第 22 幕 狼と首輪 Ⅱ
重く大きな扉が、音を立てて開いていく。
もう何回と聞いたはずのそれが、今のルークスにはやけに長く、恐ろしく感じられた。
しかし、今やルークスは怯えていられる立場ではない。
血が滲み出しそうなほどに拳を握りしめ、懸命に身体の震えを抑え込んだ。
「戻ったわよ、皆」
館内に響き渡るマーシャの声に、待機していたらしい処刑員達の視線が一斉に集中する。
鋭い警戒心と敵意を向けられ、ルークスの肌がぞくりと粟だった。
「無事に連れてこれたみたいで良かった。それで……」
「まずは話し合いつつ、ルークスを休ませる予定。近々ルークスのトレーニングも始められるように、準備お願いね」
ただ一人、二人へと近づいたエラがマーシャへと話しかける。
ルークスの方へも一度視線を向けたものの、ただ確認しただけだったのか、一瞬で無感情に目をそらされてしまった。
「じゃあ、私もその方面で用意を始めるわね。約束通り、ルークス君のことはきちんとしつ……お世話するように」
マーシャは自信満々に頷くと、ルークスの腕を強く引き、彼の部屋へと走り込んでいく。
共に走るルークスの視界を何度も処刑員の面々がかすめたが、誰とも目を合わせぬようにと、ルークスはマーシャに掴まれた腕だけに目を向けていた。
「…………」
「……」
「ほら、君達は仕事だよ!何時までもボーっとしない!」
ルークス達が走り去っても未だ押し黙ったままの処刑員達に、エラが指示を出し始める。
部屋のドアが閉まる直前、ルークスの耳にはロンドがパトロール、ポプリが待機、そしてエラはマウイの看病につくといった内容が聞こえてきた。
彼の脳裏に、見窄らしいベッドの上で苦しんでいたマウイの姿が瞬く。
わかっていた、確かにわかっていたのに。
(会う資格なんて、もう、無い)
悲壮な様子で唇を噛むルークスをマンサナは静かに一瞥すると、さも当たり前かのように彼のベッドに腰掛けた。
「貴方の部屋、本当に殺風景ね?それなりに給金は渡されていた筈だけれど」
最低限の家具、そして皆からの貰い物程度しか置かれていない彼の部屋に、マーシャはそう言って両手を上げてみせる。
そんなマーシャに機嫌を損ねたのか、ルークスは以前よりもやや粗雑な動作で頭を掻いた。
「そのうち死ぬつもりだったんだから、これで充分でしょ?お金はチェストの上に置いておいたし……あれ、なんで回収してないの?」
「なんで?って、アレは貴方が働いて得た報酬よ。それに、回収しちゃったら全部ギロティナの資金に統合されちゃうし……だから」
マーシャはベッドの橋に腰掛けたまま、ルークスに財布を持ってこさせる。
ひらひらと得意げにそれを振ってみせると、愉快そうに笑みを浮かべた。
「この貯蓄はルークス費として、私が管理するわ」
「活動資金ってこと?全然構わないけど……」
「良かったわね、ルークス。貴方が倹約家だったおかげで、私のお財布がまた潤ったわよ」
「流石金持ちの娘、やり方が違うね。それで?」
最早自身の所得については興味がないのか、ルークスは軽く皮肉を吐くのみであっさりとそれを認める。
とにかく話を進めたそうなルークスに、マーシャも静かに笑顔を消した。
「貴方にお願いすることだけれど、今はまだ一部しか伝えられない。どうしても達成したいそれへの道のりが、まだ不確かなのよ」
先程の様子とはうって変わり、真剣な面持ちの彼女に、ルークスの気も引き締まる。
「不確か……ってことは、俺はまず道のりを探ればいいの?」
「察しが良くて助かるわ。勿論、貴方に直接探ってほしい事柄もある。けれど、その中にはベネヌムの機密事項になるようなものもあるのよ。そればかりは貴方じゃ厳しいでしょう?だから……」
そこまで言い切ると、マーシャは軽やかに寝台から降りると、ルークスの前、至近距離まで歩み寄った。
そしてあの満月の晩と同じ、歳不相応な怪しい笑みで、ルークスの胸板へと指を立てる。
「貴方の最初の役目は、文字通り私の道具になることよ。ギロティナで功績を上げて、お父様に信用されるために……私の武器として、犬として、モルスを滅しなさい」
「……犬、ね」
少し鬱陶しそうにマーシャの指を振り払い、ルークスは横を向いて襟を整えた。
