魔王からの贈り物 -アトリ-

グシャガジ

男の子

 月曜日の鐘が鳴りました。じきに男の子がやってきます。玄関からではありません。一般の方々と同じ作法を踏まないのが彼ら「持たざる者」の証なのでしょうか何遍言ってもあの子は使ってくれませんので。では、彼ら専用の入り口があるのかと思われるかもしれませんが、生憎私も一般の人間でしかなく、作業場もとい我が家も一般向けのアパートでしかございませんからそのような設備などはございません。

 じゃあどこなんだいって不思議に思うことでしょう。答えはこのぽっかり地下まで開いたゴミ捨て穴。私自身下に降りたことはございませんが、直下の底辺りに現れては動物を真似た声で来たことを知らせてくれるのです。私が返事を返すとガリガリと穴を削ってひょっこりと小狐の様に出てきます。

 彼は飽き性なのか毎回別の動物を真似て教えてくれます。先週は小熊だったかしら、鐘の音を聞くと次は何かしらとつい思いを馳せてしまいます。そろそろわかることでしょう、私は急いで鐘に驚いて落としてしまったペンを拾い、あの子に渡す紙束をかき集めて革紐でずれないように縛って彼ら専用の入り口前にドサリと置きました。

 いよいよかしら、と私はインクまみれの手で鼻に浮かび上がった皺を念入りに伸ばして待ちました。誰かに見られても良い様に腰に手を充てて痛いふりをすることも忘れません。仔細を知っている同居人達に「恋焦がれ」と勘違いされる事は私自身は一向に構わないのです。むしろおしゃべり好きなあの人達に「言いたいけど言えない」なんていうとんでもない精神的負荷を与えてしまうのがなんとも気掛かりでしょうがないのです。

 穴の底から犬の遠吠えが響いて参りました。いつも不思議ですがゴミにまみれているであろうにあの子の合図が流れるまで全然穴からはゴソゴソとした音は聴こえてきません。存外下は綺麗なのでしょうか?


「はぁい」


 コツコツと穴をよじ登る音が聞こえ、今回は子犬と形容した方がよろしいのでしょう。一度も櫛を通してない様なボサボサな黄金色の髪の毛にまみれた男の子がひょっこりと出て参りました。失礼極まりありませんがせっかく伸ばした鼻の皺がつい濃くなってしまいます。


「今日はこれだけをお願いね」


 男の子はコクリと頷いて自身より何倍も年配そうな革製の大きな背負い袋に私がかき集めた紙束を突っ込んでゆきます。

 

「今日何が欲しいのかしら?」


 我ながら不思議な契約だと思います。普通、報酬は握手する前にすり合わせをするものである事は世間に揉まれる前の私でも知っております。締結してしまった後に「報酬は私 」なんて言われても困りますもの。だけど、それが「持たざる者」達の風習だと斡旋した小父様が言う物ですからしょうがない事なのでしょう。幸い、この国では至る所でこの様な公に出来ない契約が為され未だ公になってないものですから彼等は法外な報酬を求める事はありません。

 男の子はいつもの様にポケットから報酬が書かれたメモを取り出して私に差し出しました。メモには馴染みのある細長の綺麗な文字が並んでいます。起きて寝るまで四六時中書いているものですから私にも自信があるのですがそれ以上に綺麗な文字。自分の名前すら書けなさそうなこの子が書いているとは到底思えません。


「貴方が欲しいものは無いの?」


 私はいつもの様に聞いてみました。もしかしたら彼自身には報酬が与えられていないかもしれません。だって、あまりにも見窄らしい格好なのですもの。後、単にあの子に欲がある事から安心を得たいという俗物的な私の感性から来ている質問でもあるのです。


「食べ物」


 そう、いつもの回答が返ってきました。ころころした子犬の様な声、正確な歳は教えてくれませんが、どうみても5•6歳程度の男の子、彼にとってそれ以上の報酬は無いのでしょう。汚れているのに純な欲に私は遠くに残した弟を思い出し微笑ましく、遊びに来る孫に甘いお婆さんみたいな気持ちになって、私は依頼物なんかよりも念入りに準備していた包みを彼に渡します。

 彼はあいも変わらない燻んだ茶色い目で受け取って、先ほどの皮袋の上に括ります。解ってはいますがこうも変化に乏しいとつい意地悪をしたくなるのはしょうが無いでしょう。男の子って言ってばっかりじゃあしょうがないし。私はメモに書かれた報酬をこれみよがしに纏めて包んで彼に差し出しました。彼が受け取ろうと掴んだ所で


「貴方の名前を教えてくれたらあげるわ」


 もぎ取ろうとする彼の力は案外強く少しよろめいてしまいました。大層必死な顔で男の子はもがきます。よっぽどメモを書いた主が怖いのでしょうか?ならば名前を教えてくれたらいいのに、これも彼等の風習故なのでしょうか、顔見せの際にもこれまでも何回聞いても教えてくれません。言えば身が焼かれるなんてあるのかなと心配になる程です。しかし、彼等は私達と違い魔法は使えないのでありえないのですが。

 唸って奪うのにも疲れた様で男の子は一旦休憩という風に肩を上下させながら睨んで手を離しました。場馴れ、いや存外思慮深いのかもしれませんが男の子はゆったり深く深呼吸。計画を練る様にあたりをキョロキョロみています。

 十分に満足したものですから彼を困らせるのは止めようかしらと思うのですが、どうにも誘惑は強いもので後ろ髪が引かれ煮え切らずにおりました。が流石にこれ以上続けて冗談が本気に取られても困ります。契約不履行時の彼等の噂はおそろしいものですから。彼も絶対名前なんて言わないでしょうし………


「………アトリ」


 歯の隙間から絞り出す様に男の子が言いました。報酬の包みを落とすまま、それよりも突然の事でついこぼしそうになる彼の言葉を必死に掴みました。犬の様に包みに飛びついて掴み、跳ねて背負い袋をからった男の子、きょとんとする私なんて目も暮れずにゴミ捨て穴に飛び込んでいきました。見間違いかもしれません。飛び込んでいく際に見えた横顔にはしてやったりという笑みが浮かんでいた様な———

 私は慌てて、彼の飛び込んだ穴に向かってはしたないのは承知に叫びました。


「冗談だから。また来てね」


 彼等について良くわからない事だらけですが、あの子、もといアトリについて知り得た事がなんとも上々に私はなんだか上機嫌に笑みがこぼれてしまいました。


来週……… とてつもなく先の様に思えてしまいます。

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