第41話 一緒に
(分かった。よく、分かったよ、フィスク)
朝の挨拶をしてくる近所のおばさんにおざなりに挨拶を返し、笑いながら駆けていく子供たちとすれ違い、路上で呼び込みをしている少年の傍をすり抜ける。
何も変わらない、シーレシアの朝。シャイラにとっては二度目の、運命の朝。
西門に向けて、大通りをひたすら走る。
(きっと、こんな気持ちだったんだ)
アロシアが教会から逃げたと聞いて、シャイラを探しに来てくれた時。フィスクも同じ気持ちだったのだろう。
心配でたまらなくて、無事かどうか気が気ではなくて。時間がないかもしれないと、ただ、焦って。それから。
(すごいね。こんなに……、腹が立ったの、初めてかも)
それなのに、フィスクはよく許してくれたものだ。いっそ感心しながら、だが腹の虫は治まらない。
西門を目の前にした時、城壁の向こうから破壊音が響いてきた。西の空に土煙が上がる。
もうフィスクと魔王が戦っている。間に合ったはずだ。少なくとも、一度目よりは早い。
歩廊に上がる階段に足をかけた時、後ろから腕を掴んで引き留められた。
「シャイラ! まったく君は、猪みたいに突っ込んでいく子だな!」
追いかけてきたらしいアイルが、「こんな所ばかりフィスクとそっくりじゃないか!」と呆れ交じりに目を吊り上げている。
「アイルさん!」
「危険だから、と言っても、どうせ君は止まらないんだろうけどな……! フィスクは、この向こうか」
険しい顔で城壁を見上げ、目を細めるアイル。
今さらになって、シャイラは気づいた。彼にはフィスクの居場所が分からないのだ。魔力を追った先にいるのは、フィスクではなくシャイラなのだから。
この体に宿るという、フィスクの魔力。人間であるシャイラには分からない、命の源を。
返すことが、できればいいのに。
シャイラもアイルと同じように城壁を見上げて、その向こうにいるはずの二人を睨み透かした。
ここで、ただ突っ立っているわけにはいかない。
「お願いします、アイルさん! 私をフィスクの所に運んでください!」
アイルの腕を掴み返して、シャイラはそう頼み込んだ。
何ができるわけでもない。魔王との戦いに水を差すだけだ。それでも、傍にいなければならないと。
そう言って胸の奥で、強く、強く、脈打つものがあるから。
まっすぐに見上げた先で、アイルはぐっと目を閉じた。何かを堪えるように奥歯を食い縛り、その隙間から小さな呻きを漏らす。
「……分かった」
そして一度大きく息を吸い込んでから、アイルはニッと笑って右手を上げた。
「シャイラ、フィスクを頼む」
その願いの重さに、震える膝を無理やり押さえつける。
「……はい!」
シャイラの足元で、ぶわりと風が渦を巻いた。足が浮く。体が押し上げられる。全身に感じていた重さが消えて、空に向かって解き放たれる。
飛んで、飛んで、飛んで、城壁を越え、眼下に花畑。記憶にあるよりも荒れている。
耳元を吹きすさぶ風の音に混じって、金属のぶつかり合う剣戟の音が聞こえる。風に逆らわないよう体勢を整えて、シャイラは目を凝らした。
掘り返された土の上を走り抜ける、二つの影。時々ぶつかり合い、小さな火花が散るのが分かった。
(あれだ!)
