第 23 幕 愚者の太陽 I
「ねぇ、これってどういうことなの?メイソン」
普段の優しげな様子とは似ても似つかない、周囲の空気をひりつかせるような圧を込めて、フレディがメイソンへと詰め寄っていた。
それに怯むことなく淡々と館内の掃除を進めるメイソンを追撃しようとでもしているのか、アリアもまたフレディの足元であどけない睨みを効かせている。
「これ……とは?」
「惚けないでよ。ルークス・ロペス君の件、僕達に届いててメイソンが知らない筈が無いでしょう」
ルークスよりも黄みがかった緑の瞳を鋭く向け、フレディは忌々しげに吐き捨てるように言った。
「人殺しを易々と入れるなんて、ベネヌムギロティナはどうなってるの本当……悪食らしいから僕がフォローしなきゃって色々考えてたのにこれ?最悪だよ、フィーやアーニーにも会わせちゃったし、何かもう既に悪い影響とか……」
「フレディ、フレディ、落ち着いて?」
矢継ぎ早にそう捲し立てるフレディの肩に、彼の友人が穏やかに触れる。
しかし、いつものように深呼吸を勧めるアーニーの声で、フレディの気が収まることはなかった。
メイソンに向けていた身体を翻すと、逆にアーニーを諭そうとでもするように肩を掴み返す。
「アーニーもだよ?アーニーも……いや、寧ろアーニーこそ悪い影響を受けちゃったかもしれない。アーニーは凄く優しくていい人、でもだからこそ簡単に心を開きすぎちゃうんだよ」
「……ねぇ、フレディ」
「そう!そうよ!フィーだって最近変なのよ、今日だってルークスの様子を見に行くとか言って、館を出て行っちゃったんだもの!」
「ほら、アリアの言う通り……えっ?」
下から割って入ったアリアの声に、フレディが固まった。
「え……待って、フィーが何処に行ったって?」
「ベネヌム館!」
「誰に、会いに?」
「ルークス君……」
知らないのはフレディだけだったのか、アリアに次いでアーニーも事実を伝えてくる。
数秒後、漸く事態を理解したらしいフレディが、二人の間を抜けて身支度を整えに走った。
顔を見合わせる二人の横を息を切らして走り抜けると、玄関の扉を開けながら叫ぶ。
「ちょっ……と!フィーの様子見に行ってくるね!」
「フレディ」
すると、今まで何も返答しなかったメイソンが、突然フレディの名を呼んだ。
「確かに、ルークスさんの件は大変な事態ではあります。けれど、これを機に私達も変われるような……変わらなければならないのかもしれないと、そう思うのです」
怪訝そうに振り返ったフレディが、それに何か返そうとする。
しかし結局は諦め、呆れた表情でラメティシィ館を去っていってしまった。
熱く乾いた身体に触れた冷たさに、ルークスは眉を寄せて瞼を開く。
ベネヌム館の中庭にぐったりと倒れ込んだ彼に、マーシャが飲み水を差し出していた。
飲み口から滴る一滴の雫が、ルークスの頬に落ちてきたらしい。
疲れ切った体に鞭打ち、マーシャが機嫌を損ねてしまう前にと上体を起こした。
「トレーニングお疲れ様。貴方には相当堪えたんじゃない?」
「うん、かなり……体の芯まで疲労を感じるよ」
彼女から飲み物を受け取りながら、ルークスは力ない笑みを浮かべる。
喉をならして水分補給するルークスの傍でかがみ込むと、マーシャは汗を拭くための布を彼の頭にかけてやった。
しかもついでに、さり気なく彼の頭をなでてやっている。
「がんばったら、何か美味しいものあげるわよ」
「やった〜……と、言いたいところだけど、ちょっと暫くは胃が受け付けそうに無いや」
「ん?ちゃんとご飯は食べてもらうよ」
明らかに弱ってしまっている胃腸を守ろうと、マーシャの提案を受け流すルークスの元に、後ろで控えていたエラの容赦ない命令が下った。
青ざめた顔を緩慢な動作で向ける彼に、エラはやけに整った笑みを見せる。
そして、いつから手にしていたのか、背に隠していたらしき木のボウルを顔の横に掲げてみせた。
「え、エラさんそれは」
「君はよく頑張ってくれているし、戦闘センスも高いけれど、如何せん身体が脆い。もっと栄養を取らせないとね……と、いうことで今日もこれを食べきってもらうよ」
マーシャが何だ何だとボウルを覗き込めば、ぎっしりと詰められた料理らしきもの(見た目と香りから、全粒粉と肉を混ぜて焼いたもののようだ)が目に入る。
