第02話 11時33分 取り調べ

 殺したいほど憎い。という感情を僕はこの20年勘違いしたまま人生を生きて来た。

 世の中は理不尽で溢れている。

 この言葉を頭に思い浮かべたことはあっても、どこか他人事のように感じていた。

 家族関係、友人関係、仕事関係、etc……様々な関係を持つことは理性を繋ぎとめるための有効な手段だ。


 ついこの間まで僕もそう思っていた。

 だが、あまりに唐突で、あまりに無残で、あまりに理不尽な出来事を前にした時、それらを築いてきた労力など全て吹き飛んでしまった。


 いや……吹き飛んだというのは語弊があるかもしれない。

 殺したいほど憎いというものは、それらを用いてなお繋ぎとめることが不可能なことを指していたんだ。



「――取り調べは以上だ。だが自首シグナルを出した上にここまで素直に吐くなら……なんでこんなに期間を空けたんだ? もう数年前と違って逃げ切れるなんてことはないと分かってんだろ?」


 初めて入った取調室。

 僕のイメージは古すぎるのだろうか。


 質素な部屋とテーブルの上に電気スタンド……なんてない。

 インテリアとしての存在感を際立たせるロースタイルのソファー。

 ここに僕は今座っている。

 座面はやや硬めで座った時にお尻が沈み込まないので、座り心地から僕の部屋に置いてあるぼろぼろのソファーの数倍の値段であることが容易に想像できた。


 このソファーに違和感を覚えることのないアンティーク調で統一された部屋は、傍から見れば優雅にお茶を楽しむひと時にしか見えないだろう。


「最後に見ておきたい動画があったのと……気持ちを整理するために必要な時間って人それぞれですよね。誰でも気持ちを落ち着けることができる便利な魔法なんてないわけですし。あくまでも僕個人の意見ですけど……」


「事件現場で出せばもう少し情状酌量の余地もあったろうになぁ~! シグナル的には不振な行動は示されていないが、まぁ期間が空いた以上、証拠隠滅等も疑われることになるからな! とりあえずお前の薄型情報端末カードは預かっておくぞ。たま~に未だにスマホ使ってるやつもいるがありゃーかさばるからしんどいが、年齢に見合った機器を持ってて助かるよ」


 取り調べを行った刑事である『鶴嘴つるはし』さん。

 短髪刈り上げに無精ひげという強面スタイルにダークネイビーのスーツは正直似合っていない。

 そんな鶴嘴つるはしさんが言うシグナルとは、国民の1人1人に割り当てられたバイオチップから発する信号のことを指している。

 犬や猫等の個体識別向けマイクロチップの人間用と考えるのが一番分かりやすいかもしれない。


 テクノロジー発展の影響の一つだが、文字面ほど恐ろしい物ではない。

 埋め込んだチップから認証や居場所情報、生体情報記録を読み取ることもできるため、迷子や誘拐、病気の早期発見など利便性の大きさゆえに受け入れられたものだ。

 突発的な事故などで大怪我を負った場合でもシグナルが発信されるため、この恩恵に与った人も決して少なくはないだろう。


「まぁいい。それで……本当に『PriTubeプリチューブ』への出演でいいんだな? 厳罰化が進んで簡単に塀の外に出られなくなったからとはいえなぁ……なんで取っ捕まった野郎はどいつもこいつもから生還できるような主人公になれる、なんて妄想ができるのか俺には理解できねえよ」


「はい。出演でお願いします。その覚悟は済ませてきたので」


 鶴嘴つるはしさんは嘆息を漏らしつつ、ソファーから腰を上げた。

 すると天井のレンズが光り始める。


「出演は上からしてみれば大歓迎だ……が、どいつもこいつも感覚が麻痺していることに気がついちゃいねえ……まぁそれで稼いでる警察側の俺が言っても説得力はねえな。まぁいい規則は規則だ。この説明動画を見てお前が書類に同意すれば出演を断る理由はねえ」


 無言で頷いた僕を見ると、鶴嘴つるはしさんは背を向け、


「この動画は何度見ても虫酸が走るんだ。終わったら書類持ってくるから1人でゆっくり鑑賞してくれや」


 吐き捨てるように言葉を残して部屋を後にした鶴嘴つるはしさんを見届け、顔を戻すと天井のレンズからホログラムが映し出される。

 この場に似つかわしくない丸みを帯びたポップ調なフォントでPriTubeプリチューブの文字が浮かび上がっていた。

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