第23話 幼馴染の激励
シーレシアの中心部にある大きな広場。教会や診療所、それに警備隊の基地も広場に面している。空っぽのバスケットを抱えたまま、シャイラはベンチに座ってぼんやりと教会を眺めていた。
(どうしよう……)
こうやって途方に暮れていても、何にもならないことは分かっている。けれど、今はここから動けそうになかった。
大きくため息をつく。重さのないバスケットが酷く虚しい。
フィスクに、出て行けと言われてしまった。
時間が戻る前、フィスクが死ぬ瞬間に居合わせた。彼が殺されたのだということは知っていた。シャイラが駆け付ける直前、誰かがフィスクの傍から去っていくのを目撃していたから。
命を狙われているとフィスクが知っているのなら、警戒されて当然だった。断片的に未来の情報を語る女。どう考えても怪しすぎる。
塔の部屋から出ないのも、その辺りの事情が関係しているのかもしれない。
思い返すほどに自己嫌悪が募る。彼はきっと、心を開きかけてくれていたのに。
どれくらいそうしていたのか、気が付けば右肩を叩かれていた。
「シャイラ、大丈夫?」
コーニが心配そうに眉を寄せて、シャイラを見ていた。その肩越し、太陽が城壁の向こうに沈もうとしている。教会を出たのが昼過ぎだったから、随分と長い間ベンチに座っていたようだった。
「患者さんが、シャイラがずっとここにいるって教えてくれたんだ。どうしたの? 腕が痛む?」
ううん、と首を振った。フィスクがかけてくれた治癒魔法のお陰か、痛みも腫れも既に引いている。
だから、コーニの顔と夕日が滲んで見えるのは、決して腕の怪我のせいではない。
フィスクに、と言いかけて、コーニは彼のことを知らないのだと言葉を変える。
「教会の仕事、クビになっちゃった」
「え……、アロシア様のお手伝い?」
事情を知らない教会の人々にはそういう説明をされていた。シャイラは曖昧に頷いてみせる。
「何があったの?」
訊かれて、言葉に詰まった。コーニにどこまで話していいのかが分からない。フィスクのことを秘匿しているのがアロシアの都合ならば、もうどうでもいいのではないかと思う。だが、フィスクに何らかの理由があって存在を隠しているのなら、たとえ相手がコーニでも迂闊に話すことはできない。
結局、しどろもどろに説明することになった。
「その……、一番大事なところで、失敗したというか。多分、一番やっちゃいけないことを、したんだと思う……」
言いながら、シャイラの視線は徐々に落ちて行った。
「そっか……」
コーニはシャイラの隣に腰を下ろして、前かがみに頬杖をついた。
「最近ね、教会の中で派閥が分かれてたの、知ってる?」
「派閥? 知らない……」
「アロシア様が来てからなんだ」
アロシア。その名前を聞くだけで更に落ち込んでしまう。
塔を追い出され、しかしそのまま帰ることもできずに裏庭でうろうろしていたシャイラの所に、勝ち誇った顔をしたアロシアがやって来た。そして、「もう明日からは来なくてよろしいですわ。フィスク様からのご要望です」と言い放った。
これまでの報酬は後日支払いを、と、そのまま教会からも摘まみ出された。
アロシアにまでそう言われてしまえば、シャイラにはもうどうすることもできない。
「最初はね、帝都の素晴らしい巫女様だって、皆が噂してたんだ。確かにすごい研究者だし、色んな知識もあるけど……」
コーニが教会の方を見ながら口ごもるので、シャイラは丸くなっていた背中を心なしか伸ばした。
小さなため息が一つ。コーニはシャイラに体を寄せて、声を潜めた。
「アロシア様の考え方が、過激すぎるっていう人が増えて来たんだ。僕たちは精霊の加護に感謝して生きているけど……、別に精霊のために生きてるわけじゃない」
「コーニ……」
