第3話 本人に動画を見せてしまった‥‥



 


 彼女は俺に続いて電車を降りてくれたらしい。彼女の後ろでドアの閉まった電車が発車する。


 髪色こそ違うが、氷雨氷海子すあまひみこに似ている彼女の容貌ようぼうに、俺は目眩がした。


 いや、しかし。中の人と会えるわけがない。本物のVTuberがそこにいるはずないだろう、と俺は冷静に考える。


「あなた、同じ学校ですか?もしかして一年生?」


「あ、はい。そうでしっ」


「私も。だからタメで問題ないですよ」


 思わず緊張で噛んでしまった俺を馬鹿にせずに、彼女は微笑んだ。俺は必死にぶんぶんと頭を縦に振る。


「それから、お願いがあるんですけど」


「なに?」


「さっき動画を撮ったって言っていましたよね?それを消して欲しいです」


「え?」


「あの人から特別何かをされた訳ではないし、万が一ネットで私の声を聞かれると困る事情があって‥‥‥」


 あ、もうこれVtuberじゃね?俺は心の奥底で雄叫びをあげた。


 ファンは声を聞いただけで推しを特定することが出来る。別アカウントでも活躍していたVTuberの中の人が、バレてしまった例も少なくない。だから、VTuberは声や顔写真をVTuberの活動以外でネットにあげないように気を配っていると聞いたことがある。


 この声と言い、見た目と言い……


 氷雨氷海子で確定だろう。



 しかし、俺は良識のあるオタク。推しが目の前にいようとも興奮することはない。推しに認知なんてされる必要はないし、推しを困らせることもしたくない。


「それは大丈夫。さっきのはカマかけただけで、本当には撮ってないから」


 推しの心に無駄な患いを持たせるわけにはいかない、と俺はスマホを掲げて電源を入れる。動画は撮っていないと証明するためだ。


 しかし、それがいけなかった。先ほどまで見ていた動画が開きっぱなしになっていたのだ。更にワイヤレスイヤホンの接続が切れていて‥‥‥



『「罵って下さい」?そんな簡単に私に指示できると思わないで下さいません?王女である私に命令なんて、阿呆なのかしら。ど、あ、ほ』



 【悲報】推しの目の前で推しの動画を流してしまう。



 突然自分の声を聞くことになった彼女は、顔を真っ赤にして肩をぷるぷると震わせていた。


「なんで、それ‥‥‥」


「え、あ、いや」


「もしかして、その人のことを知って‥‥‥好きなんですか?」


 彼女の瞳が、不安の感情で揺れている。


 ハッとした。これは、身バレすることを恐れているに違いないと。


「それは違う!!!」


 気づけば、俺は自然と叫びまくし立てていた。


「俺の推しは愛猫ミケであって、この人物のことは初めて知った!俺はミケ以外の配信は見ないし、この動画はたまたま流れてきただけだ」


 とにかく、彼女に身バレの危機感や恐怖心を与えないために必死だった。


 本当は推しに好きだと伝えたい。ずっと応援していたと。スパチャもしたことあるし、配信も追っていると言いたい。


 しかし、顔を隠して活動しているVtuberにとって身バレは最も怖いことの一つのはずだ。

 もしも悪意のあるリスナーが彼女と出会い、彼女の声に気づいて彼女の私生活をネットに晒したら、「氷雨氷海子」のキャリアに傷をつけることになるし、本人の生活を壊すことになる。


 もちろん俺はそんなことはしないが、彼女だって会ったばかりの人間は信用できないはずだ。



 全力で知らないふりするしかない!



 テンションのキマっていた俺は、その時それが最善策だと信じ切ってしまった。


「愛猫ミケのように元気で素直な子の配信を見るのが好きだし、元気をもらえるし。俺はミケを全力で追いたいから‥‥‥」


「ふーん」


 その瞬間、彼女の声色がワントーン下がったのを感じ、俺はようやく口を閉じた。


 勢い任せで言ってしまったが、俺は推しになんて失礼なことを‥‥‥


「それじゃあ、あなたの最推しは愛猫ミケさんなのですか?」


「‥‥‥っああ」


 嘘じゃない。全部本心だ。しかし、言ったことの全てが真実かと問われれば、答えはノーである。


 不機嫌になっていたらどうしようと、彼女の方を窺い見たが、予想に反して彼女は笑みを深くしていた。


「どうしたんだ?」


「いいえ?ただ‥‥‥もっと頑張って思っただけで」


 ふふ、と彼女は妖艶に微笑む。まるで薔薇が咲くような笑みだった。血色のいい唇が弧を描き、危ういほどに美しい。


「ところで、愛猫さんのどこが好きなのですか?」


「え?ええと‥‥‥視聴者に笑顔で挨拶してるところ、とか?」


「あとは?」


「あと‥‥‥?ああ、イラストが上手いところとか尊敬してるな」


「なるほど。ありがとうございます」


 俺はハテナマークを浮かべながら、なんとか答えた。しかし、2番目の推しに1番目の推しの好きなところを聞かれるなんて、どんな特殊プレイなんだ。プレイってなんだ、推しに失礼な。


「それでは。また学校でお会いできたら嬉しいです」


「ああ」


 そう答えつつも、彼女とはもう会うこともないだろうと思っていた。同じ学校にいるなら、時々見かけるが、それだけ。


 推しと喋れるなんて奇跡、二度と起こらないだろう、と。



 しかし。



「ああ、隣の席だったんですね」


「え?さっきの?」


 教室に入り、自分の座席を確認するとその席の隣にいたのは、先ほどの美少女だった。


 人目を惹く容姿は、クラスの視線を集めていた。


 彼女は細い手をこちらに差し出す。


「雨宮美琴です。これからよろしくお願いしますね」


「よろしく‥‥‥」



 また、奇跡が起きてしまった。柔らかい手を握りながら、俺は「これは夢なのか?」とぼんやり考えていた。

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