土曜日
自動ドアが開くと受付のお姉さんに話して面会を許してもらう。
休日ということで人の数は多いが静かだ。
私はとある一室の前で立ち止まり、深呼吸する。
「……すぅーはぁー」
よし。
扉をノックして、反応も待たずに扉をスライドして中へと入っていく。
「あ、こ、こんにちは。おばさん」
「あら、こんにちは」
そこにはベッドに横たわる少女とその傍らに少女の母親が椅子に座っていた。
「あの……これ、持って来たんですけど……」
「あら、綺麗なパンジーね。ありがとう」
私の手に握られていた五色のパンジー15本の束をおばさんに手渡す。
「パンジーが好きだったので……」
部屋の花瓶にはすでにガーベラが刺さっていたがわざわざ私が持って来たパンジーに差し替えてくれる。
「私は少し出てるね。二人で話してて」
そう言うとおばさんは部屋を出ていった。
一人部屋の病室は私のアパートとは違い色鮮やかな装飾が施されていた。彼女が見たらきっと喜ぶだろう。
私はといえば今日は白色の靴下を履き、適当にあった服を着ている。ダサいと言われても仕方がない。
ベッドに近づいて彼女の顔を見る。色々な延命器具が取り付けられていて痛々しい。心電図が今尚山なりを作っている。
私の親友である彼女……あかりはいわゆる植物状態だ。回復の兆しはない。
さっきまでおばさんが座っていた椅子に腰を下ろした。
ーーーーーー
高校生になってあかりがいない生活を経験した。
私とあかりの家は近所で何をするにしても二人で遊んでいた。保育園、小学校、中学校と、他にも友達は作るもやはりあかり以上の友達はできなかった。
だから高校生活は充実していたとはとても思えない。「あかりがいない」それだけで私の心はすっきりしないままだった。
しかし、あかりは違うようだった。
あかりは私の通う第一志望の高校に落ちたものの高校生活を充実させており、私が関わることの方がおこがましいように思えた。
毎日の通話の時、私は話すネタがない。学校に馴染めていないわけではない。ただ味気なく感じてしまい何事にも無関心だった。
あかりは友達についてよく話した。こんな友達ができたとか。一緒にここに行ったとか。こんなことをして遊んだとか。
楽しそうだと何回思ったことか。
私はそれに憧れた。
もともと行きたいと思って入った高校だ。あかりがいなくても大丈夫だと前向きに進んだ。
友達と積極的に絡むようになって、遊びの誘いがあったら断ることはしなかった。
楽しい思い出もたくさんできた。けど、考えてしまう。「ここにあかりがいたらもっと楽しかったのに」と。
高校生活2回目の夏休み。
私はあかりを遊びに誘った。けれどあかりは歯切れの悪い返事を繰り返した。
「ちょっと、その日は友達と遠出するんだ……」
「そっか、しょうがないね」
「また別の日にしよう」
「そうだね」
そんな会話が何度も繰り返された。
一日だけあかりからの通話を取れなかった。
そこからだ。
あかりは疲れているだろうからと、私に気を遣わせて通話の回数を減らしていった。私はそんなことないと言いたかったが、あかり自身が通話の回数を減らしたいと思っているのだと考えてしまい私はあかりの提案を受け入れるしかなかった。
毎日だった通話の回数が二日に一回になり、一週間に一回になり、そして一ヶ月に一回になった。
最近は高校の友達ともうまくいかない。
私は孤独感に苛まれるようになった。
「この前ね四人で京都に行ったんだけどねーー」
やめてよ。
「それでね、すごかった。今度は一緒に行けたらいいね」
期待だけさせないで。高校生になってから一度もあかりと出かけてない。
「そ、そうだね。行きたい」
「うん、行こう!!そういえばさーこの前ーー」
あかりが高校生活を楽しんでいるのは知っているよ。十分。もう痛いよ。
あかりは考えたことない?そこに「私がいたら」って。
私はあるよ。ずっと思ってる。
家は近くだけど、もう気軽に立ち寄っていいところじゃなくなった。
私は辛い。これ以上あかりと離れるのが。
正直、誰でもいいのかもしれない。私の孤独感を埋めてくれるのなら、誰でも。
でもいないんだ。私はあかり以外に。
ねぇ、何を言えばあかりはこっちを向いてくれるの?