普段のルークスであれば簡単に食べ切れそうなものだが、本人の訴える通り胃が弱っているのだろう。
二人のやり取りからするに、昨日一昨日も無理やり食べさせたのかもしれない。
「落ちっついてから?頂きますので、一旦それをしまってくれませんか?」
「良いよ。でもちゃあんと食べるようにね」
無視すれば確実に罰が下るであろうエラからの命令に、ルークスは必死に頷きを返す。
これは食卓に置いておくからね、と言い残し去って行くエラを見届け、ルークスはようやく肩の力を抜いた。
濁った空を見上げ、マーシャにのみ聞こえる程度の音量で呟く。
「トレーニングは俺が死ぬ気でやれば何とかなるとして……肝心なのは、俺が処刑に携わることを
「死ななければ何とかなるわよ。死ななければね」
あっけらかんとそう返すマーシャの横顔を、ルークスは複雑そうな面持ちで伺う。
ルークスがマーシャとした契約、約束の内容は、マーシャがルークスを協力者にする代わりに、ルークスが死を免れて復讐を果たすためのす手引きをする、そして最後には本来死ぬ筈だったルークスが生き延びる代わりに、マーシャが命を落とすというもの。
互いの目的と命を賭けた、危険すぎる取引。
自らそれを提案し、最後には自身の死が待っている筈のそれに向かうマーシャの瞳は、何時だって爛々と輝いていた。
彼女は以前、ルークスのことを狂っていると嫌悪感を顕にしたが、彼女のほうがよっぽど物狂いでないのかと彼は思う。
そんな彼女が ” 死ななければ何とかなる ” と口にするのは如何なものなのか。
やっと回復してきた身体で、ルークスはよろけながらも立ち上がる。
「トレーニング中にさ、エラさんからもっと身体つくれって言われちゃった。今の俺は訓練中にうっかり殺しそうで怖いんだって」
「大問題じゃない」
「うん、だから……」
取り敢えずアレを食べ切る努力はしなければ。
そうルークスが続けようとした、次の瞬間。
「ルークスっ、今日のトレーニングはもう終わったんか?」
とても明るく優しい声が、ルークスの背後からかけられた。
「うわ゛あっ!?」
「うぉ!?」
ルークスの吃驚声に驚いたのか、声の主もつられて大きな声を上げる。
脈打つ心臓を押さえ、目を白黒させながらルークスが振り向くと、そこには以前と変わらぬ笑顔で彼に笑いかけるマウイがいた。
「あ、マウイじゃない!もう怪我は大丈夫なの?」
「僕ん頑丈さ舐めてもらっちゃ困るさ!」
身体をガチガチにしているルークスとは対象的に、二人は楽しげに会話を始める。
少し前であったならその様子を笑顔で眺めていたルークスだが、今はそれさえも憚られた。
二人が会話に夢中になっているうちに退散しようと、ゆっくり後退し始める。
「それより、ルークスは体調大丈夫か?」
しかし、戦闘慣れしたマウイの感覚からルークスが逃げ出せる訳もなかった。
マウイは善意しか感じない表情で、戸惑うルークスに近づいていく。
「暫く牢屋入っとったんやろ?大変やったろうし、トレーニングは大事ばってん、もう少し休んだっちゃ良かて思うけどな……」
「あ、あの」
「あぁ、傷んことなら気にせんで。もうすっかり元気やけんな!」
ルークスを安心させようとしているのか、マウイは快活に笑って腕を回してみせた。
嬉しそうに近づくマウイに対し、ルークスの顔色はどんどん悪くなっていく。
「ルークス?大丈……」
「ひっ……!」
心配そうなマウイの声。
それを耳にしたのと同時にルークスは自身から冷や汗が吹き出すのを感じ、身体を縛っていた緊張感のまま、その場から方向転換し走り逃げてしまった。
「ルークス!?」
取り残されたマウイが心配の色そのまま、マーシャが怒りを混ぜて彼の名前を呼ぶ。
疲弊しているルークスの走りは遅い、マウイが駆け出せば直ぐに追いつけてしまうだろう。
にも関わらず、マウイはルークスの走り去った方向を眺めるのみで動こうとしない。
「逃げられてしもうた……僕、何か間違えてしもうたん……?」
ぼんやりとそう呟くマウイにマーシャは暫く目線を送っていたが、やがて痺れを切らしたようにルークスを追いかけ始めた。
右から左へ、マーシャの軽い足音が抜けていく。
精一杯に体を縮めたルークスは、二階へと上がる階段の影に身を隠していた。
乱れそうになる呼吸を抑え込み、ゆっくりと心を落ち着ける。
(自分の人生から、逃げるな……逃げるな?厳しくないか?)
