第8話 フィスクとの対面

 フィスクが呼んでいるからと、シャイラはすぐに塔まで連れてこられた。ここまで先導してきたのは件の従者で、終始不機嫌そうだった。どうやらアロシアに心酔している様子で、シャイラは快く思われていないようだ。


 教会の裏庭には、いくつか塔が立っている。空に住まうとされる風の精霊に近づくため、時の権力者たちがこぞって建築したものだ。そのほとんどはとにかく高さを競うだけのもので、内部はがらんどうになっているものが多い。しかし最上階に祈りのための部屋を設けている塔もあり、フィスクはそのうちの一つで生活していた。


 塔の出入り口は、外から厳重に施錠されている。アロシアの従者は鍵を開け、シャイラを塔の中に押し込んだ。


 彼はそのまま、塔の見張りに立つらしい。シャイラはため息をついて、塔の上部を見上げた。


 塔の壁に沿うように、急な階段が螺旋を描きながら上へと伸びている。上り下りがきつかったなと、ややげんなりしながら足を掛けた。


 細くて頼りない手すりを握り、踏み外さないように気を付けながら階段を昇っていく。頂点に辿り着く頃には、僅かに息が上がっていた。


 天井に設置された跳ね上げ式の扉を見つめて、少しの間、心を落ち着かせる。


 この向こうに、フィスクがいる。


 ノックをしようと背伸びをすると、何の前触れもなく向こう側から扉が開いた。



「遅い」



 四角い穴から、フィスクがこちらを見下ろしていた。


 今日はフードを被っていない。長い髪が垂れて、視界を邪魔しているようだった。フィスクはするりと髪を掬い上げて、耳にかけた。



「早く来い」


「ご、ごめんなさい」



 無造作ながら美しい仕草に見惚れていたシャイラは、慌てて扉に繋がる梯子をよじ登り、フィスクの部屋へ入った。


 記憶にある通りの、そして先日見た通りの、何もない殺風景な部屋だ。家具と呼べるのは壁際のベッドと、一組のテーブルとイス。壁には窓が二つある。普段、何をして過ごしているのか疑問だ。


 頭一つ高い場所にあるフィスクの顔を見上げる。こんなに近い場所で並んだことが無かったから、彼の背が高いことに初めて気が付いた。さりげなさを装って、少し足を引いて距離を取ってしまう。


 そんなシャイラのことは気にも留めずに、フィスクは椅子を引いてそれをベッドに向け、自分はベッドに腰を下ろした。この椅子に座れと言う意味か。


 シャイラが恐る恐る椅子に座ると、それで正解だったらしい。フィスクは無表情のまま口を開いた。



「あの女から何を聞いている?」


「えっと……、世話係として、話し相手をするようにと」


「間違ってはいない」



 あってもいないということか。



「試したいことがある。そのためには、お前が近くにいなければ始まらない」


「試したいこと、ですか?」



 シャイラが首を傾げると、何故かフィスクは顔をしかめた。「えっと……、フィスク、様?」と声を掛ければ、眉間にますます皺が寄った。



「敬語も敬称もいらない。上っ面の敬意もいらない。俺はお前たちのためにここにいる訳じゃない」



 前も似たようなことを言われた覚えがある。シャイラは微かな苦笑を浮かべて、それじゃあ、と頷いた。



「フィスク。私は何をすればいいの?」



 さっさと切り替えられるとは思っていなかったらしい。フィスクはほんの少しだけ目を丸くしてから、元の無表情に戻った。



「特に何もする必要はない。呼んだら部屋の中にいろ。それ以外は好きにしていい。暇なら本でも持ってこい」



 本当に近くにいるだけでいいらしい。会話をする必要もないのなら、予想していたよりは悪くないかもしれない。


 希望的観測でしかないことは分かっているが。



「それと」



 フィスクはじっとシャイラのことを見つめてきた。


 表情が無いと妙な迫力がある。人形じみた美貌も相まって、そうやって見つめられると落ち着かない。



「な、に?」


「……いや。怪我が無かったなら別にいい」



 そう言って、フィスクは自分の手元に目を落とした。


 会話はそこで途切れて、部屋に沈黙が漂う。


 シャイラにとっては慣れた沈黙だった。必要最低限のことすら話さないのがフィスクの常だった。こうして静かに過ぎる時間が、けれど決して嫌いではなかったのだ。


 シャイラは椅子の向きを変えて、テーブルに頬杖をついた。


 フィスクもアロシアも、詳細な情報を明かす気はないようだった。おいそれと人に話せる秘密ではないと分かっているから、シャイラはそれに文句を言うつもりもない。あの日風で飛ばされなければ、フィスクとこうやって顔を合わせることなどなかったはずなのだ。


 けれどシャイラは、既に本人の口からその秘密を聞いてしまっている。


 フィスクが、本物の風の精霊であるということを。


 〈民〉と呼ばれる、人と同じ姿をした精霊がいる。彼らは精霊たちの中でも上位の存在だと言われていて、コーニたち〈精霊の子〉の祖先となったのも〈民〉だ。


 空に住まう者、〈風の民〉はその身に空を宿す。空を切り取ったような髪に、光の加減で表情を変える雲の色をした瞳。そして、背中には純白の翼。


 フィスクの色は、間違いなく〈風の民〉の特徴だ。


 そして、そんな彼が人間を憎んでいることも、シャイラは知っている。



(気遣ってくれたのは、どうしてだろう)



 同じ風の眷属の悪戯で、シャイラが危険な目にあったからだろうか。それとも、シャイラが怪我をしていると、試したいこととやらに不都合でもあるのか。この部屋にいるだけでいいと言ったのに?


 大嫌いな人間が死にかけて、それを助ける理由も気遣う理由も、彼にはないはずなのに。


 それを尋ねるには、二人の距離が遠すぎる。けれど、シャイラは彼に近づくことを望んでいない。


 これ以上踏み込まなければ。何も知らないふりをしていれば。



(本当に、フィスクはあんな終わりを迎えずに済むの?)



 もう遅いと、あの女の声に言われるのが怖くて、シャイラは耳を塞いだ。胸の痛みは知らぬフリをした。

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