第33話 再会は突然に

 たくさんの植木鉢や薬草の瓶が並ぶ店舗を通り抜け、シャイラは入り口の鍵を開けた。開店前でまだ薄暗い店内だが、扉を開ければ少し明るくなる。店内の花たちは、春が終わりかけた今、色とりどりに咲き誇っている。甘い花の香りと、青々とした緑の匂いが入り混じる、この移り変わりが好きだった。


 フィスクと手を繋ぐのは、この数日ですっかり癖になってしまった。少しでも彼が、魔力を取り戻せるといい。そう願いながら、隙間なく指を絡ませる。


 離れているとシャイラの方が不安な顔をしているらしく、たまにフィスクに笑われてしまう。確かに彼は元気になったように見えるが、運命の日はまだ来ていない。魔王を倒さない限り、フィスクが生き延びる道は無いのだ。


 フードで髪と顔を完全に隠したフィスクと連れ立って、店から出る。城壁の向こうから差し込む朝日が、腹立たしいほどに眩しい。


 目を細め、光を遮るように手をかざした時だった。



「フィ、スク……?」



 人のいない朝の大通りに、疑念に塗れた声が漂った。


 知らない青年が、数歩先で立ち尽くしている。鍛え上げられた体つきの美丈夫だった。フィスクのような時を忘れるほどの美貌ではないが、掘りの深い精悍な顔は人を惹きつける魅力を放っている。しかし塗りつぶしたような茶色い髪が、何となく似合っていない。


 青年は驚愕と僅かな絶望の混ざった顔で、震えながらこちらを見ていた。シャイラの方を見て見開かれた目が彷徨って、フードを被ったフィスクで止まる。


 繋いだままのフィスクの手に、ぎゅっと力がこもった。



「……兄、さん」



 掠れた声で呟く、雲色の瞳が揺れていた。


 フードを少しだけ持ち上げて、その下に鋭利な美貌を覗かせる。青年は息を呑んだ。



「お前、やっぱり生きて……!」



 まろぶように駆け寄って来た青年は、そのままの勢いでフィスクを力強く抱き締めた。


 シャイラと繋いでいた手を放して、フィスクは困ったように兄の背を叩く。



「兄さん。……アイル兄さん」


「ずっとこの街にいたのか!? いや、そんなことはいい、生きていたなら、それで……!」



 その場に膝をつき、崩れ落ちた青年アイルの目から、ぼたぼたと涙が流れた。


 フィスクはやはり困ったように眉尻を下げて、自分も屈み込んで兄と視線を合わせる。



「ごめん、兄さん」


「フィスクが謝ることじゃない!」


「うん。でも、ごめん」



 心配させたから、と笑うフィスクの顔は、見たことのない明るい色をしている。兄に泣かれて困っている様子ではあるが、嬉しさは隠しきれていない。


 アイルはぐしゃりと顔を歪ませた。



「お前は本当に……、変わらないな」


「百年程度で変わってたまるか」



 悲愴な未来など感じさせない、ただ再会の喜びに満ちたフィスクの声。それが逆に、痛ましさを感じさせたけれど。


 それを聞いた兄は、中途半端に笑いそびれた、歪な笑みを口の端に浮かべた。






 再会を喜ぶ兄弟の様子を見ていたシャイラは、すとんと納得した。



(これが、フィスクの素なんだ)



 嫌いな人間に囲まれて、感情を殺していた姿とは程遠い。快闊な本来の姿が、見えた気がした。


 そんな風に心を許せる兄と再会できたことに、思わずシャイラまで涙ぐんでしまう。


 それに。フィスクの兄ということは、彼が置かれた状況も分かっているということだ。もしかしたら、フィスクを助けるための情報があるかもしれない。人間であるシャイラには分からない、何かが。


 だってこんなにも、フィスクが生きていたことを喜んでいるのだ。シャイラよりもずっと強く、フィスクが助かることを望んでいるはずだ。



(……でも、ちょっと嫉妬しちゃうかも)