マーシャの言葉をまじないのように反芻するも、途中で自我が出てきて邪魔をしてしまった。
(だって、俺一人ならともかくマウイさんは切られたんだよ?俺に。今はああやって優しく声をかけてくれたけど、きっと内心しんどい筈だ……これ以上、関わるべきじゃない)
視界がにじみ始めるのを感じ、ルークスはきつくきつく目を瞑る。
泣く資格などないというのに、いくら集中しようが涙腺は締まってくれない。
仕方がないので溢れる度に服の布地で吸い取っていると、やがてルークスの背に、一つの大きな影が差し――――
「見つけたっ!」
「え」
跳ねた声とともに、抵抗する間もなく背後から捕まってしまった。
「こんなところに隠れるなんて、みっともないわよ」
流石にルークスでも、マーシャの細腕を振りほどけない程非力ではない。
非力ではないが、下手に動いて彼女に怪我でもさせれば大変なことになるため、暴れるわけにはいかなかった。
「離してよマーシャちゃんっ、離せぇー!」
「だめ」
「ようやった!」
「マウイさん来ちゃったし!!」
そんな、羽交い締めされたルークスを中心として騒ぐ三人に、ロンドは遠くから視線をやる。
そして三人の様子に何か思うところがあったのか、その表情を確かに陰らせてその場を離れていった。
「こっちです、処刑員さん!」
声を裏返して叫びながら、住民がポプリの手をひいて走っていく。
既に離れた場所に退避した人々の間を抜けながら、ポプリは真剣な表情で、自らを導く住民に問いかけた。
「にげおくれた ひと は?」
「外にいた人は素早く退避できました……でも、屋内の者はわかりません!」
「わかった、しんごう は だれ か とばした?」
「信号……まだ、飛んでいない筈です」
ポプリは大きく一つ頷くと、スピードを上げて住民を追い抜いていく。
そうして近くにある信号用の絡繰りに手をかけると、勢い良くレバーを引いた。
モルス発生を伝えるための信号弾が、空を染める。
ウォルテクスでモルスが発生したら出来る限り迅速に信号弾を発射し、それを見張り役が確認ししだいギロティナ館の鐘を鳴らす。
それが、ここでの決まりなのだ。
信号弾が無事に上がったことを確認すると、ポプリは直ぐにモルスの元へと向かって行く。
増援が間に合ってくれるのが一番だが、如何せん人手不足のため遅くなることも多い。
少しでも被害を食い止めるため、ポプリは黒の蔦を纏わせモルスの前へ躍り出た。
(このモルスは……ちゅうがた、ひかくてき ひと に かたち は ちかい。あとは)
処刑人の生存率を高めるためにも、相対するモルスの観察は大切だ。
今回のモルスは然程大きくないが、武器らしきものが身体からせり出しているため、そこそこに危険そうだった。
もしもマウイがモルスとなってしまったら、こんな見た目なのだろうか。
そんな考えが頭によぎり、ポプリは思わず歯を食いしばった。
モルスを警戒しつつ、声を出して逃げ遅れた人がいないか探す。
「だれかいる!?モルスがあばれてる、でてこないで できるだけ おく に……」
「大丈夫大丈夫、ちゃんと伝えておいたよ〜」
ポプリが周辺の家屋に向かって呼びかけた途端、頭上から聞き慣れぬ声が降り注いできた。
はっとして顔を上げてみれば、顔を覆い隠した黒服という、いかにも怪しい出で立ちの者がポプリを見下ろしている。
既にピースアニマを使用しているのか、憑依のものらしき耳と尻尾が浮いていた。
「……ありがとう、きけんだから あなた も にげて」
「ご心配には及ばないよ。ボクはミシェレの黒猫、手伝ってあげようか?」
「ミシェレ?」
エラ達からミシェレのことを聞かされていたポプリは、その言葉に警戒を強める。
しかも黒猫を名乗る人物といえば、以前のパーティーでモルスの遺体を窃盗した容疑がかかっている筈だ。
「ひとのからだを、かって に もっていく ような ひと の たすけ は いらない」
「そう?じゃ、あれは?」
「え」
大袈裟な動作で首を傾げる黒猫の視線を追ってみると、そこには鎖に繋がれたままの犬が座り込んでいた。
尻尾を脚の間に挟み込み、震えている犬の元へモルスが進んでいく。
