサクサクしたやつ、俺と兄ちゃんにも! あとビールもう一本な!」
「オーケイ、すぐ作るわ」
「いやあ、僕は……」
「いいから! この油揚げとビールは俺がおごるから」
「サキちゃん言ってたでしょ? 飲み過ぎも大概にしときなさいよ?」
「まーまーまー! 酒無しじゃね、恋の話なんてこっ恥ずかしくってできないよ、なあ兄ちゃん」
「僕に同意求めないでくださいよォ」
草木は苦笑する。
「まあ、わかりますけど」
「だろ? とにかく話そうや、話そう! 幸せな未来を掴もう!」
「ははは……」
押しの強いじいさんだなあと思いつつも、その親身な姿勢には草木も悪い気はしなかった。折角のご厚意だ、ビール一本ぐらいは付き合わせていただきますと。
「はい、さくさく油揚げね」
「待ってました待ってました!」
「サキさん、本当うまそうに食べてましたからね……。楽しみだ」
食事を縁にして人が繋がり、幸せが生まれる。
稲荷神社の狐の気まぐれなひとりご飯も、なかなかに味というか縁を生むものだ。
サキ自身はただ食べたいように食べて、癒されているだけなのだけれども。
「そんじゃあ────」
田辺はプシッ、とビールの栓を開け、
「いただきます!」
油揚げから香る香ばしい醤油の匂いで、サキがそれを食べる姿を思い出し────
うまい肴で腹を膨らますことへの期待に、胸を膨らませるのだった。
了
狐食 大牟田こむた @Ohmuta_komuta
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