ミッション2「異能令嬢、図書館別院地史学資料室に潜入せよ」
「まったく、変な女が転入してきやがった。これも親父の差し金か?」
王立学院付属図書館。
別院地史学資料室。
地政学の講義をブッチした俺はそこで古代文明の発掘資料を眺めていた。
カリング王国より中海を越えて東。
砂漠と山と枯れた大河の地オズマール帝国。
長らく敵対関係にあり中海の制海権を巡り争ってきた宿敵の国。しかし、イーステン帝国と北のモスコヴィア共和国が北海同盟を組んだことで政府は方針転換。
彼の国と中海同盟を結び、ここ数十年に渡り緊密な経済・軍事連携を取っている。
オズマール帝国西部には人類発祥の地の一つとされる古代文明がある。
中海に面し砂漠に沈む都バビロン。
ここに展示されているのはその発掘品。
中海の制海権を巡って、度々オズマール帝国に侵攻したカリング王国は、オズマール帝国西部を一時占領していたことがあり、当時の兵士達が略奪してきたものだ。
王族が使っていた調度品から、庶民が使っていた日用品まで。ガラス張りのケースに収められたそれを眺めて、俺は太古に思いを馳せる――。
いったい彼らは何を想ってこんな意匠を施したのだろうか。
何を崇め、何を信じ、何を感じて生きていたのか。
バビロンは神の怒りに触れ一夜にして滅び、都に住んでいた民は次なる安寧の地を求めて大陸全土へと広がったという。カロリング王国にも中海を渡って彼らはやってきたとされ、俺の地の中にも少なからずバビロンの民の血が流れている。
なのに不思議なことにちっとも想像できない。
だから、史学は面白い。
赤土で練られた土器を眺めて俺は浅い溜息を吐いた。
「……親父に入れと言われなくても入ってたさ」
俺は史学が好きだ。
歴史が好きだ。
古代文明が好きだ。
その時代に生きていた人々を想うことが好きだ。
発掘品を眺め、その暮らしを具に想像し、彼らが何を願い生きていたのか考える。
そんなことにどうしようもなく胸が高鳴るのだ。
親父が軍の任務として古代文明を調査しているのは幸運だった。
史学なんて金にならない学問を専攻することをなんら咎められることなく、王立学院に入ることができた。もっとも、親父は将来的に俺を『古代文明調査兵団』なる、彼が率いる部隊の一員にしようとしているらしいが――。
「そこまで俺の人生を決められてたまるか」
素直になってやるつもりはない。
いや、正直に言おう。
務まる気がしないのだ。
古代文明を自ら調査し、仮説を元に軍や政府上層部と交渉し、国内はもちろん同盟国まで渡って発掘調査するだなんてとてもじゃないが真似できない。
俺のような陰気な男はせいぜい大学・資料館の事務員がお似合いだ。
親父がいささか特殊すぎるのだ。
それに、彼のような生き方が史学の徒の王道だとも思わない――。
「やぁ、また来てましたかシグルズくん」
「ラーグナー先生!」
「先生はよしてください。私はここのただの管理人ですから」
資料室の奥から顔を出したのは白い顔の壮年の男。
黒々とした毛を三つ編みにして垂らし、よれた青黒いローブを着込んだ彼は、この資料室の管理を任されているラーグナー先生だ。
もっとも彼が否定した通り、正式にはこの学院の教授ではなく、ただの事務員なのだが――彼の史学に関する知識の豊富さには舌を巻く。書物にある内容をもっともらしく生徒相手に説く教授連中より、よっぽど歴史への愛を持っていた。
この資料室に収められている発掘品の縁起についても彼はすべて知っている。
俺がどういうものかと尋ねるとすぐに教えてくれるほどだ。
特に『水晶のインク壺』の話は聞き応えがあった。
現代技術では再現不可能なほぼ真球の水晶をくりぬき、内部から古代文明の神の姿が彫り込まれたインク壺。インクを中に注ぐと重心が変わり、必ず口が真上になるようになっているのだという。
こんなものを作り出した古代文明とはいったい何者だったのか?
