第二話(高校生編)
「……お、おう。わざわざ来てもらって悪いな」
「別に。……でも、なんだよ。改まって話って」
ペットボトルロケットを飛ばしたあの日から、時間は大きく飛んで……高校二年生の秋。十月中旬。
僕――
僕が彼と対面すると、剣次はどこか居心地の悪そうな表情を浮かべる。中学生の頃から背格好がまた大きくなり、また一段と男らしくなった彼を、何の気なしに見つめていたら……ふいに剣次は、覚悟を決めたように一つ息を吐いたのち、こう口にした。
それは、僕を馬鹿にしているとしか思えない、酷く身勝手な告白だった。
「じ、実は俺、
「――――」
わかるよな?
だからわかるよな、だって? なんだよ、その言い方。
それはつまり、いま僕が抱いているこの思いは飲み込めって、そういうことかよ!
お前の気持ちはわかるけど、それを理由に俺と琴美の邪魔をすんなって、この男はそう言いたいのか?
そこまで理解した僕は、自身の脳が急激に沸騰したのを感じる。そのまま、申し訳なさそうな顔をしている剣次に、ただ自分が言いたいだけの言葉を吐いた。
「ふざけんなよ……何だよその言い草。自分勝手だろ……」
「……ごめんな、翔太……」
「謝るな! 自分から勝手に、そんな宣言しといて……何をへらへら謝ってんだよ! お前は僕に対して酷い奴になるために、そう言ったんだろ? それなのに、何をこの期に及んで、僕にもいい人に見られたがってんだよ。中途半端なことしてんじゃねえよ……」
「…………」
僕のその言葉に、より罪悪感の滲んだ顔をする剣次。……何というか、悪いのはあっちなのに、僕の方が見ていられなかった。
そもそも本来、こいつはこういうことを言う奴じゃないんだ……それでも、剣次はバカなりに色々と悩み、考えた結果、僕にああ言ってきた――それだけは、長年彼の友人をやってきた僕だから、わかってしまった。
たぶん、彼の方に僕を必要以上に傷つけようとする意図はなかったに違いない。剣次は心根が真っすぐな奴だから、そこに関しては信じることができた。
ただ――。
それをわかっていても、僕は許せなかった。
僕に有無を言わせず、先にああ言った剣次に……僕がいま胸に抱えているものを、軽んじられた気がしたから。そこに悪意がないとしても、この苛立ちは抑えられなかった。
「お前に何と言われようと、僕はこの気持ちを、捨てたりしないからな」
「……翔太……」
「お前の思いなんか知るかよ。――僕は諦めない。お前が琴美ちゃんを好きとか、どうでもいい。僕はただ、僕が抱いているこの気持ちを……お前なんかには想像もできないこの感情を、捨ててやらない。それだけだ……」
「…………わかった。とりあえず、俺が言いたかったことは、言ったから……」
剣次はそれだけ絞り出すように言うと、校舎裏から逃げるように、僕に背を向けて歩き出した。……遠くなっていく友人の背中。早くどっか行ってしまえ。僕の目の前から消えやがれカス野郎。心の中でそう悪態をつくものの、それは僕の本心ではないことは、自分でもなんとなくわかってしまった。
だからか、僕は自分の気分とは裏腹に、こんなことを口走っていた。
「いつの日か、僕にああ言ったのを後悔する時が、きっと来るぜ」
「――――」
「お前はその日まで、せいぜい琴美ちゃんと一緒にいればいい。――つか、僕の大好きな琴美ちゃんを泣かしたりしたら、マジで許さねえからな!」
「……翔太は本当に、カッコイイ男だな……」
一瞬だけ振り返り、そんな言葉を零す剣次。……彼としては素直に僕を褒めただけなんだろうけど、こいつにそう言われても全然嬉しくなかった。
そうして、剣次が校舎裏を去ったあと、僕はちょっとだけ泣いた。……剣次にああ言われただけで泣くなんて、本当に情けない限りなんだけど、彼がこの場からいなくなった途端、感情を抑えることができなかったのだ。
あとで気づいたんだけど、もしかしたらこの涙は、僕達の恋愛事情に起因する涙じゃなくて……剣次のあの宣言のせいで、もう三人一緒にはいられないことが、わかってしまったからかもしれなかった――。
◆◆◆
それから一週間後。
琴美ちゃんから電話で、剣次と付き合い始めた旨の報告を受けた。
