第18話 09時56分 婦警

 左右、そして上を確認後、四つん這いのまま壁際を突き進む。

 少し遠回りになるが、時間ぎりぎりでも拾えればいい。

 むしろそのタイミングで拾えれば初日も終わり、願ったり叶ったりだ。


 あと……少し。焦るな……音を立てるな……耳を澄ませ


 テーブルの前に据えられたL字型ソファーの前にたどり着く。

 僕は唾を飲み込んだ勢いのまま、息を止めてテーブル上へ手を伸ばす。


 …………掴んだっ!!


 指先に力を込めて勢いよく胸元へ引き寄せる。

 その時。


 L字型のソファーが、ゴトリと音を立てた。

 目を向けた瞬間、僕の瞳に映し出されたのは婦警アバター。


 ――囮!?

 ソファーの背面と窓の間に隠れていたのか!?


 薄型情報端末カードを餌にするという大胆な発想に僕は完全に虚を衝かれた形になった。


「またおめーかよッ!!」


 婦警が狙ってきたのは頭ではなく足だった。

 咄嗟に足を引っ込め、ソファーの対面の広い空間へ転がり出す。

 薄型情報端末カードを仕舞うことも、フォークを利き手に持ち帰ることも忘れ、僕は相手に背を向けた。


 まだか!? 早く終わってくれ――ッ!! 


「ここでアピールしときゃ、金を出すやつなんざいくらでもいるからよぉ――ッ!! テメーも参加してるんだったら腹の一つでもくくれやァッ!!」


 今の状況で下手に手を出せば僕が電気ショックの餌食だ。

 婦警こいつは僕のように甘くない、動けなくなれば確実に……


 僕の心の動揺を顕著に体が現してくれたのだろう。

 膝を思い切り伸ばし床を力強く蹴りだす……はずが――

 床の上を擦り空振りとなり、前のめりに倒れ込む。


「ビビリは逃げることも満足にできねーみたいだなァ!!」


 真っ白な頭で転がり尻もちを付いたまま相手を睨んだ時、すでに婦警が握るフォークが僕の左足の脛に刺さっていた。


「――いぎッ!!! やめ――ッ!!」


 咄嗟に右足で蹴ろうとするもこらえる。

 ここで僕から接触すればそれこそ終わりだ。


「ひひッ!! ナイフならもっと奥まで突き刺せたのによォ――ッ!!」


 相手も僕を捕まえることも、のしかかることもできない以上、刺したフォークを抉るように回すだけだ。


 痛みを堪えながら自ら横に転がり距離を取る。

 転がった際にフォークが僕の脛に深々と3本の爪跡を残すがそんなことを今気にしている場合じゃない。


 極度の興奮は思考そのものを頭から追い出している。


 どんなに無様でもいい。

 今は逃げ切るしかないんだ――ッ!!


 膝で立ち、背中を向けて足に踏ん張った時、左足のふくらはぎに激痛が走る。

 振り返るとやつが飛びついてフォークを突き立てている姿。


 痛みとしつこさ……そして興奮した結果――

 僕は相手の顔面をサッカーボールのように蹴りをいれてしまったんだ。


「いぎぁッ!! あああっぁああぁあああぁッ!!!!」


 腹の中心から全身に広がる痙攣は、僕が婦警を蹴った瞬間ライムラグなど一切なく、訪れた。

 蹴った直後の不安定な態勢に加えて全身を硬直させた僕は床を転がることもなく、天を仰いだ。


「うっひょぉぉぉぉッ!! ラッキー!!」


 仰向けに倒れ込んだ僕に触れないように頭部側へ回り込むと、膝を付き覗き込みながら口角を上げた。


 ――早くッ!! 早く動け!! 頼むから動いてくれよォォ――ッ!


 振り上げたフォークを見つめながら痙攣する腕に力を込めようともがき続ける。

 そしてフォークが振り下ろされる刹那。

 電気ショックの解けた腕を眼前に出し、手の平を悠々とフォークが突き破った。


「ひひひっ!! 大人しく死ん――――えっ!?」


 そして僕の視界が真紅に染まり、ぬめついた温かいモノが手の平、さらには顔に降り注いだ。


 この感触を僕は一生忘れることはないだろう。

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