七回目のデート
マスケッター
やりすぎだ……。
世界中を震えあがらせた感染症も、多少は落ちつきつつある。そのささやかな象徴が、
春先にして宵の口ということもあってか……マスクはまだ当たり前につけているにしろ……数十人という酔客が上機嫌に盃をあおっている。
七幸はというと、テーブル席についた段階でマスクを外した。丁寧にヒゲをそった、つるつるのあごが数時間ぶりにあらわになっている。
「今日はちょっと遅かったじゃないですか」
七幸のまむかいで、いささか頬を膨らませている
年齢といい体格といい、ついでに社会経験といい、公平に考えて七幸は六出より一回り上になるかならないかというところだ。
七幸は、六出と同じ会社に勤務している。堅実な家電販売店で、お互い会社にはなんの不満もない。たまたま同じ営業課の先輩後輩になっただけだ。会社では。
「すまんすまん。急用が入って、連絡する余裕もなかった」
テーブルに置かれたコップは、氷水を満たしているせいで表面に露をへばりつかせていた。その一つ一つに、汗を浮かべる七幸が写っている。
とりたてて美男というのではない七幸だが、ぜい肉はなかった。年齢もあろうが、一応ほどほどに鍛えてはいる。身なりの清潔感にも気を配っていた。
「先輩、急用って……昔の人間関係とか?」
六出はいつになく真剣に質問し、自分のコップの脇にあるお通し……ホウレン草の和え物……をつついた。箸や口の動きは上品で、それだけにきわどい質問との落差が激しい。
「えぇっ!?」
必要以上に七幸は背をのけぞらせ、両手を床につけた。
「ど、どうしたんですか? リアクション強すぎですよ」
笑いながら聞く六出の耳には、ふだんはつけない青く四角いピアスがついていた。それは彼女の黒いボブカットをひきたてているが、なにか小悪魔めいた印象も与えていた。
「い、いや……」
「先輩、あたしでよければ聞きますよ。ていうか、このさい語っちゃいましょうよ」
六出はまたお通しをつついた。
「そうだな。実は……」
「お待たせしました」
絶妙のタイミングで、給仕の若い女性がビールの中ジョッキを運んできた。
給仕の顔の下半分はマスク、髪は頭巾で隠されている。他の給仕も全員同じ姿だった。飲食店が感染症に神経を使うのは当然だし、七幸にせよ六出にせよなんの文句もない。ただ、どうにもぎこちない動作ではあった。
「ありがとうございます」
七幸は頭を下げてから受けとった。
「どうもー」
六出は軽くぺこっと会釈して、給仕が中ジョッキをテーブルに置くのに任せた。
「まずは乾杯しよう」
七幸はせいいっぱい場をとりつくろった。
「はい。かんぱーい!」
中ジョッキが軽くふれあい、二人はまずビールを二割ほど飲んだ。
「で? で? 先輩、なにに悩んでるんですか?」
「ビールの泡が口についてるぞ」
「あ……すいません」
六出がおしぼりで軽く口をふいた。口紅は控えめな色を使っているが、小さな唇が見え隠れするのは七幸を卑俗な意味で励ました。
「今回、俺達は七回目の会合だな」
「え? いちいち数えてませんけど。会合だなんてカタいこといわないで、素直に……」
「俺はフラれた」
「へ?」
七幸は、残ったビールを少しばかり飲んだ。
「七回目のデートでフラれた」
「いつの話ですか?」
「七年前」
「はぁ。まあ、御愁傷様です」
六出からすれば、七幸の元カノについて一回は聞いておかねばならない。二回は不要だが。
「ちょうど今回みたいに飲んでいたんだ。帰りしな、小銭が七円足りないからだしてくれといったらあっというまに機嫌を悪くされた」
「ただのケチでしょ」
少なくとも六出は、性別に関係なくどんな場合でも割勘で通している。
「大金持ちのお嬢さんだけどな」
「関係ないですよ、そんなの」
「それだけじゃなかった。飲んでいるときに唐揚げを頼んだんだが、たまたま最後の七個目を俺が無許可で食べたのも悪かった」
「それって先輩も無神経でしたけど、その場で謝ったんでしょ?」
「もちろん」
「なら、ケツの穴が狭いだけじゃないですか。小銭といい」
「ケツ……!?」
七幸は、女性からその類を耳にした経験がついぞなかった。
「あ、やだぁ。つい先輩に毒されちゃって」
「おい、人のせいにするなよ」
「冗談ですよ、じょーだん」
げらげら笑いながら、六出はビールを飲んだ。
「あのな……。まあ、当時の俺としては気あいを入れてたんだ」
「ふむふむ」
「わざわざ服も新調した。あれこれ試着して七枚目にやっときまった」
