ラキスタ号

緋雪

ラッキーナンバー

 うちに新車が来たのは、うららかな春の土曜日の事だった。


「おい、友也ともや、お母さん呼んで来い」

 と、夫に言われ、リビングの窓近くで寝転んでゲームをしていた長男が、面倒臭そうな声で私を呼んだ。

「何? 車きたの?」

「うん、うん。みんな来い!!」

 部屋でPCを触っていた長女の涼子りょうこも呼ばれた。


 家族皆勢揃いして、ガレージに行く。

「え? 車、一緒じゃん」

 この4月から小学校6年生の友也が言い、

「嘘でしょ? 同じ車買ったの?」

 中学校2年生になる涼子が父親を見る。

「違うって。モデルチェンジしてるだろ? ほら、こことか、こことか、こっちも違うじゃん」

 夫は子どもたちに力説するが、それは大した差に見えず、せめて色くらい変えられなかったのかと、私も、内心、凄く思っていた。

「な〜んだ、つまんない」

 と、家に入りかけた子供たちを、夫が呼び止める。

「絶対的な違いがあるんだよ!! 30秒以内に見つけたら、500円やる」

 その言葉に、クルッと踵を返して、子供たちは帰ってきた。

「い〜ち、に〜い、さ…」

「あ〜、777だ」

「ラッキーセブンね」

 子供たちは3秒以内で見つけたようだ。あとで500円ね、と言って家の中に入ってしまった。

「よく取れたわね、777なんてナンバー。こういう番号って抽選ってきいたことあるけど?」

 私が夫に言うと、夫は得意気に言った。

「俺、運がいいみたいよ」



 翌日の日曜日、私は、朝から弁当を作らされている。


「明日は朝からラッキースター号、いや、『ラキスタ号』で、ドライブだ!!お母さんが弁当作ってくれるぞ。さあ、どこに行きたい?」

 夫は、今日の予定を勝手に決めてしまった。

「マジかよ~。やっと春休みに入ったのにさあ」

 と、ソファに寝転んでゲームをしている友也が言う。

「え〜、明日はイベントの日だから、10時集合なのに~」

 涼子は、PCのオンラインゲーム上で約束があるらしかった。

「お前らなあ、ゲームばっかしてないで、たまには外で遊べ。ほら、用意しろ、ほら、ほら」

 子供たちは渋々自分たちの部屋に、準備をしに行った。



 そして日曜日。

 皆で車に乗り込む。真新しい車は、独特の匂いがする。それだけが、この車が新車であることの証明のようだった。


「よし、久しぶりに海でも見に行くか〜!」

 夫は、一人張り切っている。春は、どっちかと言うと、山じゃない? 桜とか、まだ綺麗だと思うんだけどなあ……。私がそれを言ったところで、夫が行き先を変えることはないのを、皆知っていた。



「お? この先工事中、か。迂回しないといけないのか。こっちからの方が近いな」

「ナビで検索した方がよくない?」

 涼子が後部座席から言う。

「だ〜いじょうぶだよ。俺は方向は大抵わかるから」

 皆黙った。夫よ、君は自分の方向音痴にまだ気付いてないのかい?


 真っ直ぐ行けなくて、右折した先は公園と公園の間の道。迂回したいのだが、行けども行けども左折する道が見つからない。やっと細い道を見つけ、そこで左折した。

「ねえ、この道、生活道路じゃない?」

 と私が言うと、

「そうだよ。この辺の人しか通らないような道じゃん」

 と、涼子も言う。

「あ〜、もうちょっと待てよ。大きい道路に出ればわかるから」

 そう言いながら、夫は車を走らせ続ける。行き止まりを引き返し、どう見ても他所様の家の敷地内に入ろうとして、私や娘に止められ……。

 