ラーグナー先生の話に俺は学院に入ってから聞いたどの授業よりも興奮した。
彼のような生き方もあるんだ。
社会的には資料室の管理人かもしれない。
けれどもそこに史学への敬意が確かにある。
なら、それでいいじゃないか――。
「しかし、この時間は授業中ではありませんでしたか?」
「……それは」
咄嗟にラーグナー先生から顔を逸らす。
まさか『クラスメイトにひやかされて教室から逃げてきた』なんて、バカなことを言えるはずがなかった。
それもこれもあの騒がしい女が悪い。
伯爵令嬢だかなんだか知らないが、どうして貴族の娘が王立学院に入学するんだ。
家庭教師を雇えばいいだろう。史学が学びたいというもなんだか嘘くさい。
曲がりなりにも編入試験を受けているので、知識は本物だろうが――アイツからは歴史に対する情熱のようなものを感じなかった。
あいつが見ているのはもっと現実的な何かだ。
過去ではなく現在。
あるいは未来。
俺とは違う方向をアン・ゴールディは見ている気がした。
なのにどうして――。
「まぁ、お年頃だからね、いろいろあるでしょう。深く詮索しません」
「すみません、ラーグナー先生」
「ちょうど珈琲を入れたところだったんだ、奥で一緒にどうです? 我が国が誇る『古代文明調査兵団』のご子息様の口には少し薄いかもしれないが」
「やめてくださいよ、そんな言い方」
「ふふ、バビロンに調査に行かれた父上から、珈琲豆を送られたりしなかったのかい? 向こうは珈琲の本場というじゃないか?」
「父は、そういうことはあまり。俺のことはどうでもいいんです、あの人」
「……そんな寂しい顔をしないでくれたまえ。分かった、今日のおやつにと買っておいたクルミのパウンドケーキも出そう。それで、ひとつ機嫌を直してくれないか?」
僕の正面に立って肩を叩いたラーグナー先生。
顔を上げた僕に先生はどこかくたびれた大人の笑顔を浮かべた。
「いただきます」
「じゃあ、奥の事務室で特別授業といこう。今日はそうだな――東の果ては華国の成り立ちについての講義といこうか。丁度、頼んでいた資料が届いた所なんだ……」
◇ ◇ ◇ ◇
「これで学内に侵入していた『古代文明調査兵団』は片付きましたわね」
非常勤講師1名。助手1名。事務局職員2名。合計4名。
王立学院に潜入していた『古代文明調査兵団』の構成員を始末すると、私はふぅと息を吐いた。
場所は学院地下に張り巡らされた下水道の奥深く。
ネズミたちのねぐらに非常勤講師の死体を放り込み、髪に通した魔力を解いていつもの形に整える。どんな場所でも、どんな状況でも、
さて――。
「この非常勤講師の授業があるのは三日後。助手・事務局員の行方不明については、どうにか誤魔化せそうですが、非常勤とはいえ講師となれば誤魔化せませんわね」
講師の不在は間違いなく騒ぎになる。
死体を隠蔽することはできても『なんの理由もなく職場を放棄した』という事実までは隠すことができません。一度くらいなら電報を偽装して誤魔化すこともできるでしょうが、事務員や助手の行方不明もその頃には問題になってくるはず。
「三日でこのミッションにケリをつけてみせますわ。電撃作戦なら望む所ですわよ」
赤煉瓦とモルタルで固められた下水道を革靴で踏みしめ私は決意を新たにする。
すると――下水道の対岸にすっと幽鬼のように人影が現れた。
銀色のショートボブの髪に眠たげな紫の瞳。
私の肩までもない小さく細い身体に白い肌。
少女のシルエットには似合わない青色の帝国情報部の軍服。最小のサイズにもかかわらず、丈あまりさせた彼女は他でもない――私の大切な
「
「……本当よ。貴方、もっと
「もう、相変わらず手厳しいですわね」
私と同じ異能令嬢。
コードネーム005。
各国に散らばって潜入捜査をしている異能令嬢たち。
その情報の橋渡し役として、ルディは日夜その異能で世界各国を飛び回っていますの。また、異能令嬢の身に起こった『不測の事態』への対応も彼女の管轄ですわ。
背負ったバックパックを脱ぐと、彼女は下水の対岸からこちらにそれを投げる。
私の身体にはいくらか小さいその中には、突然の襲撃によりボロボロになった王立学院の制服――の代わりが納められていた。
綿のやわらかい白いソックス。
黄金の髪を留める瑪瑙のバレッタ。
綺麗に磨き上げられたローファー。
そして、上等な絹で出来た赤紫のショーツ&ブラジャー。
まさに
バックパックを足下に置いて、さっそく私はダメになった制服から着替えはじめましたわ。スカートのホックを外して足下に落とすと、その上に乗って靴とソックスを脱ぐ。脚周りの装備はまだ使えないこともありませんでしたが――少しでも違和感があってはいけませんわ。なにせ、私は体調不良で講義を外れたのですから。
