第2話 父とハマの想い

1985年3月


大町ハマは教授にレポートを提出し家路に着いた。これで卒業に必要な単位は卒論だけだ。4月からは週1回、研究室に顔を出すだけでいい。


晴れ晴れとした気分で夕食を食べ、くつろいでいると、父が改まった顔で話し始めた。


「実はな、塾を辞めようと思うんだ」

「!」


ハマは絶句した。ハマの実家は個別指導塾で、近所の小中学生に勉強を教えている。進学塾というよりは、学校の補習が中心だ。


「なんで!?塾は父さんと母さんの夢だったんでしょ?」

「確かにそうだ。だがな、このへんも塾が増えて、生徒も減ってきたんだよ」


両親はふたりとも小学校の教師をしていた。ひとりでも多くの生徒に勉強の楽しさを伝えたい、その想いで教師を辞めて10年前に塾を開業した。


「ちなみに、今は何人くらい生徒がいるの?」

「今は・・・0だ」

「0!?」


両親が塾を開業した頃は、このあたりに塾はほとんどなかった。しかし、この10年のあいだに大手の塾が次々と進出してきて、今では8軒くらいになった。


ハマの両親は丁寧な指導に定評があるが、大手塾の集客戦略には歯が立たず、生徒は年々減っていた。ついに今年の春、中学生が卒業して生徒は0人となった。


「俺も母さんも、教師を続けていたら定年の歳だ。これからは田舎に戻って今後のことを考えようと思う。もちろん、お前には大学を続けて教師を目指してほしい」


ハマはしばらく黙っていた。そんなに簡単にやめちゃっていいの?塾に来る生徒はみんな楽しそうな表情をしていた。父さんも母さんも塾を続けたいに決まっている。


ハマはおもむろに口を開いた。

「私が塾を続ける」


父と母は呆気にとられたように固まった。ようやく父が返答した。


「お前は教師になるんだろ!思い付きで言うな!」

「思い付きじゃないよ!」


ハマは4月から大学4年生で、その後は小学校の教師になるつもりだ。だが、いつかは両親の塾を受け継ぎたいと考えていた。


「中学生のとき、苦手な英語を父さんに教えてもらったから、得意になった。あの喜びを私も生徒に伝えたい!」

「お前にはお前のやるべきことがある。塾のことはもういいんだ!」


その後、1時間近く押し問答が続いた。ハマは感情高ぶって涙が流れ始めた。父も譲らずにハマの意見を否定した。似た者同士の話し合いで、決着がつかない。


「もう、今日のところはこれでおしまい」

と、母が仲介したのを機に、父もハマも自室に戻った。ハマは父に自分の想いが理解されなかったと、悔しくてその夜はひと晩中泣いていた。

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