第17話 彼女の抱えるもの
「探したの」
屋敷へ戻ると、入り口に桃色の髪の少女がいた。
――アスフォデルだ。
昨夜はずいぶんと落ち着いた雰囲気だったが、今はどこか刺すような鋭さを感じる。
「おお、アスフォデルか。わしを探しておったとは?」
ヴェルキアは表情筋を意識して、にこやかに笑ってみせた。
彼女の
アスフォデルの態度は、まるで敵を見つけたかのようなものだったからだ。
(いやいや考えすぎだ。わしがアスフォデルを十狂人の1人だと思っておるから向こうもピリピリしておるのだ)
ヴェルキアはそう自分を納得させ、努めて明るく振る舞った。
するとアスフォデルの表情が幾分か和らいだ気がした。
「魔物が出たから手伝ってほしいの」
「ま、また魔物退治かの?」
昨日ディガディダスを一撃で仕留めたとはいえ、それは瀕死の少女のことで頭が一杯で正直自分でも何をしたのかよくわかっていなかった。
同じことをやれと言われても無理だろう。
「いや、それはなんというか、協力したいのは山々なのだが……」
しどろもどろになりながら言い訳を考える。
ここで正直に自分は戦いたくないと言うべきか。いやしかしヴェルキアの魔力であれば素手でもディガディダスを倒すことはできる。
とはいえ全長50メートルもあるような魔物……というか蟲に立ち向かうのは正直相当な覚悟がいる。
どうしたものかと考えていると、アスフォデルがヴェルキアの手を掴む。
「働かざる者食うべからずなの」
アスフォデルの言うことは正論そのものであり、ぐうの音も出ない。
そのまま引っ張られて、車庫へ連れ込まれる。
昨日ディーンに乗せられたものとは別の黒い自動車に乗せられる。
運転免許は持っているものの、ここは地球ではないので当然運転はアスフォデルがすることになる。
助手席に座り、運転席に座る少女の横顔を見る。
相変わらず整った顔立ちをしており、美しいという言葉が似合う容姿をしている。
だがその表情にはどこか影があり、何かを隠しているように感じた。
やがて車は発進する。屋敷の敷地を抜け、街に出る。
意外にもアスフォデルの運転は丁寧であり、ヴェルキアは関心していた。
「……」
「……」
(沈黙が重い……)
車内ではアスフォデルがシフトレバーを操作する音だけが鳴り響いていた。
このままでは息が詰まりそうだったため、ヴェルキアの方から話題を振ることにした。
「おぬし、運転がうまいのだな」
「そんなことないの」
「……」
「……」
(息が詰まる……)
会話終了である。
なんとか話をしようと試みたが失敗に終わったようだ。
気まずさに耐えきれず、窓の外を眺める。
空は曇っており、今にも雨が降り出しそうだった。
「の、のう」
「……なに?」
「おぬしは、えーと……あれだ、兄のことをずいぶんと慕っておるのだな」
ヴェルキアは苦肉の策としてディーンについて話を振ってみた。
思い付きで聞いたことではあるが、ゲームの中であまり語られなかった彼女の内面を知ることができるかもしれないと思ったからだ。
「当たり前なの。兄さまは私の唯一の家族だから」
「そうか。なるほどのう……」
唯一の家族。
それはヴェルキアにとっても他人事ではなかった。
自分もまた、東京ではかつてただ1人の家族である義姉と共に生活していたのだから。
「唯一の家族、ということは両親はおらぬのか?」
「母さまのことは知らない。父さまはもう死んでるの」
アスフォデルの表情は変わらない。淡々とした口調でそう言った。
そうしているうちに車は街の外へと出たようだった。
しばらく進むと広い草原に出た。
「すまん、不躾な質問だった」
「……ふは、あははははは」
(怖っ! な、なぜ急に笑い出す……)
突然アスフォデルが狂ったように笑い出したので、思わずドン引きしてしまう。
少女はハンドルを握りながら肩を震わせている。
「ううん、違う、違うの」
「な、なにが、違うのだ?」
少女の異様な様子にヴェルキアは思わず身構えてしまう。
少女がゆっくりとこちらを向く。
「父さまはね、わたしが殺したの」
「殺した? おぬしがか?」
「……そう、父さまを殺して、兄さまが1人ぼっちになった私を妹にしてくれたの」
そう言ってアスフォデルは再び笑う。
その瞳からは光が消えており、正気を失っているように見えた。
明らかに様子がおかしい。
「だから、兄さまが、兄さまだけがわたしの本当の家族なの」
「……何があったのだ?」
「……」
アスフォデルは答えない。ただじっと正面を見ているだけだ。
ヴェルキアはその態度を見て確信する。
「ということは、魔物退治というのは嘘なのかの」
「言っておくけど、逃げても無駄なの」
「安心せい、逃げたりせんわ」
アスフォデルの言葉に、ヴェルキアは臆することなく答えた。
逃げるという選択肢もあったが、今のこの少女を放っておく気には全くならなかったのだ。
「父を殺したと言ったな? それは、なぜだ?」