「君だけで間に合う?それとも、見捨てるのかな」
ポプリが咄嗟にピーズアニマを伸ばすも、焦りのせいで射程が定まらない。
駆け出したところで、目の前を阻む多くの遮蔽物の前ではスピードも出せないだろう。
そしてとうとう、モルスの目がしっかりと犬を捉える。
「ほら、駄目じゃんね」
嘲笑の色を乗せた声とともに、黒猫はモルスめがけて飛び降りる。
あんな高さから、とポプリは驚きを顔にするが、黒猫は高さなどものともせずにモルスの背中へと着地すると、そのままモルスの肩を掴んで重心を崩した。
その隙に、ポプリは鎖が繋がれた杭を破壊し犬を救出する。
モルスを黒猫に任せ、犬を退避させるポプリの後ろ姿に、黒猫はほくそ笑んでいた。
ベネヌムギロティナ館の前で、フィーは深呼吸を繰り返す。
勢いのままラメティシィを飛び出してきてしまったものの、この中にルークスがいるのだと思うと、緊張でどうしても息が詰まってしまう。
何度も扉横のベルを鳴らそうと手を伸ばすが、やはり危害を加えられるかもしれないという不安で踏み切れなかった。
(でも、私にも何か出来るかもしれないし、伝えたいこともあるし)
フェリシテは柔らかな両頬を叩き、覚悟を決めてベルの紐を引いた。
「待って待って待って」
「お、落ち着けルークス。大丈夫やけん……」
近づいてくるマウイから逃れようと、ルークスは拘束されたまま顔を逸し続けていた。
もはや首の角度が限界を超しているがそんなことはどうでもいい。
「ほんなこつ、怒ってな……ルークス?首に……?」
揺れるオレンジ色の髪の間から覗く傷に、マウイは目を見開いた。
幅は小さいものの深く、痛々しい。
マウイの反応にルークスも顔を引き攣らせ、強引に引き抜いた手で首を覆った。
「痛そうばい……目立つ場所に傷跡残っちゃいそうだな。包帯とか巻かんで良かとか?」
「も、もう手当てはしてもらいましたから」
「ばってん、ルークス……」
「……触るなっ!!」
伸ばしたマウイの手が、勢いよくはたき落とされる。
「あ」
我に返り、悲痛な色を浮かばせたルークスが立ち尽くしていると、声を聞きつけたエラが皆の元へと向かってきた。
「何か問題!?」
黙って震えているルークスを見るや、エラは彼を拘束しようと手を伸ばす。
しかしそれよりも僅かに早く、マウイがルークスを庇うようにして立ち塞がった。
「違う!いや、違うちゅうか……ルークスには何にもされとらん!僕がえずがらせちっただけや(※えずい→怖い)」
「そうか?下手に庇ってもルークス君のためにはならないぞ?」
「本当んことだ、信じてくれ!」
言い合う二人を前にしても、ルークスは自らの足元を見下ろすことしかできない。
発する言葉を決められない口は、細かく震えていた。
(マーシャちゃんとの約束のためにも、ちゃんと、ちゃんと、出来るようにならなきゃ……なのに)
ぐるぐる、ぐるぐる。
ぱちっ
堂々巡りの思考が、ある刺激をきっかけに霧散する。
鼻へ抜けた不吉な香りに、ルークスは挙動不審にあたりを見渡した。
「ルークス……?どうしたの」
「嫌な感じが、する」
「嫌な感じって……」
まさか、とマーシャが口を開いた瞬間、モルス発見を示す鐘が響き渡った。
「マウイ!君も出られるか!?」
「勿論!」
直ぐに二人は言い合いを止め、手早く出動の準備を済ませていく。
普段ならば場所の情報が伝わってくるはずなのだが、今回はやけにそれが遅い。
「……出られるな!?」
「お、おう!」
とはいえ、情報もなしに飛び出してはかえって処置が遅れる可能性がある。
そんな出るに出られず落ち着きがない二人の横を、赤髪が全力で駆け抜けていった。
あまりにも唐突な行動に目を丸くするマウイの手を掴み、エラは直ぐにルークスの後を追い始める。
何の説明もないまま引っ張られたにも関わらず、マウイも何かを察したようで、その手に武器を生成しながら駆け出していた。
息を切らしたルークスが、ギロティナ館の扉を開け放つ。
そこには、巨大なモルスの前で縮こまるフィーの姿があった。
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