第21話 一歩踏み込んで

 シーレシアの街並みに、彩りが増え始めた。普段は武骨で荒削りな石組みの建物に色とりどりの旗が立てられ、道行く人々の頭上にはロープが張り巡らされて、思い思いの形をした手作りのランタンがたくさんぶら下がっている。


 もうすぐ、年に一度の「精霊祭」がある。シーレシアの真上に浮かぶ、巨大な雲。その中には精霊界に繋がる入り口があるとされており、祭りの日はその雲がすぐ近くまで降りてくるのだ。


 シーレシアが、帝都よりも強い加護を受けるとされる所以だ。


 この祭りの日は、腕試しの大会や捕獲された魔物との試合が開かれる。大会に参加しない住人達も、街の至る所で酔っぱらって喧嘩を始め、それを肴に盛り上がるのだ。街中に吊るされるランタンは、夜遅い時間になっても戦い続けられるようにと、子供たちが作ったものだ。


 教会は当然、祭りの準備で大わらわだ。試合に出てくる魔物も、祭官たちが捕獲するのだ。しかし前回もそうだったが、フィスクの近くに控えるシャイラにとって、祭りはあまり関係がない。



「お祭りだからって、花がよく売れるわけでもないのよね」



 ハルクメニアとは違うわ、と母が嘆いていた。祭りの後には飛ぶように薬がなくなるが、そのための薬草はとっくに納品済みだ。



「ハルクメニアだと、どんなお祭りをするの?」



 キッチンに並んで一緒に朝食を作りながら、シャイラは尋ねてみた。片腕が使えないため、料理と言っても手伝い程度だが。


 エリーシャは「そうねえ……」と斜め上を見上げながら考え込む。



「何を育てているかで、街それぞれ違う祭りがあったけど。どこも収穫祭とか、豊穣祭ばかりよ。豊かな大地に感謝して、種を植えたり……、その年に生まれた子牛をお披露目したりね。だから、シーレシアに来て驚いたわ。もう慣れたけど」



 楽しそうに言うエリーシャには、特に気負った様子もない。シャイラはトーストにバターを乗せながら、思い切って更に踏み込んでみる。



「お母さんは、どうしてシーレシアに来たの?」



 これまで、母の過去にはあまり触れたことが無かった。そうすると、父のことまで聞くことになるからだ。


 幼い頃、シャイラは一度だけ父のことを尋ねた。「どうして私にはお父さんがいないの」と。無知ゆえの純粋な疑問だったが、エリーシャが寂しそうに笑ったのを見て悟った。きっと母は、まだ父のことが好きなのだと。


 家にいない父親。見たことのない、存在を知らない父親。エリーシャの記憶の中だけにあるその姿を、いつの間にか忌避していた。


 母親そっくりの、シャイラの顔。金色の瞳だけが母に似ない。


 この目が、嫌いだった。


 母に寂しそうな顔で、「あなたを愛しているから、お父さんじゃなくてあなたを選んだの」と言わせるこの目が。


 だから少しだけ緊張していたのだが、エリーシャは拍子抜けするほどあっけらかんと答えた。



「お母さんの知り合いが、ここで同じように花屋をやってたのよ。家も畑も、その方から譲り受けたのよ。薬草しか売れないとは聞いていたけど、想像以上だったわね」


「そうだったんだ」



 無意識のうちに強張っていた肩から力が抜ける。


 エリーシャは笑って、手の止まっているシャイラの背中を叩いた。



「今日も教会の仕事でしょう? お祭りの準備も手伝うのかしら?」


「お祭りにはあまり関わらないと思うよ。コーニは今年も、挨拶とかしなきゃいけないらしいけど」


「コーニくんも大変ね」



 しみじみとした声で呟いたエリーシャは、ハーブサラダを食卓の真ん中に置いた。



「さて、食べましょう」

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