ゴミ捨て穴
青っ洟を垂らした男の子が真っ暗な地下道の片隅に居た。顔に光を灯して興味津々にゴミ捨て穴から捨てられ回収係にすら忘れ去られた一冊の絵本を時折鼻をズズッと鳴らして読んでいる。 「 読んでいる 」というには語弊があった。見た目からして歳は3歳あたりでしかない故、文字なんて読めるはずが無い。いくら魔法技術に特化したこの国の子供だとしてもだ。単純に挿絵の意図も滲んで曖昧になった絵本を「見ている」だけであった。
男の子は没頭して絵本を見続ける。ゴミ捨て穴から何かが落ちて地下道がボンヤリと光を伝えた事にも、大きなリュックを背負った影が鼻ッタレた男の子を飲み込んでいた事にも気づかずに………
「トーア!」
耳元で発せられた大声に一際ズズッと肩ごと鼻を啜った。トーアと呼ばれた男の子が振り返ってみるとアトリがニヤリと笑って頭を撫でた。水が滴る石造りの暗がりで待っていたトーアにとってアトリの手から伝わる温もりがくすぐったい程に心地よいらしくニヒッと笑い声を漏らす。
「ジジィ共に渡たしにいくよ」
アトリが優しく言うとトーアは辿々しく地に手を付いて立ち上がった。閉じても自身と同等程度の大きさの絵本を両手で抱きしめる様に抱えて準備完了と言わんばかりに気をつけしてみせる。アトリは先ほど個人的な報酬として受け取った包みをトーアと絵本の隙間に乗っけ、ポケットから元の色がなんだったかも分からない布っきれを取り出しトーアの青っ洟を取ってやる。
包みから漂う良い匂いはトーアの赤っ鼻をくすぐった。トーアは美味しそうな香りに顔を輝かせる。足を踏み込む度にボンヤリ光るこの地下道みたいに。
アトリがポケットに布っ切れを仕舞うのも待たずトーアは香りに誘われ浮き足だって歩き出す。闇に光の足跡をぼんやり刻みながらアトリ達は地下道を歩いて行った——
▲▲▲▲▲▲
静寂な夜の帷、街は淡い青を基調とした光りに包まれている。「民ハ清潔ヲ心得ル可シ」初代国王の勅令が尚も生き、市民達が建物自体にも衛生魔法を施して水垢一つ付けない様にしているからだ。勅令の「清潔」という言葉には美観も含まているらしく、また魔法によって欠けても自動的に修復されるものだから未だに初代当時に構想・建築された建物だらけ。他国の使者達の間ではこの国の市街を一人で観察出来る事自体が大いなる自慢になる程に国中画一的な街並みが広がっている。
とある邸宅の玄関に初代国王が目指した「清潔」を体現するかの様な男が立っていた。綺麗に整えられた短髪、身を覆う真っ白なローブが青白く光っている所から見ると自身にすらも清潔魔法を施しているのがわかる。勅令で清潔を義務付けられていたとしても普通は自身の衣服に対してまで始終光らせる様な事はしない。彼が無類の国王シンパもしくは潔癖症の完全主義者—— というわけでは無く単に彼が魔法医師で往診に訪れているだけだった。
男はローブのシワを伸ばし咳払いを一つ置いてドアノッカーを静かに鳴らした。男の来訪を待ち侘びていたかの様に慌ただしく扉が開かれ家主らしき若い男が招き入れ、そのまま患者が居るらしい寝室へ誘った。
外からは聞こえなかった女の呻き声が家の中には充満している。患者の声だろう。
「先生……… 」
「喜ばしい事なのですから、焦らずに。
後は任せて水でも飲んでいなさい」
患者の所迄案内さえすれば家主はもう不要である。むしろ邪魔であると言わんばかりに威厳を持った声で魔法医師は言う。家主の男はすごすごと寝室を離れ、残されるのは魔法医師と患者—— 毛布に隠れていてもわかるほどにパンパンに腹を膨らませた臨月の妊婦。
さっそく出産の準備として魔法医師は汗を吹き出す患者を励ましながら落ローブの折り目から魔法陣を自筆で書き溜めたこれまた清潔そうな白染めの革で包んだ手帳を取り出して1ページ程破り取る。毛布と服を剥いて内側から張り詰められて飛び出たヘソのやや下あたりに破った紙を貼り付ける。魔法陣が医師と同じく青く光り、患者の呻きが引いていく。破水した羊水が床やベッドにドロリと溢れるも建物に施された魔法が付着した瞬間にかき消していく、患者の股から光る泡らしきものが膨らんで捻り出されていく。泡は大きく育ち中には赤ん坊。施術開始まもなくも容易に終わり母子の吐息が寝室に充満した。
母体は苦しみから解放された為なのか魔法に鎮静効果があったのだろうか、少女の様に眠りについた。
シャボン玉の揺籠は便利な事に赤ん坊の状態を示すらしく医師は丹念に光具合や膜の揺らめきを観察する。何遍も立ち会っているだろうに何故か医師は何度も見直した。何遍確認してもどうにも期待した結果が観えないらしく、医師はため息をつき別室に待たせた家主の所へ………
家主は医師の影が応接間に踏み込んだのに気づき駆け寄るも医師の表情から何かしら「喜ばしい」事以外があった事に気づいた様で情けない表情を浮かべ「 詰め寄る」に変わる。
「まず、奥様は無事です」
医師の言葉に家主はひとまず安堵。だが、となれば次の言葉は明白であった。
「簡単に申しますと死産となります」
「 そうですか 」と家主は深いため息と共に無意識に医師の胸ぐらを掴んでいた腕が力が抜けた様にストーンと落とした。
「胎児の処理はこちらでやりますので、この家のゴミ捨て穴はどちらになりますかな?」
「台所にあります。 ……先生、最後の別れです。一目我が子を見てもよろしいでしょうか?」
「ご主人。情が湧きます故それはなりません」
冷たく拒絶した医師の言葉に家主は理解したくないが理解せずを得ず家主はスゴスゴと鎖をまかれた囚人の様な足取りで先ほどまで自身で温めていた椅子に戻っていった。
寝室に戻った医師はシャボン玉を器用に操って台所まで運びゴミ捨て穴の前に立った。ローブの切れ目から手帳を弄って破る。書かれた魔法陣を医師は確認し細く丸めてシャボン玉が割れない様にそうっと差し入れた。親の顔すらも知らず穏やかに眠る赤ん坊を一時見つめ、医師はシャボン玉もろとも穴へ放り込んだ———
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