あらら、喜七さん。
神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)
第1話
「あんらっ、
久し振りに再会した伯母に、手料理をふるまった。おっ、いつものやつが来るぞ。なんとか笑うのをおさえる。
「勉強が出来ても、料理はわがんないのね。あ、『わがんない』って、こっちの言葉で『ダメ』ってことね」
おやきは、得意料理のはずだった。実家でも、祖父母は喜んで食べていてくれたのだ。そう話すと、伯母は残念そうな表情を浮かべる。
「そりゃあ、あんた。内孫だもの。可愛い孫が作ったモンを不味いとけなすジジババがどごに居るのさ」
「えっ…」
あれは、祖父母のなけなしの教育的配慮だったのか。目尻に涙が浮かぶ。
「あんた、喜七さんなんて、明治生まれのじっちゃみたいな名前ばしてらのに、おやきもろくに作れねえんだな」
だから、わざわざそんな正確に言葉にしなくても…。
「喜七は、長野のひいじいさんの名ですよ。ラッキー7で縁起が良いと言うので、僕の名前に…。まあ、ものすごく発音しにくいんですけどね。大学の友人も、『キシ』とか『シチ』とか適当に呼んでいます」
「ところで、喜七さん。あんた、これを青森のじさまとばさまに食わせたいんだって、言ってらったけど…」
伯母は、皿の上に置かれたおやきに目を落とす。
「悪いごどは言わねえがら、スーパーの前まで行っておやきば買ってこい。あんたのいとこの姉ちゃんが焼いでらから」
そして、財布から出した千円札を手にぎゅっとにぎらせる。
「でも、これから五年間もお世話になるのに、買ってきたものなんて…」
僕は、この春から獣医学部の二年生に進級する。今までの神奈川県に比べれば、家賃は断然安い。しかし、これから獣医師の国家試験を控える身としては、親戚の家に下宿するというのは大変素晴らしく思えた。
「大人の男がいづまでもウジウジとして! 早ぐしろ! 二人とも、デイサービスから帰ってくるべな!」
文字通り、背中を叩かれる。スーパーを目指して、とぼとぼと歩く。
「しかし、伯母さん変なことを言っていたっけな…」
おやきと言ったら、ドラマの「古畑任三郎」に出ていただろうと。昔のドラマだが、再放送で何度も観たことがある。しかし、そんなエピソードがあっただろうか。謎は深まるばかりである。あれは、ちょっとしたスイーツだよとも。ん? スイーツ?
そして、鼻腔をくすぐる甘い香り。
「甘い香り、だと…?」
顔を上げた先、確かにおやきは売られていた。店先には、でかでかと「おやき」と書かれている。そして、その中身はあんこにカスタードクリーム。
「おばちゃんが不味いって言う訳だよ…」
僕は、その場にくずおれた。スマホが鳴る。伯母からのメッセージ。「二人とも帰ってきたよ」ついでに実家の母からのメッセージ。「あなた、青森のみなさんにごちそうするんなら、ちゃんと『これは、長野のおやきです』って紹介しなさいね」とあった。遅いよ、母ちゃん…。
「キシキシ、さっきから何してんの?」
いとこのお姉さんが、心配して僕の顔を覗き込む。
「あの、キシキシは止して下さい。壊れたドアのなりそこないみたいじゃないですか…」
「だって、君の名前、言いにくいんだもん」
それは、知っている。死ぬほど人から言われたし、常に自分でもそう感じている。
「あの、おやき下さい。あんこが三つに、カスタード一つ」
「はい。あんこ二つ、カスタード二つですね。少々、お待ち下さい」
うちの母は若者ぶってるから、カスタードじゃないと怒られるよとのことだった。よかった。また怒られずに済んだ。
「はい、どうぞ」おやきを手渡される。「ラッキー7君」
おやきの温もりをてのひらに、しばし考える。
「あの、せめて、『ナナ』で…」
「違った。アンラッキー7君だよね。おやきだけに」
なんだか新作落語ができそうだ。こっちのキャンパスに、落研はあるかな。目礼して、家路に着いた。
あらら、喜七さん。 神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ) @kamiwosakamariho
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