「何よ、文句あるの?」
「無いよ。でも、犬って呼ぶのはやめてよね、犬は嫌いなんだ」
「へぇ、アレは嘘じゃなかったのね」
犬のピーズアニマを使っていたから、てっきり平気なのかと思った
そう続けかけたところで、マーシャは口をつぐむ。
どこを見ているのかも定かでないルークスの瞳が、爛々と光り輝いていた。
瞳孔も開き始め、段々と危うげな様子となっていく。
そんな彼の姿を見て、マーシャは
「……ルークスっ!」
「いっ!?」
思い切り、彼の頭を叩いた。
「え?えっ?」
「話し中に別のことを考えるなんて、躾がなってない狼ね」
混乱し、頻りに辺りを見渡すルークスに、マーシャは一つため息を吐く。
(”犬” っていうのは、想像以上にNGワードみたい。私は別にこだわり無いけど、エラやマウイにこのことは伝えておかないとね。ロンドには……急ぐことはなさそう)
あの騒動以前と比べて、確実に不安定になっている彼が問題を起こさぬよう、気を配ることもマーシャの役目の一つだ。
とはいえ、今の今までそんなことは形式上だけで良いだろう、と軽く見ていたマーシャにとって、素のルークスがこんなに面倒そうな人……いや、モンストルムだなんてことは全くの予想外。
またとない好機、しかしよりにもよって駒はこの男……
(不味いわね、ちょっと不安になってきたわ。でも、やらなくっちゃ)
未だ混乱が抜け切らないのか、今度は弱々しくマーシャを見つめるルークスに、彼女は意を決して向き合った。
「いい?ルークス。私は一応貴方の主人ということになっているけれど、別に貴方を奴隷みたいに使う気はないわ。利用関係こそあれど、私達はそれだけ。私との約束をきちんと果たしてさえくれれば、あとは好きに生きてくれて構わない」
ルークスは黙ってその話を聞いている。
錯乱している様子もないので、おそらくちゃんと伝わっているのだろう。
「私がいなくなった後も、貴方は生きられるようにするわ。だから、貴方は貴方で自分の人生から逃げずにいなさい。こればっかりは命令よ」
「わかっ、た……」
「よく言えました」
そう褒めながら頭を撫でてやれば、ルークスは抵抗することもなくそれを享受した。
初めてしっかりと触れる彼の赤毛を、マーシャは指先で踊らせながら笑う。
「ふぅん……撫でられるのが好きなのも嘘じゃない、と」
「え?あっ、いやこれはっ!」
ニヤニヤ笑いを浮かべる彼女に気がつくと、ルークスは突如顔を赤らめて慌てだした。
撫で回すマーシャの手からやっとの思いで逃れると、回らない口で何か必死に弁明を繰り返していく。
その顔は普段ロンドに撫でられていたとき等とは比べ物にならない。
照れ顔などという可愛いものではなく、本気と書いてマジの赤面であった。
「違う……違うから!!あれはあくまで演技というか、イメージ戦略というか、その癖がどうしても抜けきらなくて!」
「でも貴方」
「忘れろ……忘れてお願い!?」
「随分表情豊かになったじゃない、遂に感情を知れたのね」
「あったよ元から」
お互いに言いたいことを捲したてから、漸く二人は息をつく。
額に張り付いた前髪を剥がし、満足げなマーシャは再びベッドに腰掛けた。
疲れた様子のルークスにも椅子を勧め、二人向き合う形で身体を休める。
「あー、面白かった。ルークス貴方、私と二人きりのときにはこんな感じで良いわよ」
「ええぇ……」
「あと、今も思ったけれど、貴方スタミナ無いわよね?普通に生活するのならまだしも、ここでそんなだと直ぐに死ぬわよ?」
「ですよね」
自分に体力が無いことなど、ルークスはとっくのとうに自覚していた。
生活するために何でもやってきた経歴はあるため、一般人よりかは動けるのだが、いかんせん倒れやすいのだ。
その為、ギロティナ事務で安定した生活を送れていた間はセーブしていたのだが……
「モルスを連日処刑って、どれくらい体力必要そうかな?」
「そうね、貴方は肉弾戦タイプだから……マウイまではいかなくても、それに近いレベルがいるわね」
マウイと同じくらいにまで、というマーシャの言葉に、ルークスから血の気がひいていく。
それは、無茶な話ではないのか。
