愛欲獣-リべディスト-【Case.2】

双瀬桔梗

三つの幸いと七つの不幸

 いくつかの幸いも、それを上回る不幸が続けば意味を成さなず、悲しい結末を迎える場合もある。

 リべディストとなってしまったまどか=ヘルディ=あんと、彼女の想い人であるかわ=ファリス=ヒナミ。この二人の女子高生も、幸いを上回る不幸の所為で、互いの手を掴めなかった。



 雲一つない青空の下、杏七とヒナミは学校の中庭のベンチに座り、仲睦まじく話している。何気ない会話と、柔らかな笑顔。花壇に咲く季節の花々も、どこか微笑ましそうに、二人を見つめている。

 そこへ、他校の制服を着た男子学生が一人、近づいてきた。男子学生は憎悪の表情を浮かべており、手には銃を持っている。

 杏七が男子学生……彼女の許婿いいなずけの存在に気づくのと、ヒナミに銃口が向けられたのは、ほぼ同時だった。杏七は咄嗟に、ヒナミに覆い被さる。

 一つ目の不幸は、嫉妬に狂った杏七の許婿がヒナミを殺すため、女子高に乗り込んできた事だった。

 彼が銃の引き金を引くのと、杏七がヒナミを庇うのも、ほぼ同じで――放たれた弾丸はよりにもよって、杏七の胸を撃ちぬいた。それが二つ目の不幸だ。

「杏七ちゃん……?」

 ヒナミは恐る恐る杏七の亡骸を抱きかかえ、呆然と呟いた。

 目と鼻の先に見える職員室から、騒ぎを聞きつけた教師達が飛び出してくる。怒号を上げる杏七の許婿を取り囲み、教師達はなんとか宥めるが、彼は叫ぶのをやめない。

 喧噪の中、撃ち抜かれた杏七の胸から、鮮やかな緑色の葉がついたつたが伸びてきた。胸の傷口も徐々に塞がってゆき、蔦は自由に杏七の体に絡みついていく。傷が完全に塞がると、蔦の成長も止まり、杏七はゆっくりと目を開いた。

 立ち上がった杏七を見て、傍にいた養護教諭は驚き後退り、近くにいる生徒達は戸惑いの声を上げる。

 ヒナミだけが蘇った杏七に恐れる事なく、潤む瞳で彼女に抱きつく。

 幸いにも、杏七が理性を保っていられたがゆえに、ヒナミを喰らおうとはしなかった。

 杏七とヒナミは、幼い頃から互いを想い合っている。しかし、それぞれに親が決めた許婚いいなずけがいるため、二人は気持ちを押し殺してきた。そんな風に想い合っていれば、少なくとも太陽が出ている間なら、リべディストは理性を保っていられるようだ。

 それを知ってか知らずか、ヒナミは安堵の表情を浮かべたが、すぐに別の問題が発生している事に気がつく。リべディストとして蘇った杏七に注がれる恐れの眼差しと、不穏な空気。それを感じ取ったヒナミは迷わず、まだ状況を把握しきれないでいる杏七の手を取り、走り出す。


 幸いな事に、ヒナミの許嫁いいなずけや妹、友人らは二人の味方でいてくれた。彼女らの助けもあり、ヒナミは杏七を連れて校外へ逃げ出せた。


 それでも不幸が二人を追いかける。

 想い人が死ねば、リべディストは人間に戻るらしい。そんな間違った情報が、街中に広まっていた事が三つ目の不幸だ。

 リべディストは想い人にしか殺せない。それなら想い人の方を殺してしまおう。

 杏七を手に掛けた張本人である許婿が、邪悪な笑みを浮かべてそう言った。彼の父親はこの街の権力者で、息子を溺愛している。

 彼が口にした事に、異議を申し立てる者は全員、捕らえられた。それが引き金となり、を殺そうなんて愚かな考えが、街全体に広がっていく。それが四つ目の不幸だった。


 五つ目。日が沈み始めると、杏七は苦しそうに喉を押さえ、座り込んだ。そんな彼女のために、ヒナミは自販機で飲み物を買おうとして、杏七から離れてしまう。

 六つ目。運悪く、杏七の許婿に見つかり、ヒナミは銃で撃たれた。何度も、息絶えた後も。ヒナミの方へ伸ばした杏七の手は、周りの大人達が邪魔で届かない。

 七つ目。当然、杏七は人間に戻らなかった。そして、の伝説通り、次々と周りの大人達を切り裂き、原型がなくなるまで許婿の全身を殴り続ける。その後も暴走した杏七は止まらず、次々と街の人間を手に掛けていった。


 想い人の命を奪われたリべディストは理性を失い、満足いくまで周囲にいる人間を攻撃し続ける。それが真実だ。




 朝日が昇り、理性を取り戻した杏七は血溜まりの中、よろよろと歩いていた。多くの人間のパーツが散らばる地面から、ヒナミの亡骸を見つけた杏七は膝をつき、彼女を抱き締める。


 ——こんな時に言う事じゃないかもしれないけど……やっぱり、この気持ちは伝えておきたい。あのね、あたしは杏七ちゃんが好き。ずっと昔から、大好きだよ。


 少し照れくさそうに言った、ヒナミのその言葉を杏七は思い出し、涙を流す。

「ヒナミ……私も、貴女を愛してる」

 嬉しくて、恥ずかしくて……いつ、ヒナミを喰べてしまいたくなるか、分からなくて不安で、口にできなかった言葉を杏七は呟いた。

 杏七に巻きついている蔦と葉が枯れ、彼女の体も徐々に朽ちてゆく。

「ごめんね……」

 その言葉だけが、最期に虚しく響いた。






 地下牢に捕らえられていたヒナミの許嫁と妹、友人らはその日の内に、隣町の警察官によって救出された。


 を殺す事に反対した彼女達だけが、幸いにも、杏七愛欲獣見つから殺されずに済んだ。



【Case.2 終】

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