一章 2032年3月

第01話 2032年3月20日(土)晴れ

『――もぉ~ほんとに困ったさんだなぁ~……そういう人にはしっかり言わないとだめだよぉ~』


 スピーカーから流れる天使の声。

 これは僕のモーニングルーティンに必要不可欠な要素だ。


 推しVの動画は寝起き脳を一瞬で活性化させてくれる。

 この映像も通算50回以上は見聞きしているだろう。

 2、3年近く前の動画であり、ネット上では公開されたことがない。

 僕の薄型情報端末カードとクラウド上のみで保管している貴重な動画だ。


『――でも、難しいよね……この前相談したお姉ちゃんの話もちゃんと伝える勇気が持てなくて……』


 僕は朝の日差しと共にインスタント珈琲を啜り、推しVの声に癒されるこのひと時がたまらなく好きだ。


 幸いにも僕は好きな事に関連した仕事でなんとか生計を保つことができているが、やはりモチベーションは高いに越したことはない。

 高ければどんな困難も乗り越えていけるさ。

 あくまでも僕個人の意見だけどね。


 そして今日は仕事ではない。

 でも……モチベーションを上げておかないと、恐らく持たない。

 と言うよりもこの動画を見ることができるのも最後になるかもしれない、そんな心構えの元、動画を横目に着替えを済ませた。


『――うん、ありがとう! しっかり伝えてみるよ! でも、紅鮭さんも言ったからには頑張らないとダメだぞ~っ』


 もちろんどのVでも活力を得られるかと言えばそうではない。

 僕の推しVである『ルネねえ』こと『根瑠寝ねるね ルネル』でなければこの活力を得ることは難しいだろう。


 V勢は、『PTuber』という後続勢力に人気を奪われているが、僕の推しに対する思いは世の流れ程度では揺るがないからね。

 結局PTuberもアバターを被って配信を行うことに変わりはない。

 ただ配信コンテンツが違うだけだ。


 まぁガワ師の仕事で食べている僕はVだけでなく、PTuber関連のデザインと3Dモデル共に仕事で請け負うことも多いので否定しきれる立場ではないけど……


『――うん、うん? そんなことないよぉ~。PTuberもAIの子もいるっていうけど、ちゃんと頑張ってる人もいるって聞いたことあるから! 2級犯罪とか1級犯罪の細かいこともしっかり覚えないといけないしすごい大変らしいよ~……』


 2032年現在、世の中はこの数年で劇的な進化を遂げた。

 主にAIの革新に伴うテクノロジーの発達が主な理由と言われているけど、僕は細かいことは分からないし、調べない。

 自分の仕事にどう影響が出るのか、自分の趣味にどう繋がるのか、それが分かれば十分だ。


 AIの発展に伴い犯罪に対する法整備が考えられないほど迅速化された。厳罰化や名称の変更もあり、さすがにこと細かには僕も把握しきれていない。

 同じ名前でも中身が変わってたりとややこしすぎる。

 最近必死に覚えようとしていたが、整理されたとはいえ量が膨大すぎた。


 過去に殺人罪や爆発物使用罪と呼ばれていた犯罪等は1級犯罪。傷害や強盗等は2級犯罪と整理されたはいいけどきっちり覚えている人は法に関わる人かPTuber関連の人くらいだろう。


『私はちょっと苦手なコンテンツだから見たことないけど……それに私の配信だってPTuberさんに比べたら微々たる人数だけど、応援してくれる人はいるんだからほ~んと幸せだよ~! 応援は数じゃなくて気持ちだってそう思えるからっ!』


 そんなAIに仕事を奪われる心配をしていたが、逆にAIを利用、共存することで、こんな僕でもなんとか生き残れているという現状。

 なので、PTuberの仕事でももらえれば飛びつくさ。

 でもあくまでも推しはルネ姉であることは揺らぐことはない。


『うん! それじゃ~今日もありがと~! また次も見に来てねっ!』


 動画の終了と共に薄型情報端末カードを擦り出力していたホログラムが消えたことを確認すると、冷めた珈琲を一気に飲み干した。

 ズボンのバックポケットに薄型情報端末カードを差し、しばらく椅子に背を預けて揺られること、体感では数時間が立ったように感じた頃、僕の部屋のインターホンが音を立てた。


 玄関モニターを確認することもなく、僕は椅子から腰をあげ玄関に向かう。

 時計がふいに目に入ったが、アーカイブを見終わってから30分も経っていないことに気が付いた。


 靴を履き、玄関ドアをゆっくり開けた先に佇んでいたのは2人の男だった。

 片方の男が一歩前に出ると手帳を片手でかざしながら僕に告げた。


「『苺谷いちごだに 天雄あまお』だな? 『詩布うたの 香夜かよ』に関連する1級犯罪容疑で逮捕する」

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