……もしかしたら、琴美ちゃんが剣次を選ばない可能性もあるんじゃないかと、そんな淡い期待をしていた自分を恥じた。琴美ちゃんが剣次を好きだと知っていた以上、剣次にあの宣言をされた日から――こうなるのは決まっていた筈なのに。
ちなみに、琴美ちゃんにその報告をされた日の、彼女との電話に、僕が上手く応えられたかどうかは、あまり覚えていない……彼氏ができて浮かれている様子の彼女に、心にもない『おめでとう』を言ったのだけは、覚えているけど。
それから、僕は自然と、琴美ちゃんと剣次に対して、距離を置くようになった。
学校で普段いるグループも、彼らが属さない別のグループに乗り換えたし、二人と喋るのも最低限、喋る必要にかられた時だけになった。……そんな関係になってしまって、琴美ちゃんが寂しそうにしているのは何となく理解できたけど、こうなるのを望んだ剣次まで僕を見てしんどそうな顔をしているのが、すげえ複雑だった。そもそもお前のせいでこういう関係になってしまったのに、何でお前がしんどそうなんだよ……。
◆◆◆
そんなこんなで、あれから時は過ぎ……十二月の中頃。
クリスマスが差し迫ってきた、ある日。僕は本当に久しぶりに、琴美ちゃんと、剣次と――三人で遊ぶことになってしまった。
そうなった理由はごく単純で……わかりやすく二人を避けていた僕に、琴美ちゃんがガチで怒ってきたためだった。
『私と剣次が付き合い始めたからって、翔太が気を遣って私達から離れる必要ないじゃん! だって、そんなのは一切関係なく、私達はいまも親友同士なんだし! だから、また三人一緒にいようよ、ね!?』
琴美ちゃんのそんな思いは、嬉しくないと言ったら嘘になるけど、だからといって手放しに喜べないのはもちろんそうで……でもまあ、こういうちょっと身勝手なところが、彼女らしいのかもしれなかった。良くも悪くも、自分の感情に素直な女の子なんだよね。個人的には、そんなところが可愛いと思っているけれども。
そうして、約束の日。
僕は琴美ちゃんと剣次と三人で、都心の方にある遊園地にやって来ていた。
「ねーねー。次はなに乗るー? ――つか、そろそろいっちゃう? あのヤバげなフリーフォール、いっちゃいますか!?」
「…………あ、おう。次はそうするか」
「…………ん? いいんじゃない。そうしようよ」
「おい。おいこら男ども。わかりやすくテンションが低(ひき)ぃーんですが!? せっかく遊園地に来てるんだから、もっとハイになって遊ぼうよ!」
「…………あ、ああ。そうだな……」
「…………いいね。楽しもう。イェイ」
「もしかして私の知らないところで、明日世界が滅亡するニュースでも流れてたの? だからこそお前らはいま、そんな死にそうな顔してるわけ?」
微妙な顔をしている男連中に対し、琴美ちゃんは苦笑しながらそうツッコむ。
一応、僕としても、この場を盛り上げたい気持ちはなくもないんだけど……やっぱり、複雑で余計な感情が邪魔をして、ハイテンションにはなれないのが現状だった。
まあ、そんな僕に同調するみたいに、剣次までテンションを落としてるのは割と謎だけど……。
僕がそう考えながら剣次に視線をやると、どうやら彼も僕を見ていたようで、ふいに目と目が合ってしまった。そしたら、彼はどこか慌てた様子で、僕から目を逸らす。……腫れ物みたいな扱いされてんの、クッソ腹立つな。
思いつつ、そのまま剣次を睨みつけていたら、琴美ちゃんがため息と共にこう言った。
「はあー……まあ、一通りアトラクションには乗ったし? とりあえず、一旦休憩にしよっか。――ねえ剣次。あそこにある出店で、三人分のクレープ、まとめて買ってきてくれる?」
「な、なんで俺が? まあ、別にいいが」
「それじゃあ私、チョコバナナクレープね!」
「僕マンゴークレープ」
「わかった。琴美がチョコバナナで、翔太がマンゴーだな? ――俺はなに食べる?」
「そんなの自分で決めなよ。なんで自分の食べたいクレープを私に聞いてんのよ」
「じゃあ俺、イチゴクレープでいいか? 俺イチゴ好きだし」
「だから勝手にしなって。というか、それくらい自分の脳内会議で勝手に決めてよ」
