LGBTQを物語に組み込む/その考え方は物語の時代背景にマッチしているか?

 物語における全ての展開には、理由が要ると私は考えている。

 近年目にするのはLGBTQは何もおかしいものではなく異性愛者と同じ様に普通に存在するのだから、それが物語に登場するのも普通という意見だ。

 だが、待って欲しい。異性愛者の愛を物語に登場させるにも実の所、理由はいるのだ。

 何故、その人を好きになるのか?というものは、異性愛。同性愛に関わらず描かねばならない。異性愛者だって異性を愛する理由を描く必要があるのだ。


 異性愛者を描くことに関しては、昨年の鎌倉殿の13人を思い出して欲しい。作中では明言されていなかったと思うが、実朝は同性愛者ではないかという事をそれとなく感じさせていた。だが、そうであっても時代背景やキャラクターの立場を崩す事なく実に上手く表現していた。

 特に秀逸だったのは正室である千世をないがしろにすると言う事は無かった点である。作中で実朝が抱いていたのは、自分の気持ちと立場における葛藤であり、自分を慕ってくれる大切な人を愛せないという苦悩だった。

 彼はその気持ちをしまい込み、千世を慈しみ。彼女はそんな彼を支えようとする。むしろこれこそ賛美される愛なのではないだろうか?肉体関係はないとしてもそこに確かに愛を感じさせた。そう肉体関係など無くても愛は表現できるのだ。


 それが、どうする家康ではどうだ?実に幼稚な表現と言わざる負えない。

 特に「殿に触れられるたびに吐きそうに」とかこれ性別逆だったら大問題だっただろう。

 LGBTQを出しそれを明言させるなら、側室にしたお葉の様子がおかしい事に気付いた家康が、お葉の本当の気持ちに気付き、便宜を図ってやり、その事を感謝したお葉が、家康に感謝し、側室として子を産む役目は果たせないけれど、貴方をお支えしますとした方が、展開として自然だっただろう。


 LGBTQを出しただけで、すっごーい。なんて言っていられるのは、もはや古臭いにもほどがある。この辺りは次の話でさらに言及するが、ただ一つ確かなのはLGBTQを出すなら出すで、それが物語に強く作用するぐらい。意味のあるものとして登場させるべきだ。ノルマの様にこなすな。恋愛物語に置いて異性愛者の愛が必要かつ重要なものであるように、LGBTQの登場する物語はその愛が物語上必要で重要なものでなければならない。

 まぁ、どうする家康は異性愛者の愛ですら丁寧には描けていないのだから、酷な話かもしれない。

 この辺りは前回の【どうする家康はどうすれば良かったのか?四話で脱落した私が考える「大河ドラマどうする家康」の問題点】の【ヒロインは何故主人公を好きになるのか?】で言及しています。


 あとは、なんか、このドラマやたらお手打ち望むことない?そんな事ない?気のせい?

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