メシ

 胡散臭いほどに白を基調とする入国審査室。管理者が傍聴できる様に2階がある筈の高さで隣接する部屋との壁が取っ払ってある。頑張れば隣の会話が聞こえるのだろうかと思われるが抜かりなくそんな事は無い様だ。部屋の中心には石のテーブルと対の二脚の椅子。部屋の隅には書記用の机が有り書生が会話を抜け漏らさぬ様に筆を走らせている。インクが時折飛ぶも青く光って事なきを得ていく。

 テーブルの上には入国用の諸々以外には両手大の袋と水筒のみが置かれている。入国者の持ち物の様でどれも年季が入ってボロボロ、官吏は書類と入国者を交互に見て確認していった。


「 ………本当にヒトですか?」


 官吏の言葉に困った様に入国者の男は頬を掻いた。肩に止まった1羽のコマドリが振動で落ちない様に鉤爪状の足にぎゅっと力を入れる。気弱で口下手そうな男の素振りに官吏は不審の気色を濃くする。が、書類の中の上質に包装された手紙とギルドに所属している事を示す証書を見て深く不快そうに溜息を吐く。浮かぶ懸念を曇らせて何も無い事にしたい様だ。


「世情柄ヒトの方が利便性があるのでしょうな。いや、もちろん入国は許可しますよ、我が陛下直々の手紙があるのですから。魔法が使えない者共が急に魔法を使い出したり、それを魔族の仕業だとかいう民もいる者ですからな」


 流す様に「ありがとうございます」と男は苦笑いを交えながら言った。ふと、部屋の隅が青く光る。書生がインクを飛ばした様だ。


——サルマドーレ!


 コマドリが叫んだ。人の言葉そっくりに鳴いた。眉を顰める官吏。男は嘴を抑え、官吏、書生と視線を移す。なよなよしていた男から打って変わった凄みの聞いた緊張が漏れていた。


「………本当に鳥ですか?」


 生唾呑みおえた官吏の言葉に男はしおらしく「えぇ、ただのトリです」と先ほどの殺気とは打って変わって元の気弱そうに頬を掻いて答えた。



▲▲▲▲▲▲



「ねぇ、アトリ。この子」

「………なんか具合悪そう 」


 気付かなかっただけなのか急変したのか、歩む度に発光する地下道の石畳に照らされた赤ん坊がぐったりと元気が無い事に気づいた兄弟。止まれば闇に飲まれてしまうものだからトーアはその場で足踏み、アトリは赤ん坊の額を触る。ひとまずは病気では無さそうで、そうなるとやはり飯では無いかと目星をつけた。

 幸いな事に今いる場所は地下道の枝道の終わり。もう少し歩けば本流へ合流し、さらにちょっと行けば荷物の受け取り役のジジィ共の屯する地下の大広場。そこまで行けば人もいるだろう、何かしら手に入るだろうか。


「トーア。大丈夫だよ、死にはしないさ。ジジィの所まで行こう」


 こくりと頷いてトーアは足踏みを止めてアトリと連なって歩いていく。少しアトリは足早にあたりをキョロキョロ、ポツポツと本流に近づいていく度に人影が見え出していく。兄弟と同じ稼業なのか大きな荷物を背負っている人。もしくは、この地下道本来の仕事であるゴミの収集らしいソリを引く人。彼らの中に赤ん坊の飯的な物を持ってそうな奴がいないか探している様。

 本流に合流し間も無く何か見つけた様で駆け出したアトリ。背中にリュック背負っているにもかかわらずイタチ並みに早い。トーアは赤ん坊を抱いているのも有ってか付いていく事もできず二、三歩とてとて歩いてその場に諦めて座り込む。光が途絶えぬ様に地面を叩きながら心配そうに赤ん坊を見る。アトリが戻ってくるのを待つ事にした様だ。

 のっそりとした影が点滅しながらトーアに覆い被さった。


「『持たざる者』の子。何をしているんだい? 」

「……キチガイ婆」


 トーアが見上げた先には棕櫚みたいなボロっキレに包まれ異様に輝く眼光。トーアが物心つく前から有名な異常者。自身は魔法が使えると思い込んでいる哀れな老婆。元々上で暮らしていたと言う、その様な事があるわけがない事はまだ生きる事にもおぼつかないトーアにすら解る事も分からなくなってしまった人。つい溢した蔑称にすら気付かない程に妙に上機嫌だ。


「私の魔法で願いを叶えてやるぞ? 」


 いつも以上に自信満々の笑みを携えて詰め寄ってくる。トーアは首を大きく横に振って拒絶する。風切り音がきこえてきそうな程に。アトリを追うのを諦めたのが悔やまれた。遠慮するなとキチバイ婆はより一層と擦り寄ってきた。掃き溜めの中でも異常な臭いが鼻に張り付く様な感覚。いつもならばアトリがあしらってくれるのだが今は居らん……… 。

 赤ん坊を抱いているゆえ立ち上がるのも憚られりて、どうしようと青っ洟をすするトーアの耳に遠くから「トーア」と呼ぶ声が聞こえた。

 トーアは大きく鼻詰まりながら「ここにいるよ」と叫んで答えた。アトリが、二つ——— 正確には3つの影を連れてくる。キチバイ婆の姿を見てアトリは何事かと理解した様でため息を吐いた。


「あっちの方で上の連中が困っていたよ。なんか魔法使いを呼んでいたよ」


 老婆は嬉々としてアトリが指差した「あっち」を見た。一大事、こんな奴らに構ってられんと言わん程に鼻を鳴らしてボロボロと樹皮が剥がれる様に駆けて行った。

 大きく胸を撫で下ろし、トーアはアトリにお礼を言い、連れてきた人たちを見てまた喜んで胸が落っこちていく。トーアと同じ赤ん坊を抱いた女と男、アトリ達兄弟と出会えば話しかけてくれる良い人達。

 女が安らかな笑みと共に、優しくトーアから赤ん坊を受け取って、慣れた手つきであやす。どこか疲れた表情の中まるで恥ずかしそうに赤ん坊はブスッとした。女はトーアの隣に座ってつぎはぎだらけの服を捲り寂しくも膨らんだ乳房を取り出して赤ん坊の口に充てがう。赤ん坊は観念した様に渋々と女の乳房にしゃぶりつく。少し気色が落ち着いた様だ。


「良かった。飯で良かった」


 トーアは感嘆してアトリに言う。

 アトリはトーアの頭を撫で、クライアントから貰った包みをトーアから取り上げる。連れてきた男にアトリは包みを差し出した。解いて中身を改めた男は喜びの表情を浮かべて丁寧に自身の荷物の一つに加えた。


「おばさん達と一緒に居て。ちょっと渡してくるから」


 トーアは安心して「あい」とビシッとおちゃらけて敬礼。もう一度頭を撫でてアトリは赤ん坊を一瞥し、背負っている自身と同じくらいの大きさリュックを一度馬のいななきの様に震わせたかと思ったら、また地下道本流の闇へ消えて行った。

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