「それでーー」
「ねぇ一緒に死のうよ」
あかりは何も聞かず、ただ一言「いいよ」と言った。
日曜日だったと思う。
近所の廃校の屋上まで登って、仲良く手を繋いでいた。
校舎が高い分、眺めがなかなか良かった。
効力のない言葉、だと思っていた。一瞬でもあかりの気をひくためだけの言葉。
けれどあかりは訝しむわけでもなく即答した。
気をひくためだとはいえ、どうして私は死のうなんて言ったのか。今、気づいたけど。あの時私はあかりに止めて欲しかったのだ。
私が弱音を吐けばあかりは同情して私を大切に思ってくれる。
そんな最低な目論見だったはずなのに。
私本当に今から死ぬのかな。
「ねぇ、どうして?」
あかりなら止めてくれると思っていたから、即答した理由を知りたかった。
「私はどうやら君がいないと生きていけないらしい。君が死んだら私は悲しむよ。どんなに着飾っても、さすがに寂しさを紛らわせると思えない」
「……」
なんの恥ずかしげもなく、あかりは普段のあかりらしくそう述べたのだ。
思ってもみない言葉にあっけにとられた。
あかりにとって私はただの幼馴染だと思っていた。昔から仲の良いただの幼馴染だと。けど、私の勘違いだったようだ。
私があかりのことを想っていると同時に、あかりもまた私のことを想っていたのだ。
この嬉しさはなんと表現したらいいんだろう。
ああ、そうだな
ーーもう死んでもいいって思った。
「……嬉しい」
「何が?」
「あかりの中で私という人間を存在させててくれたこと」
「何それ」
「……ねぇ、本当にいいの?」
「いいよ」
私もあかりも前を見た。ぎゅっとお互いの力が片手に入る。そして息を合わせてジャンプした。
一瞬だった。あれだけ高く感じたのに、もう地面が間近だ。
ゴン
そして私の世界は暗闇に染まった。
しかし私は目を覚ましたのだ。
全身が吐きそうなくらい痛くて意識も朦朧としているけれど、確かに生きていた。
ハハって乾いた笑いが出た。
私が死んでいないのだ。ならあかりだって無理だったと思った。
その確認のため、右手に可能な限り力を込めた。ほんの指が動く程度だったけど。
きっと彼女なら「死ななかったね。なら今は死ぬべきじゃないってことだね」なんて言って笑うはずだ。
しかし、あかりが私の手を握り返してくることはなかった。
全治三ヶ月。
警察の人が来て色々聞かれた。親からは怒られることはなく、ただただ抱きしめられた。「ごめん」って何回も言われた。
何とか松葉杖で移動ができるようになった頃、私は一人であかりの病室へと向かった。あの後のあかりの容体は親や看護師さんからは私と同じような状態だと聞かされていたから、早くあかりに会いたかった。きっとまだベッドの上で暇な時間を過ごしているに違いない。
しかし、あかりは目を覚ましてはいなかった。心拍数はあり、呼吸もしている。
植物状態だとその場にいた看護師さんに告げられた。
どうして、どうして私は起きているのに、彼女は起きていないのだろう。
私が死を望んだはずなのに私ではなく彼女がこんな状態になるなんて理不尽だ。
どうして私じゃなかったの?
そこから私は自分に包丁を向けながら生きていた。
あかりからもらった靴下を毎日履いて、あかりを真似たファッションに、あかりの決めた色を身にまとった。まるであかりが過ごした日常を送っているようだった。あかりの言っていたように私は変われた。今までの卑屈な私じゃなくなった。まるであかりのようだ。
できることならずっとあかりのそばにいたいけど、どんな顔をして会えばいい?
どんな理由があれば私はあかりと会うことが許される?
ーーだから私は彼女に会いに行く理由を探している。
「またね」
しばらくあかりの顔を見た後病室を後にする。
すると扉の前におばさんが立っていた。
「あかりとはもういいの?」
「……はい」
「少し、いいかしら?」
私とおばさんは廊下の端まで移動した。
「最近、私たちはどうしたらいいんだろうって考えるのよ。あの子は今も一人で辛くて苦しい闘いをしている。……もう楽にさせてあげたほうがいいんじゃないかって思ってしまうの。もちろん私たちはどんな姿になってもあの子に生きて欲しいと思ってる。けどそれはあの子に苦しい思いをさせるだけなんじゃないかって。あの子がもし「もういい」って、そう望むなら私たちはその願いを叶えてあげることが、私たちの出来ることなんじゃないかって……」
なんて答えればいいのだろうか。私が意見を言える立場にはない。
それはおばさんもわかってるだろうに。
「……私はあかりに生きて欲しいです」
ちゃんと聞こえただろうか。私が口にするのはとても恐ろしい言葉。声も震えていた。
「そう……私もあかりには生きて欲しいと思う」
「はい……」
「ならもうこんなことはやめて」
「……」
「もう色々理由をつけて面会には来ないで」
おばさんがそう言うのはもっともだ。私が元凶なのだから。
「あなたが罪の意識から気軽にここに来れないのは知ってる。月に一度病院にあかりの入院費を置いていくのも知っている。何回も私とお父さんはあなたについて話し合ったの。離れさせた方がいいんじゃないかって。でもその度にあかりのことを思い出すの。小さい頃からあなたはあかりと一緒にいて、高校では離れてしまったけど、いつもあかりはあなたの話をしていたの。だからあなたを遠ざけることがさらにあの子を苦しめることなんじゃないかって……」
「……」
「ねぇ、あなたが自分の犯したことを悔いているのなら毎日ここに来てあかりの顔を見てよ。それがあなたの最低限の償い方だと思うわ」
そんな都合のいい償い方があっていいのだろうか。
嬉しくないといえば嘘になる。あかりのそばにいたい。それは私が常に考えていたことだ。
しかしそれはダメなのだ。
全ての原因は私にある。私が辛くならなければ意味がない。私は楽になってはいけない。
「……いえ、わたしは……」
今まで通りでいい。
両親が私の大学進学のために用意してくれたお金と私のバイト代をあかりの家に収め、理由がない限りあかりとは面会しない。
それが私の償いだ。
「あなたが何を望もうと、私たちはこれを譲ることはありません」
「私は報いを受けなければなりません」
「だから、その報いをここで受けない。毎日、雨が降ろうとも、風が強くても、毎日、決して欠かさずにここ来なさい」
…………
…………いいのか、それが許されて。
「もう一度言うわ。毎日ここに来なさい」
「……は、い」
「私はあの子の親だからあの子のことを第一に考えるわ」
私は泣き崩れた。泣いて、泣いて、泣きまくった。
おばさんはいつしかいなくなっていて、見知った看護師さんが私の背中をさすってくれていた。
自力で立ち上がり、あかりの病室の前で立ち止まった。
「……また明日来るね」
扉の前でそう呟き、病院を後にした。
私のくつ下の話 平椋 @kangaeruhito
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