「あっ、でもルークスのピーズアニマって身体強化よね?何とかなるかもしれないわよ」
「たしかに、俺の憑依はそんな感じだけれど……そう頻繁に使えないよ。筋肉が千切れる」
結局、元の身体作りから頑張らなければならないという結論に至り、ルークスはやり場のない不安に苛まれることとなった。
ぺら、ぺら。
乾いた紙を捲る音が、静かな室内にこだまする。
エラはいつも着けている黒手袋を片方のみ外し、やや急いだ動作でペンを走らせ続けていた。
やがてペンの文字が掠れ、インクを付け足そうと彼女が用紙から目を離す。
すると、それを見計らってか、寝台に横たわる青年がエラへと声をかけてきた。
「エラ、それってルークスん書類か?」
「書類というよりかは、メニューだな。ちっこくて
笑顔でそう返答するエラに、マウイは苦笑いを浮かべている。
「エラんトレーニングはちかっぱキツイけん、ルークスについてこれるかいな?」
「ん?マウイにとっちゃ朝飯前だったろう?」
「まぁ……ばってん」
嘘を吐けないマウイは、渋りながらも頷きを返してしまった。
返してしまったが、マウイもマウイで自分の体力量が異常だということは自覚している。
自分にとっては丁度いい厳しさでも、ルークスには死活問題と化すのではないか。
横たわったまま腕を組み、悩むマウイの姿にエラは小さく吹き出した。
「なんや」
「いーや?やっぱりマウイは凄いやつだなと思っただけだよ」
バカにしとんか?とマウイが怪訝な視線を向けてくるのもお構いなしに、エラは再び仕事に取り掛かり始める。
エラは黙々と1週間分程度であろうメニューを書き終え、今度は事務に回している筈の仕事にまで取り掛かった。
「その仕事はエラんもんじゃなかろ、少しは休まんの?」
「お前の見守り役で暇なんだよ。マウイは目ぇ離すと直ぐに動くからなぁ」
「……余計なお世話ったい」
悪態を吐きつつも大人しく仰向けに寝直すと、マウイはその表情を僅かに陰らせる。
「なぁエラ、ルークスまだ辛そうやったか?」
悲痛な色を乗せた声音に、エラは作業の手を止めた。
「僕、あんなに傍にいたのに、気づいてやれんかった。あんなん追い詰められよる前に、助けてやりたかった。今だって、もっかい話したか。なんに、僕んまだルークスんことを何も知らん、何も届けられん」
「マウイ」
「だから」
「早く元気んなって、驚かせてやらなな」
顔を覆いながら吐き出すように話していた彼に、エラが慰めの声をかけようとしたのも束の間。
決意をたたえたマウイの笑顔が、彼女の目に飛び込んできた。
そこに迷いなどはない。
ただただ、ルークスを救い上げてみせるという、眩く優しい善意があった。
「……やっぱり、マウイには太陽が似合うな」
一度自分を裏切った、しかも手酷い怪我まで負わせてきた相手を、こんなに短期間で案じられる者などそういまい。
そのうえ彼は祈るだけではなく、自ら手を差し伸べようとしている。
「うん、君をここに引き入れて良かったよ」
「な、なんや急に……照れくさいばい」
「別にいいだろう?君の回復力ならあと4日、5日もすれば自由にして良いだろうし、そしたらルークス君に会ってみればいい」
エラの言葉を聞き、マウイの瞳が分かりやすく輝いた。
余程ルークスのことが気がかりだったのだろう、1日でも早く完治するためか、マウイはより一層掛け布団を深く被る。
その様子に、エラは4日もすれば全快だろうと踏み、一つ大きな伸びをした。
自分では職務として体を案じてやるくらいしかルークスに出来ないし、それ以上をする気にもなれない。
けれども、マウイがやると言うならば後押ししよう。
それでギロティナ内の空気が軽くなるのならば尚更。
目を閉じるマウイの胸を優しく叩いてから、エラは静かに部屋を後にした。
しかし。
「は、はぁ、どうしよう……っ」
「僕、何か間違えてしもうたん……?」
「逃げちゃった……」
「逃げられてしもうた……」
その4日後、ルークスに全力逃走されたことにより、マウイは再び頭を悩ませる事態となるのであった。
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