 ついに夫は決心した。

「ナビで検索しよう!」

 皆、大きなため息をついた。

「どこに行きたい? 美砂海岸でいいか?」

「どこでもいいから、早くして!」

 涼子が怒ったように言う。

「そんな怒んなよ。美人が台無しだぞ?」

「はあ?」

 逆にイライラする涼子。既にその隣で寝てしまっている友也。



 ナビの力を借りて、ようやく美砂海岸近くまで来た頃には、とうに昼を過ぎ。

「お母さん、おなかへった〜」

 と、友也。

「あたしも!」

 怒ったように涼子。

「あ〜、もう、じゃあ、車の中で食べちゃう?」

 私がバッグからお弁当を出そうとすると、夫に止められた。

「新車だぞ! 中汚すからやめろ。着いてから食え!」

「え〜」

「マジか……いつ着くのよ?」

「もうすぐ着くから」



 午後1時すぎに、やっと美砂海岸に着いた。


 晴れていれば綺麗な景色だが、少し雲行きが怪しくなっていた。湿気を帯びた風が強くなっている。


 夫は平気な顔で、友也を起こすと、砂浜にレジャーシートを敷いた。


 それを遠くで私と一緒に眺めながら、

「ねえ、あれ、帰りにさあ、砂で車の中ジャリジャリになるやつなんじゃないの?」

 涼子が言う。

「いいんじゃない? 自分の車なんだし」

 私はため息を付いた。


「おーい、何してる? 早く、弁当、弁当!!」

 夫は、私と涼子を急かす。

 私達は、どんどん曇ってきて肌寒い砂浜で、黙々と弁当を食べた。

「いやー、お母さんの玉子焼きは、やっぱ美味いな!」

 などと、夫は一人ではしゃいでいる。

 もう、みんな無言だ。


「あ」

 友也が上を見上げる。

「あっ!」

 涼子も声をあげる。

「嘘、雨じゃん!」

 みんなして、バタバタと弁当を片付け、車に急ぐ。雨は既に、ポツポツからパラパラパラに変わっていた。

「おい、こら、友也、もっと綺麗に畳めよ。車の中が砂だらけになるだろ!」

「こんなとこに敷くからじゃん!」

「うるせえ、早く畳め、丁寧に、早くだぞ!」


「ねえ、早くしないと雨が酷くなってきてるから!!」

 私が車の中から大きな声で呼んだ、その時だった。


 ピカッ!! ガラガラガラガラガラ!!


「キャッ!」

 涼子が耳を塞いで、車のシートに顔を伏せた。

 雨が一気に強くなった。


 夫と友也は、シートを丸めて走ってくる。

 友也は大急ぎで涼子の隣に滑り込んだ。涼子が、可哀想な弟の頭をタオルで拭いてやった。


 「よし、一番近道で帰るぞ!」

 夫はナビを自宅にセットした。


「一番……?」

「近道……?」

 私と涼子は顔を見合わせる。

「ねえ、近道は、しばらく海沿いの道だからやめようよ。」

「そうよ。少し遠くても、国道に出たほうが……この雨だし」

 雨だけでなく風も出てきていた。波も高くなるかもしれない。


「なあに、海岸沿いの道を通るのは、ちょっとの間だろ? 大丈夫だって」

 夫は一度言い出したら聞かない。

 友也までが溜め息をついた。

「もうどっちからでもいいから帰ろうよ。俺、なんか寒くなってきたわ」

「え〜? 大丈夫?」

 可哀想な弟の頭を拭きながら、涼子は友也の濡れたTシャツを脱がせると、自分の羽織っていたカーディガンを着させた。


 海沿いの道を走り始めると、どんどん波が高くなってくる。


 ザッバーン!! 


 ついに、道路まで上がってくるようになった。


「だからさあ……」

 涼子がブツブツ言うが、

「なあに、すぐだから大丈夫だって」

 夫は自信たっぷりだ。

 夫の言う「すぐ」の間に、車は何度も波に洗われた。


 車って、海水、大丈夫なのかしら……。私は不安になっていた。


 


 なんとか家の近くまで帰ってきた時には、すっかり晴れ渡っていた。


 帰宅後。


 友也は熱が出始めて、ソファに横になっている。私と涼子もちょっと怠い感じになって、向かい側のソファに身を預けていた。


 夫だけが何故か元気だった。

 

「おいー! 誰かラキスタ号の掃除と洗車手伝えー!!」


 外から大声で私たちを呼ぶ夫を、皆、完全に無視した。


「なーにがラキスタ号だよ」

「アンラッキー続きだったよね」

「アンラキスタ号でいいんじゃない?」


 私と子供たちは、また深く溜め息をついたのだった。

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ラキスタ号 緋雪 @hiyuki0714

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