オムニバスの本懐
シュンタス・ルメ
第1話 書を司る者
古ぼけた板張りの床が歩く度に軋む。
反響した音を追うように天を仰ぐと、まるで星の無い夜のようだった。それだけこの建物は天井が高い。ポツポツとある頼りない燭台では、到底この広い空間を照らしきることはできないらしい。
―――旧帝国大図書館。
《オムニバス》と呼ばれたこの図書館には世界各国のありとあらゆる書物が保管されている。先の戦争で放棄されていなければ、今日も多くの賢者が集っていたであろう場所だ。
「いいぞ。思ったより保存状態は悪くない」
書架にあった一冊を手に取り、無作為にパラパラとページをめくった。これなら目当てのモノにも期待が持てる。なにせ俺が求めている《書物》はこの図書館の最奥で、より厳重に保管されているはずだからだ。
「司書がいたら話は早いが……」
大図書館と銘打っているだけある。その規模は想像を遥かに超えていた。フロアの数も蔵書量も尋常のそれではない。この本の山からたった1人で、目的の一冊を見つけ出すには最低でも数週間、いや下手したら数ヶ月見つからない、なんてこともあり得る。それこそ隠し扉なんてあったらお手上げだ。
「長期戦、だな」
途方もない作業量に腰が引けてしまう。
突如襲ってきた目眩を堪えながら慣れた手付きでシガーケースを取り出しタバコに火を着け――
「いかん。無人の廃墟とはいえ、図書館でタバコはさすがに……ぷはー」
喫煙家の自制心のなんと儚く脆いことか。言葉とは裏腹に身体は求めてしまう。それどころか罪悪感がスパイスになって普段より旨く感じている始末だ。
我ながら救いようがない。
天罰なら甘んじて受けよう。
そう覚悟を決めながら一服していると。
「ぬわぁぁにをしてるんですかバカー!!」
天罰が下った。
全身が一瞬で水浸しになったのと同時。
理解が追いつかないまま、ものすごい剣幕で怒鳴られた。気がした。
もはや五感は視覚に支配され、世界から音は消えていた。
それは眼前でキレ散らかしてる女性が明らかに制服の装いをしていたからで。
そしてその二の腕には《 司書 》の腕章が巻かれていたからだ。
湿気たタバコが口から滑り落ちる。
どうやら図書館の神は仕事が早いらしかった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ごめんなさい。ごめんなさいでしたあ」
台風一過。
嵐のようにキレ散らかした彼女は、人が変わったように額を地面に擦りつけていた。
今はもう頭も冷えている。色んな意味で。
改めて己の浅はかさにバツが悪くなった。
これだけ本が密集している空間で、もし火種がなにかに引火し延焼していたら図書館ごと丸焼きになっていたかもしれない。知らなかったとはいえ同じ部屋にいた彼女も巻き込んだのだ。
「悪いのは明らかに俺だ。すまなかった」
水浸しになった床の掃除を手伝いながら、すんすんと鼻を啜っている彼女へ質問を投げかける。
「あー、君はこの図書館の司書、なのか?」
この
つまりこの図書館に、司書などいるはずがないのである。
「あ、そのことですね」
質問の意図を汲み取ったのか、彼女はすくっとその場で立ち上がる。先程までの弱腰が嘘のように、今度は凛々しく理知的に微笑んでみせた。ほんと万華鏡のように表情が変わるヤツだ。
「それじゃお互いに自己紹介しませんか。脱不審者しましょう」
「そうだな。いろいろ聞きたいこともあるし、君には借りもできた。……俺の名はルガード。セラフィリア公国の軍人だった、元な」
やや含みのある物言いをしてしまったと後悔する。
案の定、彼女は事件の調査を任された名探偵よろしく目を輝かせる。
「退役されたんですか? かなりお若いように見えますけど。怪我をされてるようにも見えませんし……あっ、もしかして敵国の姫と禁断の駆け落ちを!?」
「なわけあるか。それこそ自己紹介も済んでない間柄でする話じゃあないだろが」
「たしかに!」
彼女は目を丸くして朗らかに笑った。
女性の笑い声というのは聞くだけで心が安まる。
それは戦場じゃ決して聞けなかったものだから、なのかもしれない。
「で、えっと、ここへは何しに?」
「図書館でやることなんて大体想像がつくと思うが」
「調べ物ですか」
「ま、そんなところだ。友人から噂を聞いてね。ここなら大抵の問題は解決すると」
「……ふーん。ま、いいでしょう。じゃあ次はわたしの番ですね。私の名前はウルリカ。生まれはヨルカ連邦のソフィリア。年齢は秘密」
「ソフィリアって、知恵の民で有名な?」
「詳しいですね!なにを隠そう、その知恵の民の末裔がわたしですよ。現在はこの
ウルリカは聞いてもいない身の上話を始めた。さすがに赤裸々すぎるだろう。初対面の会話ってこれくらいが普通だったか。彼女と話していると、どうも距離感が狂ってしまう。
「ヨルカ連邦は中立国だから交渉もしやすいので。手が回りきらない図書館の管理を格安で請け負う私たちみたいな変わり者は、本国にとっては、渡りに船、なんですよ」
そう言うウルリカの横顔はどことなく切なさを帯びていた。気持ちはなんとなく理解できる。
彼女らにとっては図書館とそこに貯えられた知恵こそが価値あるものであり、それを守って伝えていくことが行動理念なのだ。それを理解されないまま厄介払いに利用されたら、悔しくもなるだろう。
それは平和を望みながら戦地へ駆り出される兵士と似ている気がしたから。
「つまりこの図書館の管理者代行ってことか。ならその制服も腕章も必要なくないか?普段は誰もいないだろうに」
「気持ちの問題ですよ。それにいるんですって。ルガードさんみたいな人が。たまーに」
言われて気づいた。
「……バレてるって顔だな。そりゃそうだ。知恵の民の末裔が、この図書館の秘密を知らないわけないか」
ウルリカはふわっと微笑んだ。
この空気なら知っている。これは、殺意だ。
「知恵の民は、泥棒が大嫌いです。もしあなたが墓を暴こうというなら、管理者代行として《 お仕事 》を遂行しなければなりません。ルガードさん、あなたの狙いは――」
気圧される。歪に整った笑顔をそのままに。《司書》の腕章を指で弄びながら、ウルリカは言った。
「――――《
第1話 書を司る者 <完>
オムニバスの本懐 シュンタス・ルメ @shuntas
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