「〈精霊の子〉である僕が、こんなこと言ったら駄目なんだろうけどね。でも、だからこそ思うよ。〈精霊の子〉だからって、無条件で崇められて、あの人は僕の向こうに精霊そのものを見ている。人間と精霊は、もう別々に生きているのに」
フィスクの言うことを、肯定するばかりだったアロシアを思い出す。彼女が何のつもりでフィスクの傍にいるのかは知らないが、少なくともその信仰心は本物だった。
シャイラの目には、盲目的で、一方的な信仰のように映ったけれど。
「そういう所が、ついて行けないんだって。途中から僕もあまり話さなくなったし……。あとね、シャイラのこと、自分の手伝いにって無理に雇ったでしょ? その割に扱いが良くないから、皆モヤモヤしてたんだ」
「私?」
突然自分のことに言及されて、シャイラは瞠目した。そうだよ、とコーニは笑う。
「シャイラ、もっと自覚した方がいいよ。君はいろんな人に好かれてるんだよ。優しくて、頼りがいがあって、誰かのために一生懸命になれる。シャイラに助けてもらった人はたくさんいるんだ。僕もね」
「そんなの、私は大したことなんてしてないのに」
「昨日の事故なんて、十分大したことだと思うけど? ああそう、昨日だよ。あれがあってから、教会の中が二つに割れたんだ」
ここまで聞くと、何となく嫌な予感しかしない。
「……割れたって」
「『アロシア様は素晴らしい巫女だ!』って派閥と、『勇気を示したシャイラを認めないアロシア様は何も分かってない』って派閥。アロシア派とシャイラ派」
「聞きたくなかった……!」
「だからさ」
頭を抱えるシャイラの背中を、コーニが宥めるように軽く叩いた。
「アロシア様のことは、あまり気にしなくていいと思うよ。少なくとも、シャイラの味方はたくさんいる。シャイラだからこそできることがあるって、僕たちは知ってるよ」
「……うん。ありがと」
優しい幼馴染の励ましに、シャイラは微笑みを返した。
フィスクとの問題は何も解決していないが、ずっと一緒に育ってきた弟分の思いやりが嬉しかった。
(私だからこそ、できること)
膝の上に抱えたバスケットを見て、それから吊ったままの左腕を見る。
積み重ねたものを無駄と思いたくない。この傷を癒してくれた、あの優しさをなかったものと思いたくない。
ずっと落ち込んでいるわけにはいかない。与えられた時間は半分しか残っていないのだ。
まだ、やり直せる。失敗は絶対に許されない、けれど。
フィスクはまだ、生きているから。
「……よし!」
シャイラが突然立ち上がったからか、コーニが派手に肩を跳ね上げた。
「どっ、どうしたの!?」
「ずっと落ち込んでるわけにはいかないよね。私にしかできないんだもの」
コーニが言うように、シャイラが何か特別な存在であるとは思わない。だが、未来のことを知っているのはシャイラだけだ。フィスクを助けたいと願うなら、動き出さなければ。
アロシアに言われて、フィスクの傍を離れた。その結果、何も分からないまま彼は死んでしまったのだ。もう、同じ間違いを犯したくない。
「シャイラが立ち直ったなら、それでいいけど……。アロシア様に会いに行くの?」
まだドキドキしている顔のコーニに訊かれて、シャイラは、む、と考え込んだ。
アロシアに用はない。シャイラが会いたいのはフィスクだ。
まずは、謝らなければならない。フィスクが隠したがっていた心の内側に、無遠慮に踏み込もうとしたことを。
それから、敵ではないことをちゃんと説明したい。信じてもらえるかは分からないけれど、ずっと誤解されたままは嫌だった。
「まずは教会に……」
「それなんだけどね」
ものすごく言いにくそうに、コーニは口を開いた。
「シャイラ、教会に出入り禁止になってるよ……」
あの女! と叫びかけたのは、フィスクの口調が移ったせいかもしれない。
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