七瀬虹佳は不幸な少女である

汐海有真(白木犀)

七瀬虹佳は不幸な少女である

 七瀬虹佳ななせにじかは不幸な少女である。


 ある日、高校の教室で花瓶が割れてしまい、上履きに水が掛かって汚れてしまった。

 ある日、愛用していたスマートフォンの画面に、見覚えのない傷が付いてしまった。

 ある日、怪我をした少年の介抱に追われ、視聴しようと思っていた番組を見逃した。


 今日もそうだ。

 七瀬虹佳の恋人は、彼女の携帯を見て怒り狂う。


「他の男と連絡を取るなって言ってんだろ! お前は俺のことだけ見ていればいいんだ!」


 ああ、嫌いだなあ……七瀬虹佳はそうやって思う。

 気付けば彼女の前には、数多の傷口から血を流している恋人の姿があった。


「ごめんなさい、許してください、ごめんなさい……」


 そんな言葉を聞きながら、七瀬虹佳は自分の右手を見る。

 カッターナイフがある、でもどうしてカッターナイフを握っているのか、思い出せない。

 大丈夫? 七瀬虹佳は心配そうな表情を浮かべて、恋人に問いかける。

 彼から返事はなくて、でも嫌悪の感情だけを覚えていたから、七瀬虹佳は別れを告げる。


 彼の家を出ると綺麗な夕焼けが広がっていたから、七瀬虹佳は幸せそうに息を吸い込む。

 不幸なことが多いけれど、でも空はいつだって美しいから、大丈夫!

 彼女はそう思いながら、オレンジ色の町を悠々と歩く。


 ――七瀬虹佳は忘れてしまう。


 教室で行われている虐めが気に入らなくて、隣の席に置かれていた花瓶を割ったことも。

 罵詈雑言が飛び交っている掲示板をネットで目にして、携帯を地面に叩き付けたことも。

 野良猫に石を投げている少年に苛立って、道端に落ちていた石を彼に投げ付けたことも。


 暴力を疎みながら、何かに暴力を振るうことをやめられない。

 だから七瀬虹佳は、暴力の記憶を自分に対して隠蔽するようになった。

 そのことに、七瀬虹佳は気付いていない。

 彼女はこれからも、傷付けたいと思うものを傷付け、それを忘れながら生きていく。


 七瀬虹佳は不幸な少女である。

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七瀬虹佳は不幸な少女である 汐海有真(白木犀) @tea_olive

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