アキ
私はヒトである。名前はまだ無い。つい先ほど生まれ落ち、母の顔も見ぬ内に捨てられたからだ。故にヒトであるかも正確なところ不明である。私を取り上げた男の造形、赤ん坊特有のボヤけた輪郭の中の自身の四肢から察する限りではせめてヒトに近しい種族であると思われる。
私は私を「アキ」と名付けよう。ゴミ捨て場の発声も儘ならぬ赤ん坊には不要ではあるのだろうが自己を識別する名称が無いというのはどうもむず痒い。どうせ今生などすぐ幕を閉じることであろうし誰に迷惑が掛かるって訳でも無し、前世で与えてもらっていた名前を再度付ける事にしよう。
今思えば前世の「アキ」は幸福だった。祝福もされていたと思う。少なからず捨てられるという事は無かったから……… 平々凡々に生きていた。日本という国で生きるために何か頑張らねばならぬという事もさして無かった。故に何者にもなれなかった。
だから改めて意識を得た事を尭孝だと思えたのだが……… 何者かに成る以前の現状―― 泡の表面が時折揺れる程度の滑り気のある光しかない場所で静かに朽ちていく――――
――― ハーハッハッハッ!
暗闇に慣れた目が曇る。ファンファーレの様に姦しく響いた笑い声と共に突然、視界が青白い光に塗り潰された。
不慣れな瞳孔が頑張って調光していく中、朧げな眼前にシミの様な影が姿を段々と露わにしていく。
(小人?)
「なんと失敬な。ワ!レ!は!サ!ル!マ!ドーレ!! 魔王じゃ! 」
体に覆い被さった緑色の髪の中でアルビノの蛇みたいな瞳………確かにヒトでは無い様だ。この世界は類人種以外の知的生物が居るみたいだな。だが魔王というのは失笑するしか無い。小人じゃなけれりゃあ見たところまだ二桁もいかない子供では無いか。王として何を統べているっていうんだ?
「ハーハッハッ!本当に失礼な赤ん坊よ。まぁ良い、吾はすごい魔王なのじゃぞ? ――であるからして許してやろうぞ」
前の「アキ」の世と理も生態系が違うのだろうな。だが、言葉を発せずとも意思疎通出来るというのはプライバシーもクソも無いが……… 常識なんて役に立たないらしい。とすれば、目の前のモ●ゾーも姿形で判断するというのは思慮軽薄という事なのだろう。
「意味わからんが理解したようじゃな。聡い事は良いことだ。お前に力を与えるのは面白そうじゃ。何が欲しい?何でも良いから乞うてみい」
えらく気前がいいが、魔王…… 女神なら喜んで頂戴したい所なのだが。
「何も臆する事は無い。多すぎてもあれじゃが……… 時に蛮勇は身を助けることもあるんじゃぞ? 」
駅前のキャッチでも無し、こんな何も無い赤ん坊に何か与えたとてこいつのメリットなんてないじゃあ無いか?
気持ち悪いが………一理は有る。乗っからねば今生の「アキ」は静かに朽ちていくのみの身―――選択肢はハナから無いか………
「そうじゃぞ『アキ』」
なんとも爛々と目を光らせやがる―― まぁ良い。では何を得る? ――――
――――――
「 ———ハーハッハッ!それが欲しいのけ?そういうのは年老いて捨てられた輩が欲しがるものぞ? 」
(似たようなものだ。——くれるのか?)
「ハッ!さもあらず、だ!くれてやるさ!面白そうだ、ついでにサービスしてやろう」
ニンマリ笑いやがって。無邪気な顔。自称魔王のくせして「アキ」以上に赤ん坊の様だな、手をのばして触ろうとしてきて………が泡の中に入ってくるのかな? —— 臭い。膜を破りやがった。空気清浄の力を願った方が良かったかしら?
手が触れた。久しぶりの温かみが伝わる。ここらへんは同じなんだな。どこか安心を思える—— あぁ喜びが伝わる、笑いたくなる。
「——— さぁ、吾は行こう。さらば! 愉快に生きよ」
慌ただしいな、もう視界のはずれまで行ってしまった。水遊びした子供の跡みたいに道を光らせて行ってしまった。
さぁこれからどうするべきか、だんだん腹も減ってきた所、飯は無い。泡は保育器の様な物だったのかもしれない。壊されたのはまずかったのかも……… 。
……… 寝るか。とりあえず。明日からがんばる——
——————
………痛い。
—アトリー!来て!!
そうだろう、スラムみたいな所だ。孤児が居たっておかしく無い。おもちゃにされるのはごめんだが……… なんとも汚い鼻ッタレ。まだ幼稚園児にも満たなそうだ。
「アトリ。どうする?」
兄弟か………羨ましいな。この世界でも愛というものは健在らしい。「アキ」には前も今もあんまり近しい縁には無かった様ではあるが。こうでもなければ微笑ましいと思えるのかもしれん。
無造作に触らないでほしいが、腹が減って気が立っているんだ—— 。あぁどこか連れてってくれるのか。ありがたい事だ。何にも無いからなここには——— もしかすれば孤児院とかでもあるのか?捨てた常識を拾ってみればこんな子供たちが生きていられるんだ………ありそうな気はするが———やめとこう、汚らしい形だ。髪も切った事が無いじゃないのか?誰かしらに管理されているとは到底思えない。
——まぁ、どこでもいいさ。連れて行け。最悪は切り抜けれる力を手に入れたんだからな。あの自称何某が偽りでも無ければ——
「アトリ、なんか落ちている」
「上の奴らの書き損じだろ?珍しく無いさ」
………私のだ。男が最後に入れた紙。手向けの何かだったのかもな。今は不要だ。鼻ッタレは好きなのだろうか?カラスみたいに見入って。欲しいんなら駄賃でやるさ、だから良くしてくれよ———
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