「助かりましてよルディ」
「しっかりやってアン。流石に『冥界のデスマスク』は帝国情報部としても、放置できない特級の厄ネタよ。王国がどの国に使うか、誰に使うつもりなのかは分からないけれど――必ず入手して我々の管理下に置かなくちゃ」
「分かっておりますわよ――やん! ショーツが破れていましたわ! これ、お気に入りでしたのに!」
「……今から捨てるのになんでそういうこと言うかなぁ?」
「社交界でうまく立ち回るには、愛嬌がなによりも大事なんですの。職業病ですわ、気になさらないでくださいまし」
「ハァ。こんなあんぽんたんのケツデカ女に世界の命運を託すことになるなんて」
「あんぽんたんのケツデカ女⁉」
たしかに、社交界生活が長くて少し体型が緩んできておりますけど。
けどけどまだ標準の範囲内ですわ。そんなにお尻も大きくありませんわ。
年相応。ここは
抗議の視線を対岸のルディに向けながら、私はスカートのホックを留める。
異能令嬢に叙任した直後のサイズで作られた王立学院の制服。「ふっ!」とお腹に力を籠めなければ入らなかったけれど――きっとそれは食後だからですわね。
私は気にしないことにいたいたしました。
新しい制服に私が着替える横で、ルディはネズミのねぐらに放り込まれた、哀れな『古代文明調査兵団』の構成員の死体を見つめる。
「死体の処理は私がやっておくわ。ここなら万が一にも見つからないだろうけれど、念には念を入れておいた方がいいわね」
「恩に着ますわ。ついでに……裏庭と図書館の閉架書庫、川沿いの水車小屋の梁の上と、馬小屋の飼い葉の下にあるのも片づけておいてくれます?」
「本当に
「いいではありませんの。
「私はアンタと違って暇じゃないんだけれどね。それと――シグルズは図書館別院の地史学資料室にいるわ。そこの事務員と珈琲を飲んで優雅なサボタージュ中よ」
「図書館別院――あぁ、それで図書館に姿がありませんでしたのね? ついでに探したんですけれど、どうりで!」
「だめだ、頭痛がしてきたわ……」
ブラのホックを留めて、ブラウスを着て、制服を羽織る。
最後に自慢の金網を瑪瑙のバレッタでまとめると、私はその場でくるりと回って具合を確かめた。よし、ばっちり。ジャストサイズですわ。
ちょっぴり胸がキツいとかそういうのございませんことよ。本当に。
身支度を終えた私の隣にルディが『空間転移』の異能で並ぶ。
「迷わないように送ってあげるわ」
「何から何まですみませんわね」
「そう思うならちゃんとミッションを完遂して。頼んだわよ
「お任せあれ
ルディの異能は自分の触れている『人間』も一緒に『空間転移』できる。
はぁ。
私もせっかくならば、こんな血なまぐさい異能ではなく、もっと
「それとアン」
「なんですのルディ?」
「……監視対象のお付きに気をつけて。
◇ ◇ ◇ ◇
図書館別院地史学資料室は学院の外れの森の中。
三角屋根をしたレンガ造りの建物。二階建て。壁面には所々ひびが入っており、それを埋めるように蔦が生い茂るなんとも侘びた施設。心なしか、本館であるはずの図書館よりも敷地が大きいのは、資料を収蔵するためにでしょうか。
周囲が背の高い針葉樹林に囲まれていることもあり、昼間だというのにいやに暗く涼しい。校舎の喧噪も届かないそこには、なんとも陰気な空気が漂っていましたわ。
こんな所に逃げ込むだなんて――どうしようもない陰キャチビメガネですわね。
「資料室は基本的に学生ならば出入りが自由――と、ルディは言っておりましたけれど、ここまで寂れていては普通に入っては悪目立ちしますわね」
ということで細心の注意を払いながら建物の中へ。
息をひそめ、周囲に気を配りながら、地史学資料室の両開きの扉を開く。
この手の扉には来客を知らせる鈴が付いていることがある。案の定、隙間から覗けば、両開きの扉の片側に呼び鈴が据え付けられていた。
呼び鈴を揺らさないよう、ゆっくりと付いてない方の扉を手前に引く。
いかにも資料館らしい黴びた匂いが鼻孔をくすぐる中、大理石でできた床を足音を立てぬように慎重に踏みしめて、私はそこを奥へと進んだ――。
ガラスケースがひしめく室内。
古代文明の遺物が注釈と共に綺麗に整列されていた。
保存状態もよく、適切にそれらが管理されていることがうかがえる。
どれも『古代文明からの発掘品』としては人畜無害なものばかり。
さきほど戦った『古代文明調査兵団』が扱う超遺物と比べれば、子供の玩具のようなものしか置かれていませんでしたわ。
つまり、帝国にとっての脅威はゼロということ――。
(あら? なにかしらこのインク壺は?)