黒い方の影が背中に飛膜のある羽を現し、ふわりと中空に逃げる。魔王は両手で握った身の丈ほどもある大剣を、背中をしならせるようにして振り上げた。応じて、大きく距離を取るように後ろに跳び退るフィスク。手に持った槍は、既に真ん中から折れてしまっている。
どうするべきなのか、自然と理解できた。大きく両手を広げれば、風が意のままに運んでくれる。
くるりくるりと花びらのように舞いながら、シャイラは戦う二人の中心に突っ込んだ。
「フィスク!!」
喉が張り裂けそうなくらいに、名前を叫ぶ。顔を上げたフィスクが、ぎょっとして目を見開くのが分かった。
「シャ……!」
咄嗟に槍の残骸を投げ捨て、受け止める姿勢を取ったフィスクの腕の中に、シャイラは過たず舞い降りた。
そのまま勢いあまって、花畑の中に二人して倒れ込む。
「な……、にをやってるんだお前はっ!」
シャイラの下敷きになったフィスクは、怒りと驚きの入り混じった声で怒鳴った。
だが、今のシャイラには怖いものなど何もない。
シャイラはフィスクの上に乗ったまま、彼の顔を両手でパンッと挟み込んだ。昂る感情に呼応するように、散った花を巻き込んだ風が、二人を囲む花びらの壁を吹き上げる。
「それを言いたいのは私の方だよっ」
「は!?」
「私を追いかけてきた時のフィスクの気持ち、すーっごくよく分かった! あんな、あんな紙切れ一枚、言葉ひとつで、納得できるわけないじゃない!」
怒っている。怒っているはずなのに、目から涙が出てくる。溢れて止まらない。
ぼたぼたと、フィスクの頬を際限なく濡らしていく。
「私には死ぬなって言うくせに、どうして自分は積極的に死にに行くの。私だって、フィスクに死んでほしくないって思ってるんだよ」
違う。ここで言うべきなのは、その言葉じゃない。はく、と口を開けて、閉じる。
悲しかった。苦しかった。怖かった。どうしていいか分からないまま必死になって、一度は絶望した。
それくらい、助けたかったのだ。それだけを思っていた。手遅れになってようやく気付くなんて、呆れるほどに鈍感だったけれど。
だって、シャイラはきっと、知っていた。生きたいと願うフィスクの心は、帰りたいと願う彼の命は、ずっとずっと、シャイラと共にあったのだから。
「私だって、フィスクが好き……、好きなの! だから……、私と一緒に生きてよ!」
見上げてくるフィスクの雲の瞳に、日の光が差し込んできらきらと光る。
「それが、できないなら……。せめて、一緒に死にたい」
あなたが自分の生き方を貫くと言うのなら。私もこの想いを貫くの。
そう教えてくれたのは、あなたでしょう。
「シャイラ、」
苦しげに眉をひそめたフィスクが、小さく名前を呼ぶ。その瞬間、胸の奥でいつも脈打っていた何かが、強く煌めきを放った。
今なら分かる。あるべき場所に、フィスクの元に、これを返さなければならないのだと。
かさついて、土に汚れた唇を見つめる。フィスクが漏らした微かな吐息を押し留めるように、上から自分の唇を重ねた。
鼓動と共に魔力を流し込む。
触れている場所全部が熱い。合わせた唇も、彼の頬に添えた手のひらも。それから、ずっと魔力を感じていた、胸の奥も。体すべてが、焼き尽くされてしまいそうなくらいに。
びくりと体を揺らしたフィスクは、口の端から小さな呻きを上げた。あるいは、呱き声だったかもしれない。いのちが、うまれる声。
生きるも、死ぬも、すべてが溶けて混ざり合う。二人のいのちが共鳴し合う。これがあるべき形だった。多分、最初からそうだったのだ。
二人を取り囲む風の壁が、色とりどりの花びらで飾られながら厚さを増していく。
はあ、と大きく息を吐いて、シャイラは顔を上げた。
呆然としているフィスクが、ひらひらと落ちてきた赤い花びらを、反射的に手で掴み取る。
「シャイラ……、本当にお前は、馬鹿だよ」
ぐしゃりと顔を歪め、フィスクは軽々と半身を起こした。そのせいで体勢を崩したシャイラを抱き留めて、肩口に顔を埋めてくる。
「フィスク……?」
「お前と出会えて、良かった」
小さく、耳元で、確かにそう聞こえて、シャイラは目を見開いた。
少しだけ体を離して覗き込んできたフィスクが、心底幸せそうに、眉尻を下げて笑う。
これまでに見た中で、最も美しかった。血の通った頬が艶めいて、恍惚と蕩けた瞳が晴れ渡る。表情にいのちが宿り、生き生きと輝きを放つ。
あまりにも浮世離れした美しさに、シャイラは思わず身を引いた。それが不満だったのか、フィスクは僅かに首を傾げてシャイラの後頭部を掴む。
「逃げるなよ」
優しく、けれど鋭く光る雲色の視線が、髪に挿した木彫りのアネモネをうっとりとなぞった。
「俺と一緒に、死んでくれるんだろう?」
ひく、と飲み込んだ呼吸ごと、今度はシャイラの方が、唇を奪われた。
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