第28話 自覚
「……ほかにも、聞いていい?」
「ああ」
フィスクは穏やかに頷いた。
「フィスクを殺そうとしているのは、誰なの?」
これが一番、聞きたかったことだった。
まだ脳裏に焼き付いている。忘れることなどできない。街の外に広がる花畑で、フィスクは殺された。腹から血を流して、倒れていた。
出会わなければ、と。そう言い残して消えていったのだ。
あの未来を変えたくて、シャイラはここまで来た。
「……魔物の王、ラーガ」
フィスクの声が、僅かに低くなった。
「魔物の……?」
「原初の魔物。この男がいたから、魔物が生まれた」
こくりと唾を飲み込もうとしたが、口の中がからからに乾いていた。
そんな存在がいることすら、初めて聞いた。
「奴は精霊を憎んでいる。自らを魔王と名乗り、魔物を纏め上げて精霊と敵対しているんだ」
「その、魔王が。フィスクを狙ってるの?」
背筋がすっと冷たくなった。
アロシアの解放した魔物がフィスクを襲ったのは、偶然ではなかったのだ。
「俺は、〈風の民〉を率いて空の門を守っていた。精霊界に侵攻したい魔王にとって、俺の存在は邪魔だった」
淡々と語るフィスクの声は、その奥に横たわる激情を押さえつけるようだった。
「何度も戦ったが、奴を退けることはできても、殺すことはできなかった。一方で、俺が負けることも無かった。だからあいつは、俺を罠に嵌めた」
今度はシャイラが、フィスクの手を包み込む番だった。
そうしないと、彼が今にも辺り構わず暴れ出してしまいそうだったから。
「奴は俺を、苦しめたいらしい。その場で殺さずに、翼だけを奪って、人間の街に落とした。だが、このまま俺が魔力を完全に失くして、死ぬのを待つようなことはしないだろう。自分の手で殺すために、奴は必ずやってくる」
その時が来るのを、フィスクはあの部屋で待っていた。
できるだけ精霊界に近い場所で、体力を温存しながら。きっと、勝てないことを理解して、それでも逃げることなく待っていたのだ。
「……どうすれば、あなたを助けられるの」
眉を寄せて微笑んだフィスクを見て、シャイラは声を詰めた。
「……お前が泣かなくてもいいだろう」
「ごめんなさい」
「謝る必要もない」
「……ごめんなさい……」
絡み合った自分の心が、今何を感じているかも分からない。衝動のまま、フィスクに抱きついた。
彼を助けたくて、力になりたくて、もがいていたはずだった。過去に戻ってきたのはシャイラの意思ではないけれど、少なくとも、フィスクに死んでほしくないという思いは、シャイラのものだった。
耳元で小さな笑い声がして、子供を宥めるように背中を撫でられた。
「誰に対してもそんなに入れ込んでいたら、お前が辛いだけだろう」
百年もの間、嫌っているはずの人間に囲まれて過ごして。今回のように、彼の心を踏みにじるような出来事はほかにもあっただろう。
なのに、彼はこんなにも優しい。嫌いな人間であるシャイラに、ここまで寄り添ってくれる。
心底柔らかい声で、シャイラのことを認めてくれる。
「でも……。お前はそういう奴だ」
「フィスク……」
どうしてこんなに、胸が高鳴るのだろう。
助けたい。力になりたい。生きていて欲しい。そう強く思う度、何かが胸の奥で叫ぶのだ。
彼が死ぬところを見た。「出会わなければ」と言われた。それが、とても辛くて。苦しくて。ずっと、ずっと。
(――ああ)
フィスクが死んで、拒絶されたと思って、苦しかったのは。過去に戻されて、助けたいと、ただその命が在ることを、願ったのは。
(すきだ)
心に焼き付けるように。魂に刻み込むように。シャイラという存在に、楔を打ち込むように。
ずっとずっと抱えていた想いが、ここにあったのだ。
彼のことが大切で、だから助けたくて。そんな簡単なことに、今まで気が付かずにいた。
時間が戻る前、二人きりで過ごしたほんの僅かな時間。そこには沈黙だけがあった。静かな空間を、確かに愛しく思っていた。
(私は、フィスクのことが、好きだったんだ)
湿った頬を自分の肩口で拭って、フィスクの体に回した腕に力を込めた。
「私にできること、何かある?」
前回と同じなら、魔王がフィスクを殺しに来るまでもう日がない。
「私は、どうしたらいい……?」
なんでもいい。彼が死ぬのを待つだけなんて、そんなことはしたくなかった。
「奴に奪われた力を取り戻せば……」
考え込むような声で、フィスクは言った。
「取り戻せる、の?」
「俺の魔力を奪ったのは魔王だ。奪った相手を殺せば魔力は戻る。そのために、この百年はあちこちを放浪していた。結局奴を見つけられず、ここまで来てしまったが」
ならば、魔王がフィスクを殺しに来た時が、最後の機会だ。
「少なくとも、私と一緒なら体調は良くなるんだよね? ならずっと一緒にいれば、魔王に勝てるくらい回復しないかな? ご飯も作るし、お菓子も作るよ。そうすれば……、そうすれば、」
それで、本当にフィスクが助かる保証など無いと、分かっているけれど。
「ああ。そうだな……」
笑みを含んだ声の裏に、涙の気配が潜んでいるような気がして。どうしようもなく無力な自分が、腹立たしかった。
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