「よし! じゃあ早速、イチゴクレープ三つ、買ってくるわ!」
「バカバカバカ! いつの間にあんたの好物をみんなで食べることになってんのよ! 私がチョコバナナで、翔太がマンゴーでしょ! ほら、復唱して!」
「お、おう……琴美がチョコバナナクレープで、翔太がマンゴークレープだな? ……えっと、それで? 俺は自分に、何を買ってきてあげればいいんだっけ?」
「私の彼氏、記憶力が鳥すぎない? はじ〇てのお〇かいに出てる子供だって、もうちょっと記憶力良いわよ」
琴美ちゃんが呆れたような顔でそうツッコむと、剣次は困ったように笑う。……そんな二人の楽しげなやり取りを僕が直視できないでいたら、そのうち――「チョコバナナ、マンゴー、イチゴ……」とお経のようにフルーツを唱えながら、剣次がクレープ屋へと歩いていった。あの様子で、ちゃんと間違わずに注文できるのかよ……。
そんな風に思いつつ、琴美ちゃんとベンチに座り、剣次の帰りを待っていると――数分後。ちゃんとチョコバナナ、マンゴー、イチゴのクレープを持った剣次が帰ってきた。
なので僕達は、それぞれ自分のクレープを手に持ち、ベンチに腰掛けてそれを食べ始める。琴美ちゃんはチョコバナナクレープを一口食べると、幸せそうにはにかんだ。
「んー、美味しい! どうしてカロリーのあるものってこう、軒並み美味しいのよ……カロリーと美味しさが正比例してんの、ほんとムカつく! あー美味しい!」
「美味しいものを食べてる時くらい、カロリーに怒るのやめたら?」
「美味しければ美味しいほど、カロリーを意識するのをやめられないのよね……つか剣次。あんた、焦って食べすぎでしょ。ほら、鼻にクリームついてるよ」
琴美ちゃんはそう言いながら、剣次の鼻の頭についているクリームを、指でぴっ、と取ってあげた。それから彼女は、そのクリームをにやにやしながら唇で舐める。それを受けて剣次が、たじろぎながらこう言った。
「な、舐めなくてよかっただろ……」
「こういう時のあんたのリアクションが好きだから、ついね」
「あ、あんま恥ずかしいことするなよ……」
照れ笑いをしながら、頬を赤らめてそっぽを向く剣次。一方、そんな彼の様子を見て、琴美ちゃんは心底楽しげに笑みを零した。――もう、見ていられなかった。
「……ちょっとトイレ行ってくる」
「ん! いってらー」
「了解。ここで待ってるからな」
二人にそう言って送り出された僕は、トイレの方へと歩いていく――フリをして、遊園地の出入り口へと足を向け、そのまま遊園地をあとにしようとした。
すると、ゲートのそばまで歩いてきたあたりで……後ろから「待って!」と声をかけられる。その声に驚き、振り返ると、そこには琴美ちゃんが立っていた。
「な、何も言わずに、帰っちゃうの?」
「……ごめんね、琴美ちゃん」
「…………私の方こそ、ごめん。今日は三人で来てるのに、剣次とあんな風にイチャイチャして……それで、怒ったんでしょ?」
「違う。怒ったんじゃないよ。――無理だって思ったんだ」
琴美ちゃんは優しいから……たぶん、さっきの剣次とのやり取りは、ふいに出てしまったものだったんだと思う。そこに、僕を傷つける意図なんてなかったに違いない。
それでも、僕は傷ついた。
他意がなくても、勝手に傷ついてしまった。
僕なんかじゃどうやったって引き出せない、あんな笑みを見せられて……胸がどうしようもなく痛んだんだ。
だからもう、無理だと思った。琴美ちゃんに傷つける意図はなかったのに、二人と一緒にいるだけで、こうして僕が勝手に傷ついてしまう以上……昔みたいに、三人一緒にはいられないと、わかってしまった。
……もしかしたら僕はまだ、期待していたのかもしれない。
僕が少しだけ、無理をしたら。彼女と彼が少しだけ、気を遣ってくれたら――また三人で一緒にいられるかも、なんて、そんな微かな希望を抱いていたのかもしれない。
少しずつ無理をしながら一緒にいるなんて、そんなの……上辺だけの仲良しごっこでしかないって、気づいていたのに。
「僕はこれ以上、二人と一緒にはいられない。でも、いいよな? 僕は一人になっちゃうけど、二人は二人でいられるんだから。……もう、僕のことはほっといてくれ」
「そんな……」
