06 腕立て伏せのやり方



 腕立て伏せのやり方は簡単だ。

 床に腕をついて、上体を起こす。以上!


 が、これはやったことがある人間にだけ伝わるやり方だ。

 イリアに動作説明をしていると「やったことがある」って言うから、やらせてみたら……そらみたことか。


「はい。一旦、止めてー」


「む?」


「キミ、今日は胸を狙ってるんだよ。それじゃあ、肩のちからを使っちゃってる」


 腕立て伏せの初心者がやりがちな間違いだ。


「筋トレっていうのは、ざっくりいうと筋肉を伸ばしたり縮めたりする動きのことなんだけど。今のイリアの動きだと、肩の前側も使ってることになる」


「……?」


「力こぶって分かる? 作ってみて」


 イリアが腕を伸ばした状態から、前腕部分だけを手前側に寄せる。そうすると力こぶが出てくる。

 

「そう。だったら、その力こぶを出すために今なにした?」


「腕を伸ばして……ここだけを縮めた」


「そう。その力こぶっていうのは、その動作で伸び縮みする訳だ。それを胸を鍛えるときには胸筋を、背中を鍛える時は背筋で意識をしたらいい。じゃあ、胸の筋肉がどうやって動くか考えてみようか」


 胸の筋肉ってのは、気をつけの状態から腕をまっすぐに横に伸ばした状態で伸展のびる動作。遠くから走ってくる想い人のハグを待つときのようなポーズだな。十字架っていえばわかりやすいか。


 その逆の動き、つまりは体の前で前ならえをしている状態で収縮ちぢむ動作。この二つの動作で動いている訳だ。


 昔にト◯ロで、黒いモジャモジャを捕まえた小さな女の子の動作だ。「捕まえた、おねえちゃん〜」ってな。あと相撲取りの塵手水もその動作だ。意図してやってるわけじゃないだろうが。


 ジムに行ったことがある人で、チェストプレスマシンを使った時に「谷間を作るように」って言われるのは、谷間を作る時に胸の筋肉を縮ませられるからだ。イメージしやすいしね。

 あ、これ女性に対して使ったら「セクハラ」って言われるかもだから気をつけて。


「そうそう。腕を真横に上げてから、目の前の人を抱きしめるようにする。そうすると、胸も動いてるだろう。その動作をその腕立て伏せの時もするんだけど……」


「肩の力を使ってる?」


「そうなんだよ。ここが難しいポイントだ」


 この動作で使われやすいのが肩の前側の筋肉。フロントだ。

 というのも、先程のイリアがした動作で肩の前側の筋肉も関与してしまうのだ。


 肩の前側の筋肉の動きは、3つある。


 ①肩関節の屈曲:腕を真っ直ぐ下に下ろした状態(伸展動作)から、前に上げる動作(収縮動作)で伸び縮みする。

 ②肩関節の内旋:脇を閉じた状態で「なんでやねん」の動き(伸展動作)から、手を前に戻す動作(収縮動作)で伸び縮み。

 それで、最後の③の水平内転っていう動作でも伸び縮みする。


 この③が、さっき説明した腕を水平上に内側に閉じて、外側に開く動作だ。

 

「肩を使わないためには、脇をとじる必要がある。はい、イリア。動作確認」


「脇を閉じ……というのは」


「じゃあ、真横にバンザイして」


「ン」


「その状態から、ちょっと気持ち手を下げて」


「ン」


「で、肘を曲げて手を前に出す。その状態が脇を閉じてる状態。大体、80度くらいか。その位置を忘れないように、床に手をついて」


 というのも、肩関節は訳だ。なので、こういう風に水平じゃなくすれば、肩関節が関与しにくくなる。


 よくベンチプレスやチェストプレスでトレーナーがとち狂ったように「肩甲骨を寄せて、下ろす。そう、胸を張る感じで」ってバカのひとつ覚えみたいに言うのは、肩の関与を少なくして胸を鍛えたいというのが理由の一つだ。あとは肩甲骨を安定させたり〜ってのがある。理由はたくさんあるが、今はいいだろう。ベンチプレスじゃなくて腕立て伏せだしな。


「じゃあ、行こうか。多分、イリアは無限にできるだろうけど」

 

「何回くらいすればいい?」


「限界まで」


「よしきた」


 そこからイリアと一晩を過ごしたんだが、やはり筋トレは気持ちがいい。

 結局、イリアが無限にできてしまうから途中からいろんな味変をしていった。


 通常の腕立て伏せではなく、足を椅子に乗せた状態で行ったり、片腕だけで行ったり、ついでに二の腕を狙うためにダイヤモンドプッシュアップをしたり、持ち得る知識を総動員して筋トレをしてやった。


「よし、終わり。今日はこの辺にしておこう」


「あぁ! 楽しかったぞ! カシの言うことは新鮮で、面白いことばかりだ。体もなんだか調子がいい」


「だろう。筋トレっていうのは面白いし、新しい刺激との出会いだ」


「この後はどうするんだ!? 戦いに行くのか!?」


「違うぞ。この後は、速やかに栄養補給からの睡眠だ……って」


 あ、飯を食うにしても金が無いんだった。

 不味い……どうする? 筋肉がひな鳥のように餌を求めてる声が聞こえてくるってのに……。


「? どうした、カシ」


「……イリア。筋トレのことや、オレの筋肉の知識を知ってくれたよな」


「あぁ? 最初は何を言ってるかわからんかったが……やってみると楽しかった」


「となると──あぁ、やっぱりだ」


 開いたボードを見て、にやりと笑った。これで栄養補給ができる。

 ──所有MP:290。

 スクロールをして、発見。やはりコレだよな。


「購入、と。もちろん、お決まりのあの味でな」


 チリンッと購入した音が流れ、飯屋のホールに異質なモノが一つ。

 

「それと、これも無いとな。っと」


 追加で購入したのも順調に出てきて、準備完了。

 今、テーブルの上に並べてるのは水とシェイカーと、みんな大好きなアレ。


「カシ、それは……」


「これ? これから無限にお世話になる奴。プロテインだよ」

 

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