「ほうほう」
「あいつは、段取りの連絡を七日も無視した」
「うぇーっ。それ、もうそのときから脈がなくなってたんじゃないんですか?」
どうせ過去だと思い、六出は言いたい放題だった。
「その通りだ。レジで釣銭を頼んだとき、そいつは自分のスマホで電話をかけた。間髪をいれず、やってきた……そいつの本命が」
「ひえーっ。きっつ」
「ついで、二番目の男がきた」
「えぇっ!?」
「三番目、四番目ときて……全部で六人いた」
「じゃ、じゃあ先輩も含めて七股!?」
「そうだ。しかし、俺のようなケチは七人目にふさわしくないといわれた。さらに、そいつと六人の男達が一円玉を一枚ずつ床に落として去っていった」
「最っ低……。もうそれ、ギャグですよ」
「ギャグどころじゃないよ。俺は屈辱にまみれて一円玉を拾い、勘定をすませた。あいつとはそれっきりのはずだったんだ」
七幸は、ビールを飲み干した。
「だった……?」
不穏な気配を察し、六出の眉根が急激に寄せられた。
「ここにくる前に電話がかかってきた。六人全員にフラれたからヨリを戻して欲しいとのことだった」
「はぁっ!? どんだけ自分勝手なんですか? 先輩も着信拒否とかにしてなかったんですか?」
「していたよ。公衆電話からかけてきたんだ。最初はさっさと切ったが、しつこくかけてきたんで応じるしかなかった」
「それ、もうストーカーですよ。先輩、断ったんですよね?」
「当たり前だ。公衆電話も着信拒否にしておいた」
たしかに、七幸でなくとも悩むだろう。
「先輩」
「なんだ」
「バカなストーカーなんか警察に任せましょうよ。つきあってたのって七年も前の話でしょ?」
「俺だってそのつもりだよ。ただ、六出にどう話したものか迷ってたんだ」
「なぁんだ、そんなこと。あたし、全然気にしませんよ。あくまで今ですよ今。今、あたしは先輩が……」
「お待たせしました。唐揚げ盛りあわせと私です」
ビールを運んできたのと同じ給仕の女性が、まず唐揚げを入れた大皿をテーブルに置き、ついで小皿を二枚だした。一枚は七幸に、もう一枚は六出ではなく給仕自身の前に。
「なにこれ?」
六出は顔をしかめた。七幸も口をぽかんと開けている。
「早く気づきなさいよ!」
給仕はマスクと頭巾を外した。六出よりはるかに長い黒髪を頭のてっぺんでまとめた、切れ長の眉といい横に長い唇といい派手な外見がいっぺんに現れる。
「あっ! お、お前……」
「ふーん。この人が先輩の元カノね」
六出は、異常極まる現れ方をした七幸の元恋人を上から下まで眺めた。
「ふふんっ。庶民は黙ってなさい。七幸、あなたは幸運にも再び機会をえたわね。私の交際相手になりなさい!」
「お前、頭の具合どうなってんだ? この店大丈夫か?」
七幸は、もはや遠慮する必要を感じなかった。
「油断したわね。あなたが予約をとったお店を買収するくらい、今の私には簡単よ。それに、お客さんも他の店員も全員私の雇った兵隊達なの。ま、そこのお嬢さんは今なら穏やかにでていけるわよ」
「あっそ。先輩、もういきましょ。バカの相手はうんざりでしょ」
「あらあら世間知らずのお嬢さん。あなただけよ、でていくのは。兵隊達になにかされたくないでしょ?」
とがった鼻先を天井にそらし、七幸の元恋人は六出を見下ろした。
「それ、あたしを脅迫してるんだよね?」
「脅迫だなんてそんな。善意の忠告ですのよ。ヲホホホホホホ」
左手の甲を右頬につけて、七幸の元恋人は甲高い声で笑った。
「勝手にきめつけるなよ! 警察を呼ぶぞ!」
「あいにくと妨害電波をだしておりますのよ」
試しに七幸は自分のスマホをだした。圏外になっている。
「さっ、泥棒猫さん。早くでていきなさいな」
「ふざけるな!」
七幸はテーブルを両手の平でバンと叩いた。
「そんなお下品なこと、私の恋人にはふさわしくないわね。あとでちゃんと教育してさしあげますわ」
「さっきから聞いてりゃ、お前の都合でしか物事が進んでないだろうが!」
「とんでもないわ。ちゃんとあなたのお気持ちも尊重するわよ。どうせ私を選ぶから手間を省いてさしあげてるのに、どうして怒るのかしら」
めちゃくちゃな理屈には、まともな反論が続かない。何故なら無意味だからである。より厳密には、わざわざ反論する気になれなくなる。
「ここにあんたが運んできた唐揚げが七個あるよね。この三人で二つずつ食べる。最後の一個を、先輩があんたにあげるかあたしにあげるかできめるっていうのはどう?」
六出がまずまず妥当な案をだした。少なくとも時間は稼げる。
