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マーブル
第1話 教師生活を振り返って
先日、勤め先の小学校で定年を迎え、児童や保護者、同僚教師たちに最後のあいさつをした。人生の半分以上にわたって教育に携わり、多くの子どもたちを導いてきた。
別れのあいさつのときは涙が止まらなかった。その後、教室で子どもたちと撮影した集合写真を手にしながら、自宅の縁側で物思いに耽っている。
この40年で世の中も子供も大きく変わった。コンピュータの普及、統廃合による学校の減少、オンライン授業など自分が教師になった頃には考えられないことばかりだ。
子どもたちも学校が終わったら、公園や近所で元気よく遊んでいたものだ。最近は治安の問題や習い事で、外で遊ぶ子どもも減ってきた。
自分が子供の頃はゲームもスマホもSNSもなかった。毎日、日が暮れるまで外を駆け回ったものだった。そんなことをしみじみと感じながら、受け持った子どもたちのことを思い出す。
ちなみにハマは流行に敏感で、コンピュータやスマホを使いこなし、ゲームも受け持ちの児童に負けないほどだった。
実はハマは大学卒業後すぐに教員になる予定だったが、親戚から個別指導を頼まれ、その後は予備校講師となった。今でいうカリスマ先生のように、教室が生徒であふれかえっていた。
30歳のとき結婚を機に予備校を辞め、数年後に小学校の教員となり定年になるまで続けた。自分の人生の半分以上は教師をしていたわけだから、退職時の物悲しさもひとしおだった。
教師をしていると、本当にいろいろな生徒に出会う。勉強はできないけど、休み時間になるとみんなが集まって来て、遊びの中心になる子。
学級委員やリーダーになりたがる子。小学生ですでに大学生向けの歴史の本を読んでいる子。絵が上手で文集になると必ずイラストを描く子。
普段はあまりしゃべらないのに、日記や年賀状にギャグやとんち話を書く子など、実に様々な子どもたちがいた。
ときにはきつく叱ったこともあるが、子どもたちは納得してくれたはずだ。今でも同窓会に呼ばれて行くと、
「あのときの先生、こわかったよ」
と笑いながら話してくれる。
どの生徒も生き生きとしていて面白い部分がたくさんあった。もちろん全員覚えている。
特に個別指導をしていた頃は、生徒との距離も近く、教えることも初めてだったので、毎日が刺激的で昨日のことのように思い出すことができる。
そうそう、最初に受け持ったあの生徒は印象的だった。名前も顔も鮮明に覚えている。
彼の名前は、薫。
それでは、薫との出会いから話し始めましょう。
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