ジビエ
月桂樹
ジビエ
肉ってのは美味いものだ。菜食主義者の気持ちは多分私には一生わからないだろうね。
しかし一言に肉と言っても、私たちが普段食べている部分は正確に言うと肉ではない……と言うと誤解を産むね。肉って言葉は幅が広すぎるんだ。人はきっと脂肪とかの方を普段肉と呼ぶのだろうけれど、可食部はそうではない。
最も私たちが食べているのは筋肉だ。
やれ、こんな喫茶で話す事でもないだろうと、君は眉をひそめているね?いやいや、今の話は所謂前フリってやつさ。
あぁ、君に貸してる金のことで呼び出されたと思ったのかい?機嫌がよくてね、その件に関してはもういいよ。私と君との仲じゃないか。
それで、話を戻すが実は最近美味いジビエの店を見つけてね……。
その店は私が残業の帰りに見たことも無い路地に迷い込んだ時に見つけた。薄暗く、街灯も少ない路地でその店からは柔らかな灯りが漏れていた。まるで誘蛾灯におびき寄せられる羽虫のようにふらふらと私はその店に入った。
こじんまりとした店には座席が4つ。それぞれに7輪が置かれており、焼肉屋かと思う。肉の残り香が鼻を刺激し、体が思い出したように空腹を訴えた。
「おひとりですか?」
奥の厨房から冴えない男が顔を覗かせる。明日は休みだし、丁度いい。自分へのご褒美としようじゃないか。終電を逃したらタクシーでも呼べばいい。
私は人差し指を立てて1人であることを暗に伝え、近くの席に腰かける。そこで、机にメニュー表がないことに気がつき、店主と思われる厨房の男に声をかけた。
「メニューは?」
「うちはその日の仕入れによって値段も出せる部位もまちまちになってしまうので作ってないんですよ。一応、本日のコースって形で提供させていただいてます」
「はぁ、それで、そのコースはいくらになるんですか?」
いきなり金の話ってのは下品だが、こういう穴場的店は値段が馬鹿みたいに高い時がある。悪いが、あまりに高過ぎた場合はお暇させてもらおう。
「そうですね、本日は……」
男の言った値段は案外丁度いい値段というやつだった。それならと注文をしかけた時だった。ふと、コースがなんの種類の肉が出てくるのかが気になった。しかしさっさと腹を満たしてしまいたい気持ちもある。
幸い、私にはアレルギーは無いし、特に好き嫌いも無い。出てくればわかるだろうと、男に飲み物はお冷で構わないことを告げた。
様々な部位が乗せられた皿達が机の上に並べられる。料金からこの量は当たりの店かもしれない。肉もサシが下品にならない程度に入っており、期待が持てる。
焼けた肉を1口頬張ると、食欲のそそられるタレの味と食べたことの無い味が口の中に広がった。それは七面鳥の様な、豚のような。なるほど、ジビエ料理店だったかと考えながら、焼けた端から肉を腹に収めていく。今まで食べたことの無い甘美な味に手を止めることも勿体なく感じていた。
「すみません、お会計を……」
すっかり食べ終わり、声をかけると食べている間は姿が見えなかった店主の男が、厨房からぬっと現れる。客が食事をしている間に気が散らない為の気遣いだろうか。いい店を見つけたものだ。道に迷ったのは災難だったが、得をした。黙々と会計を進める男に私は声をかける。
「実は私、グルメライターでしてね。色々な店に取材に行っているのですが、ここまで美味しい店は久しぶりで感激しました。いや、なに、取材の申し出という訳ではないのですが、少しお話を聞かせていただいてもよろしいですかね?」
「記事にしないということでしたら、構いませんよ。あまり大勢のお客様が来られても提供出来る食材に限りがありますから」
「いやいや、個人的興味です。味からしてジビエですよね?肉の種類は?経営はおひとりで?」
思わず詰め寄るように質問をしてしまったが、男は特に動じることもなく初めて私の目をしっかりと見た。
「経営は店番の私ともう1人、猟師が1人ですね。彼がその日、狩ってきた獲物を提供させてもらってます。それから肉の種類、ですね。そちらはお客様に当ててもらうという形をとっているんですよ。お客様は何だと思いましたか?」
肉の種類を客に当ててもらう?随分マニアックな趣味の店だが、個人店だから出来るエンタメというやつだろう。私は先程食べた肉の味から思案する。
「いやぁ、色んな物を食べてきたと思うんですけどね。難しいですね。降参です」
両手を軽く上げて茶化すように言うと、男は柔和な笑みを浮かべた。
「1回で当てれるお客様の方が少ないんですよ。是非また来てください。こちら、店の住所です。これも何かの縁ですから。肉の種類が当てることが出来たお客様には特典もございますので」
それから私はタクシーを呼び自宅へ帰ったんだ。満足感とあの美味しい肉はなんだったのかと頭の中がいっぱいだったよ。
特典というのが気になったこともあったからね。ジビエ料理を出している店をあちこち巡ったがあの素晴らしい味には出会うことが出来なかった。
希少な動物をこっそり狩猟して提供しているのかもしれないと、様々な肉の味について調べ……そして、あるネット記事に辿り着いた。
確かにそれが答えなら1回でわかる人はいないだろうと納得したものだよ。え?勿体ぶらずに何の肉か教えろだって?
まぁ、それは直接聞いた方がいいんじゃないかな。実は肉の種類がわかった後に店に行って特典を貰ってね。特別に狩猟の見学をさせてもらえることになったんだ。
君を今日呼んだのは、その狩猟に付き合ってもらえないかって誘いなんだ。いい経験だろ?もちろんその後、店にも連れて行ってやるさ。
どうやら丁度、来たみたいだ。ここの会計は私が持つよ。君は先に店の外にある黒いバンに行っててくれないか?そうそう、あの車だ。運転席をノックして私の知り合いだと言えば乗せてくれるはずだよ。
さて、借金をしてまで豪遊していた君の味はどんなものなのだろうか。狩猟も楽しみだ。
ジビエ 月桂樹 @Bay_laurel
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