「ふふん。まあいいでしょう。私の寛大さを示すいい機会だし」
「じゃあ早速。頂きます」
割り箸を割って、六出は一つ口にした。
「七幸、ぐずぐずしてないで私にお箸を渡しなさい」
七幸の元恋人は、テーブルの端にある長方形の箱をあごで示した。七幸は黙っていわれたとおりにした。
「頂きますわ」
箸を受けとっても礼一つ述べなかったくせに、食事の礼は律儀にすませて食べ始める。
七幸もまた、一つ選んでとりかかった。味そのものは至極美味だが、常軌を極端に逸した状況のせいでただ熱い蛋白質の塊くらいにしか思えない。
一同は二個目に進み、大皿には唐揚げが一個だけ残った。
迷う筋あいは一つもない。七幸は箸を……伸ばす前に元恋人が自分の箸を割りこませた。七幸が仰天する間もあればこそ、唐揚げを横どりし、自分の口に運んで一口かじった。
「七幸、ご馳走さま」
「いい加減にしろ! ルールもクソもないだろうが!」
「なら、七幸はどうして見守っていたのかしら? 抗議は聞こえなかったけど?」
「いきなりやられてぱっと口にできるわけないだろう!」
「いいんですよ、先輩。だいたい想像できてましたから」
六出は淡々と言葉をならべた。
「ようやく物わかりがよくなったようね」
「あんたがね」
いいきった六出の表情は、七幸が初めて目にする怒りと軽蔑に満ちていた。
「え? あなた、日本語おできに……」
どごおおおぉん!
耳を引き裂きそうな轟音と衝撃に居酒屋全体がぐらぐら揺れ、七幸達のすぐ隣にある店の壁ががらがらと崩れ落ちた。できた穴から、迷彩服姿のライフルを構えた数十人の人々が続々と乱入してくる。彼らの内七人が七幸と六出をかばい、残りはライフルで威嚇しながら他の客や店員を制圧した。七幸の元恋人も迷彩服に足をひっかけられて転ばされ、背中を踏みつけられて頭に銃口をつきつけられた。
「七分間、あたしの現在地がわからなくなったらパパがこういう人達を送りこむの」
席についたまま、六出は元恋人を見下ろして説明した。
「パ、パパって……?」
「あれぇ? 大金持ちのお嬢さんが知らないのぉ? うーん、ふっしぎだなぁー。ちゃんと調査したのかなぁー」
「誰なの!? 私にこんな屈辱を! 許さないわよ!」
「誰って、魔王」
「マオウ!?」
「こうしたらわかりやすいかな。ふんっ!」
六出が少し腰を浮かせると、矢印型の細長い尻尾がスカートを破ってつきでてきた。
「そ、そんな……」
「まー、心配しないで。こいつら、あたしが暴走しないようにあんたみたいなバカを保護する役目だから」
「え?」
「あたしが本気で怒ったら、あんた一発で地獄いきだよ」
六出は自分が使っていた箸を自分の頭上に放りあげた。とたんに、箸は音もなく燃えて消え去った。
「ひいいいっ」
「地獄へいきたい?」
「い、いやっ」
「じゃあ、まず先輩にこう謝ってね。『あたしのようなクソビッチがでしゃばって申し訳ございません』はい、どうぞ」
「あ、あたしの……ような……ク、クソ……ビッチが……でしゃばって申し訳ございません」
恐怖のあまり、元恋人は涙目になっていた。
「いやー、わざわざ台詞を用意してあげるだなんて。我ながら優しいなあ。じゃ、次はあたしにね。『私はこれから死んでも永遠にあなたの奴隷です。その証としてあなたの尻尾にキスします』はい、どうぞ」
「そ、そんな……約束が……」
「あれっ? そんな約束したっけ? うーん、なんか熱いなー」
元恋人の髪の先端が、ちりちり縮れながら燃え始めた。
「やめてっ! いうっ! いいますからっ!」
「じゃ、早く」
「私は……これから死んでも永遠に……あなたの奴隷です。その証として……あなたの尻尾に……キスします」
「うん、ほらっ」
六出の尻尾が生き物のように伸びて、元恋人の口元までやってきた。ベソをかきながら、元恋人はキスした。
「いやー、すっきりすっきり。先輩、お店をかえて飲み直しましょ」
「え? だ、だがしかし……」
「先輩、あたしのこと気に入りませんか?」
六出だけでなく、迷彩服達がいっせいに七幸を見た。
「いや……。今後ともどうかよろしく……」
泣き笑いせんばかりの顔で七幸は宣言した。六出はにっこり笑った。
「あと始末は迷彩服に任せていいですから。地獄で飲みます? こっちで飲みます?」
終わり
七回目のデート マスケッター @Oddjoh
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