琴美ちゃんはそう呟いたのち、静かに顔を俯けた。……そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。長い沈黙があったのち、僕が琴美ちゃんに背を向けようとすると同時、彼女は何かを決意したように顔を上げ、こう叫んだ。
「ごめんね、翔太。――それでも私は、三人一緒にいたい!」
それは、彼女なりに考えて考えて、全てをわかったうえで口にした、そんなわがまま。
僕が傷ついてでも三人の関係を失いたくないという、身勝手な発言だった。
「……ふふっ、あははっ!」
それを受けて僕は、つい笑ってしまう。本当に、この子は……。
そこにあったのは怒りじゃない。呆れでもない。
そうじゃなくて――どんな時でも彼女らしい、
「ちょ、ちょっと、何で笑うのよ!」
「いやね、昔っから琴美ちゃんは変わってないなあ、と思って……唯我独尊というか、自分勝手というか……素敵な女の子だよ、ほんと」
「す、素敵な女の子って……翔太に褒められるの、なんか照れるんだけど……」
そう言って照れたような顔をする琴美ちゃんに、僕はつい笑みを零す。どんな時でも物怖じせず、自分勝手を貫ける……ちょっとばかし横暴な、でもそこがカッコいい琴美ちゃんが、やっぱり僕は好きだった。
ただ、彼女のそんな在り様は素敵だけど、だからといって。彼女のお願いを聞いてあげられるほど、僕もお人よしではなかった。
「うん、琴美ちゃんの望みはわかったよ。――どこか歪なままでも、これからも三人一緒にいたい。……きっと、それはそれで悪くない未来なのかもしれない。でもね、琴美ちゃん――僕はもう、二人と一緒にいる時に、心の底から笑えないんだよ」
「翔太……」
「いつか、僕達の関係が少し大人になって、僕達の考え方も少し大人になったら、昔からの友人として、普通に笑い合える日が来るかもしれない。それは否定しない。――でも、それはいまじゃない。だから……ごめんね、琴美ちゃん」
「ま、待って! 待ってよ、翔太……ねえ……私、三人がいいんだよ……三人一緒にいるのが好きで、三人一緒じゃなきゃ嫌で……もちろん、わがままだってわかってる! 駄々をこねてるのは私だって、わかってるけど――でもっ! 翔太っ!」
僕は叫び続ける琴美ちゃんにゆっくり背を向けて、遊園地のゲートへと足を向ける。
彼女の縋るような声が直接、弓矢のように、僕の背中に突き刺さっていた。
「私、翔太のことも好きなんだよっ!?」
「…………」
「確かに私、剣次のことが好き! あいつと付き合えて嬉しいよ!? でも同じくらい、翔太が好きなの! ――だから三人でいたいんだよっ! 二人と一緒にいられるのが、私の幸せで……私はそれさえあれば、何もいらないって思ってたのに……なんで……!」
「……本当、恋なんてしなければ。僕達、昔のままでいられたのにね……でも、しょうがないか――」
たぶん、高校生になってからだった。僕達の間に不和が生じ始めたのは。
それは至極思春期らしい、恋愛感情のごたごた。あいつが誰を好きで、その子は誰のことが好きという、感情の矢印の入れ違いで――それが、僕達の間にも生まれてしまった。
そんな風に、それぞれがそれぞれ、恋愛感情を持ち始めてしまった時に、こうなるのは決まっていたのかもしれない。だから結局のところ、どうしようもなかった。どうしようもなかったんだよ。
だって――。
「好きになっちゃったんだから、しょうがないよな」
剣次も僕も、この感情を相手に押し付けるより、他なかった。
その結果が、こんな悲しいものでも、青春は止められないのだ。
「じゃあ、そういう訳だから……ばいばい、琴美ちゃん」
「ううっ……ばいばい、翔太……」
一度だけ振り返った僕は、別れの言葉を言いながら、こちらに手を振ってくれている琴美ちゃんに、小さく手を振り返す。
これが僕の、苦くて美しい、青春の一ページ。
いつか僕が大人になったとき、こんなこともあったな、と笑いながら読み返したい……傷が深いぶんだけ愛おしい、大切な思い出の一つだった。
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