 自分の感情を自覚した途端に、いままでは気づかなかった心のモヤモヤが顔を出す。少しだけ苦笑してしまった。


 家族とそれ以外に向ける感情が違うのなんて、当然のことだ。シャイラが知らない顔があったとしても、なんら不思議はない。


 目尻を指で拭い、シャイラは声をかけた。



「フィスク、中で話していいよ。ここじゃ落ち着かないでしょ?」


「だが」



 縋り付いていた兄を立たせて、フィスクはシャイラを顧みた。案じるような目に、シャイラは問題ないと首を振る。



「お兄さんと話すこと、たくさんあるんじゃない?」


「……悪い」



 フィスクが申し訳なさそうに言って、こちらへ手を伸ばしてくる。なんだろう、と思う間もなく、フィスクの指先がシャイラの前髪を軽く梳いて、そのまま頭をぽんと撫でた。



「ありがとう、シャイラ」



 柔らかく微笑むフィスクに、シャイラは音を立てて固まった。



「ふぃ、フィスク……?」



 ああ、頬が熱い。どうしてくれようか。絶対に耳まで真っ赤になっている。心臓は暴れ回っているし、そのせいで押しのけられた肺が苦しい。


 そんなシャイラを見たフィスクが、フードを深く被りなおした。肩が揺れている。



「……ちょっと」


「……っふ、」


「ねえフィスク!? 笑ってる!? からかったでしょう!」



 ますますフードを引っ張るフィスクの肩を叩く。そこそこ力を込めているのに、まったく揺らがない体幹が恨めしい。


 質が悪いにも程がある。顔の良さを自覚していながら、それを使うなんて卑怯だ。そんなの、勝ち目が無さすぎる。どういう勝負なのかは、シャイラにもよく分からないが。



「フィスクお前……。人間嫌いはどうした……!?」



 泣いていたはずのアイルが、あんぐりと口を開けていた。目いっぱい混乱しているようで、指が交互にシャイラとフィスクを行き来している。



(フィスクの人嫌いって、昔からだったんだ……)



 なんとなく、人間界に落ちてきてからの経験で、人を嫌うようになったのだと思い込んでいた。けれど違うらしい。


 フィスクは少しだけフードを持ち上げて、アイルをちらりと見た。そして、シャイラの手を上から握る。



「こいつは別だ」



 もう嫌だ。心臓がもたない。


 どうしてちょっと嬉しそうに、そんなことを言うのだ。


 捕まっていない方の手で、顔を覆う。ずるずるとその場に座り込むと、心底気の毒そうなアイルの声が聞こえた。



「いや、それは……。酷いだろう……」


「は? 何が」


「相手に対する好感度をそのまま表に出すの、お前の悪い癖だからな」



 そう窘めてから、アイルはシャイラの肩を軽く叩いた。



「ええと、シャイラ、だったか。弟の傍にいてくれてありがとう。君の話も聞きたいところだが、まずは先にフィスクと話をさせて欲しい」



 シャイラが顔を上げると、アイルは目を細めて優しく笑った。


 あ、と思う。


 儚い美しさを持つフィスクと、逞しい美丈夫。共通点などないように思えたけれど。


 刃のような切れ長の瞳が、そっくりだ。



「……似てますね。フィスクと、お兄さん」



 心の声が口から転がり落ちた。アイルは驚いたように目を見開いて、自分の頬に触れる。



「そう、か? 似ていない兄弟だと言われることの方が多いんだが」


「目が似てると思います。笑った時が特に」



 感情の乗せ方が同じだった。瞳にまっすぐな光を宿して、貫き通す強さがある。その強さは好ましい。それは、シャイラにはないものだ。


 アイルはシャイラの瞳を覗き込んだ。



「君には、そう見えるんだな」



 シャイラは首を傾げたが、アイルはそれ以上何も言わず、視線を逸らして立ち上がった。



「フィスク」


「ああ。……シャイラ、ナイフをこのまま鍛冶屋まで頼めるか。お前の母親には俺から言っておくから」



 差し出されたナイフを受け取る。フィスクは座り込んでいたシャイラを抱えて立たせ、向かいの鍛冶屋に向かってトンと背を押した。



「分かった。ゆっくり話してね」



 ナイフを手入れに出したら、何か飲み物でも持っていくことにしよう。シャイラはそう決めて駆け出した。

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