そんな中、ふと部屋の隅に置かれている『水晶のインク壺』が私の目に留った。
丸い水晶をくりぬいて造られたそれは、内側に古代の神の姿が描かれている。
(あの意匠は――冥界神エレス? おかしいですわね? バビロンでは、天界神イスカと違い、冥界神エレスは畏怖され忌避される存在のはず。それをわざわざ、インク壺の中に彫り込むというのはいったいどういうことですの?)
水晶をよく見ようと私がガラスケースに近づいたその時――。
「ごちそうさまでしたラーグナー先生」
「またいつでもいらっしゃい」
シンと静まりかえった資料室の中に、急に扉の開く音がしたかと思うと、楽しげに談笑するシグルズの声が聞こえてきた。
どうやらサボタージュはもう終りのようだ。
なんて間の悪い!
どこか隠れる所がないかと探してみるが、生憎とガラスケース下の隙間くらしかない。その隙間も子供ならまだしも大人が隠れられる大きさではない。
迂闊。踏み込む前に咄嗟に隠れる場所を確認するべきだった。
「……あん? なんだお前、どうしてこんな所に?」
「あら、奇遇ですわねシグルズさま。こんな所でお会いするなんて」
下手に隠れて間抜けな姿を見つかるより、平然としておいた方がいい。
私は『偶然、別院地史学資料室に迷い込んだ』という体で誤魔化すことにした。
こういうのは下手に隠れるより、堂々としている方が疑われませんことよ――。
「おかしいな。人が入ってきたなら呼び鈴が鳴るはずなんだが?」
「……堂々と入ってしまえばよかったですわ」
私はつい先ほどの自分の慎重すぎる行いを後悔しました。
けど、仕方有りませんこと。こんなにも早く、監視対象が出てくるだなんていったい誰が想像できるといいますの。
訝しむ――というより不思議そうにするシグルズ。
警戒されるということはなさそうですが、変に突っ込まれるのもまずい。
再び私は機転を利かせて話題を逸らすことにした。
「そ、それよりシグルズ様? このインク壺を見てくださいまし!」
「ん? あぁ、『水晶のインク壺』か?」
「素晴らしい調度品ですわ。中に神々の姿が彫られていて光の加減で陰影が……」
「綺麗だろ。彫られているのは冥府神エレス。詳細は不明だが、王朝の陵墓を管理していた官僚たち、もしくは葬儀を司る神官たちが使っていたんじゃないかって話だ。冥府神は畏怖されこそすれ崇められることはなかったからな」
「……そ、そうですの? 詳しいんですのね?」
そして意外にも饒舌に水晶について語るシグルズに度肝を抜かれた。
なんですのいったい?
史学なんて興味がなかったんじゃありませんの?
官僚になるために学院に入ったんじゃありませんでしたの?
そんな嬉しそうな顔をして、どうしてこの男は私に水晶のことを語りますの――。
「内側に彫られたエレス神も素晴らしいが、水晶がほぼ真球になっているのも特筆すべき点なんだ。現代の技術でもこのレベルで水晶を成形するのは不可能らしい」
「そ、そうなんですのね……」
「さらに内側にインクを注ぐと口が必ず真上を向くらしい。実際に、インクが注がれた所は見たことはないが――重心まで考えて作られているだなんて、古代文明の技術力の凄さに感嘆させられるよ」
「真球、インクを注ぐと真上に、へぇ」
「おい、人がせっかく説明してやってんのに、なんでうわのそらなんだよ?」
なんでって?
こちらが聞きたいですわ、そんなこと!
私の心を掻き乱す想いがなんなのか。
どうしてこの男の言葉がこうも胸を打つのか。
メガネの向こうの珈琲のような渋い色味をした瞳に視線が吸い込まれるのか。
その答えを私が整理するより前に――。
「……ぐぅぅ」
お腹の虫が場を乱すように鳴った。
◇ ◇ ◇ ◇
気がつけば賢い女性コンの締め切りガガガ……!!
今回、別件作業中(ノベライズのお仕事&VTuberの方の続きの執筆)もあるため、かなり即興で書いています。ちょい荒っぽい文章&展開になると思いますが、頑張りますので何卒応援・評価よろしくお願いいたします。m(__)m
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