「なぜ? あはは。お前、馬鹿なの?」
アスフォデルは嘲笑するように言葉を吐き捨てた。
「そんなことをお前なんかに話す理由がないの」
「では、この後の勝負にわしが勝ったら何があったか話してもらおうかの」
「勝負? ふふふ、本当におめでたい奴なの」
アスフォデルは呆れたように言った後、車の速度を上げる。
やがて古めかしい城が目前に迫る。まるで西洋のお
無人の門をくぐり抜け、敷地の中へと入る。
門の中にも人の姿はなく、静寂に包まれている。
2人は車を降り、敷地内を歩いていく。
(湖畔に佇む城か……ずいぶんと趣のあるところだの)
辺りを見回すが、やはり人の気配はない。
手入れもされていないようで雑草が伸び放題になっている場所もあった。
やがて城の前まで辿り着く。
「……ここはアル・マーズ侯爵が所有していた別荘の1つなの」
「所有していた?」
「魔導革命の後に爵位をはく奪された先々代のアル・マーズ侯爵に
(魔導革命……この世界で魔法が根付き、力を持つ魔術師たちが帝国の権力者たちを排斥し、自らが支配者として君臨することになった出来事か)
ゲームで見た設定を思い出しつつ、ヴェルキアは周囲を観察する。
目の前の城は古い造りではあるが、立派な建物だ。
外壁は白く塗られているが所々汚れが目立つ。庭も荒れ果てており、この場所が長い間放置されていることがわかる。
「爵位をはく奪されたのに侯爵家のものを譲り受けられたのかの?」
「領地を運営するためには生きた知識が必要なの。だから先代の侯爵は必要だと判断した人間は積極的に登用していたの」
ヴェルキアの質問にアスフォデルが答える。
彼女は城の扉を開けると中へと入っていく。
その後に続くと、広間のような場所へ辿り着いた。天井が高く吹き抜けになっており、2階へと続く階段がある。壁には大きな肖像画が飾られていた。
肖像画に描かれた男が先々代のアル・マーズ侯爵だろうか。
「なるほど……しかし爵位をはく奪されたというのによくも協力する気になるものだ」
「先々代の侯爵は、諦めてなんていなかったの」
アスフォデルはそう言うと、階段を上っていく。
ヴェルキアもそれを追って、一緒についていく。
最上階まで来ると、そこは大きな部屋だった。
床には絨毯が敷かれており、部屋の中央にあるテーブルを囲むようにしてソファが置かれている。壁沿いに本棚が置かれており、中には分厚い本がずらりと並んでいた。どれも年季の入った本ばかりだ。
「自分に魔術師としての力がないことを受け入れはしたものの、必ず侯爵位を取り戻すつもりでいたの」
部屋の奥にある机の前まで歩き、アスフォデルが振り返って言った。
ヴェルキアは入口から少し入ったところでアスフォデルに向き合う。
この部屋だけは綺麗に掃除されており、清潔感があった。
「だから、力を持つ魔術師の女を迎えて子供をたくさん作ったの」
「では、おぬしはその中の子の一人、ということか?」
「兄弟はたくさんいたらしいけど、父さまに育てられたのはわたしだけなの。父さまは高い魔力を持つわたしに期待をしたの。わたしが侯爵位を取り戻すための役目を果たすことを」
アスフォデルはそう言って目を伏せる。
その様子はどこか寂しげで、悲しそうだった。
「でも、わたしは父さまと一緒にいられればそれでよかったの。だって、父さまは私の、ただ1人の、家族だったの」
顔を上げた少女の目に浮かぶのは、喪失の悲しみだ。
その姿を見てヴェルキアは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
(十狂人などと馬鹿な事を……この子は普通の女の子ではないか)
ヴェルキアはアスフォデルに対する認識を改めることにした。
目の前にいる少女は確かに将来危険な存在になるのかもしれない。
だがそれはあくまでも未来の話で、これからの悲劇が彼女の運命を決定的に変えてしまうのではと思った。
(ディーンを死なせず救うことが出来れば、まだこの子の未来を変えることも出来るかもしれぬ。いや、わしはそうしたい)
「……父さまにとって、わたしは家族じゃなくて、ただの道具だったの。だから……ここで父さまを殺したの」
当時のことを思い浮かべているのか、アスフォデルの表情が歪む。
そんな少女の様子にヴェルキアは同情の念を抱くと同時に、まだ何か話していないことがあるはずだという直感めいたものを感じていた。
「話は終わりなの。これで満足した?」
「辛いことを話させてしまったの。しかし、まだおぬしはすべてを話しておらんだろう」
「この話に続きなんてないの。お前も、ここで死ぬの」
そう言ってアスフォデルは大鎌を出現させた。
ヴェルキアもまた武器を構えようとしたがそんなものは持っていなかったので、とりあえず拳を握った。
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