コメディとシリアスのバランス/その演出はどうよ?

 昨年の鎌倉殿の13人を手掛けた三谷幸喜氏は、コメディ寄りの脚本を手掛ける人だと思っています。なので、鎌倉殿の13人にもコメディ要素はありました。けれど肝心なところは締めていた。そこで鎌倉殿の13人は、コメディ要素を含みつつも、シリアスな物語として成立していたのです。


 例えば、鎌倉殿の13人の序盤。

 主人公から見ると、父親や兄たちは酷く頼りない、ともすれば間が抜けている様にも見える。

 だが、そのような日常から、いざ戦場という非日常に舞台が変わると、主人公と父親たちの関係は一変する。頼りなく間が抜けている様に感じられた父親たちは、戦場では実に見事な動きをする。逆に、日常において優れている様に見えた主人公は戦場に置いて、頼りなくなるのである。このギャップが非常に良かった。


 どうする家康は、コメディを前面に出しすぎて、締めるところを締めないものだから此処面白いでしょ?のノリがともすれば痛いのである。

 こういうのが楽しいという人もいるのでしょうけども、少なくとも私には合わなかった。


 あと信長の速射描写も疑問を抱きました。おそらく信長の強さを表したいのでしょうが、そもそも信長が銃ではなく弓を、それも速射する意味が演出として効果的だったでしょうか?

 弓を射るならむしろゆっくりと弓を射ている最中「将軍様お討ち死に」の報を受けても一切動揺せずにもう一射して的に的中させる。或いは継矢させた方が良かった。

 もしくは、ものすごい強弓を使っているとかですかね。


 このドラマの演出は、とにかく早く、沢山、を強さの証しと考えている節があるように思います。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る