第22話 失言

 司祭が昨日の事故について、事の顛末を散々言いふらしたらしい。教会に出向くと、すれ違う祭官のほとんどに、三角巾で吊っている左腕を名誉の負傷だと褒めちぎられた。


 特に、逸って塔の扉を開けた少年祭官は、ほとんど尊敬に近い目でシャイラを見上げてきた。正直、むずがゆい。


 アロシアに疎まれていることで、立場が悪くなるのではないかと思っていたのだが。どうやら、そんな心配はなさそうだった。


 最近は、もう待機時間もなくフィスクの元に向かっている。教会に着いたらすぐに来いと言われたからだ。アロシアや彼女の従者に会うこと無く、シャイラは裏庭へ向かう。


 昨日はあれから、フィスクは不自然な程にこれまで通りだった。表情は薄く、自分のことは語らない。しかしシャイラのことは随分と気遣ってくれた。



(フィスクはどうして、あんなことを聞いたんだろう)



 明確に、シャイラに対して興味を示してくれた。それは嬉しいけれど、何がきっかけで前回と違っているのか、それが分からない。



(もし本当に私が必要だというのなら、多少機嫌を損ねても、今さら突き放されたりはしない……?)



 考えてみれば、フィスクが教会にいる理由を尋ねるくらいはなんでもないことのように思える。もし話したくないなら答えないだろう。彼にとって重要度の低いことなら、あっさり答えてくれるはず。今朝の母のように。


 彼が死んでしまう未来。変えたいと願うなら、ずっと立ち止まっているわけにはいかない。


 悶々としながら歩くうち、気が付けばもう梯子の前まで来ていた。ノックをしていないのに、向こう側から扉が開く。当然のようにこちらを見下ろし、長い空色の髪を少しだけ鬱陶しそうに背中へ払って、フィスクが手を差し出してくれた。



「怪我の調子は?」


「大丈夫だよ。痛みもないから、うっかり動かしそうになっちゃうくらい」



 シャイラが提げていたバスケットの中を見て、フィスクが目をぱちぱちとさせた。



「……フィナンシェ? その腕で作ったのか」


「あ、これは家で食べようと思って一昨日に焼いてたの。でも今日は、サンドウィッチはともかくお菓子は難しかったから……。焼きたてじゃなくてごめんね」



 フィスクに教えてもらったことをちゃんと覚えたくて、練習として作っていたものだ。さすがに照れくさいので、そこまでは言わないが。


 フィスクはフィナンシェを口に放り込んだ。ゆっくりと咀嚼しながら、ふっと形の良い眉が上がる。



「……うん。美味い」


「良かった!」



 その後、フィスクと一緒に食事をして。他愛のない話をして。シャイラは椅子に、フィスクはベッドに、定位置となった場所に座って。アネモネを見ながら、何でもないように尋ねてみた。



「私がいない時はどうやって過ごしてるの?」



 シャイラとしては、一歩踏み込んだだけのつもりだった。ただの世間話の延長線で、少しだけ、前に進んでみようと。


 フィスクの顔が曇ったのを見て、あまり良くない質問だったのだと気が付いた。



「あ、ごめんなさい。答えたくないなら、別に……。ただ、」



 違うの、と訂正しようとして。ずっと心の奥底に横たわっていた思いが、口をついて飛び出した。



「ただ、ここから出たいと思わないのかなって」



 だって、誰だって気になるはずだ。何もない部屋で、一人きりで。訪れる人は限られている。誰にも彼の存在を漏らしてはならないと、徹底的に秘匿され。


 それは、隣の塔に大切にしまい込まれていた宝物と、一体何が違うのだ。いや、もしかしたらアロシアにとっては、フィスクと宝物は大して変わらないのかもしれない。


 フィスクは何かを言い淀んでいるようだった。


 揺れている。彼の体を撫で落ちる空色が、ゆらゆらと。



「俺は」



 ほんの僅か、掠れて尖った声が、どうしようもなく揺れていた。



「待っているんだ」



 何を。


 瞬間的にシャイラの脳裏に閃いたのは、全身を血で赤く染めて倒れたフィスクの姿だった。



「……死んでしまうのを?」



 ハッと口を押えても、もう遅かった。


 ぎらりとシャイラを貫いたフィスクの視線に、稲妻が走り抜けた。



「お前、何を知っている」


「私は何も、」



 そうだ、何も知らない。だから知りたくて、フィスクに近づいた。なのに。


 ベッドから立ち上がったフィスクが、シャイラから離れるように足を引いた。



「何故、俺がもうすぐ死ぬことを、知っているんだ」



 ――そう叫びたいのはシャイラの方だ。



「まって、違う、おねがい」



 フィスクは知っているのだ。この先何が起きるのか。未来に何が待ち受けているのか。


 その悲劇的な未来を変えたいと、願っただけだった。



「お前は、誰に対しても同じなんだと……、だから、安心していた、のに」



 あの日、あの場所で、誰かに殺されていたフィスク。


 今、目の前にいる彼は、初めて会った頃と同じ人形のような顔で、シャイラを見つめている。稲妻が消えて、虚ろなだけの灰色の瞳で。



「奴の手先ではないのだろうと、そう、思いかけていたのに」



 ――悲劇的な未来を変えたいと、願っただけだった。


 何もかもを諦めたような、こんな顔をさせたい訳じゃなかった。


 うまく言葉を選べず声を詰まらせるシャイラに、フィスクはまっすぐ扉を指さした。


 彼はきっともう、シャイラがこの部屋を出入りするのを、手伝ってはくれない。


 呆然と立ち尽くしていると、色のない声が投げかけられた。



「出て行ってくれ」



 中身のないバスケットを掴んだのは、ほとんど無意識の動作だった。扉を床から引き剥がすように開けて、梯子も使わず飛び降りる。


 少しだけでも、フィスクと仲良くなれたと思っていた。このままいけば、多少なりとも彼を救う手掛かりを掴めると。


 それが、思い上がった愚かな考えだったのだと。


 想像もしていなかったなんて、言い訳にもならないのだ。

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