第15話 陵辱された正義
次の日の午後。ケスバラレイムとクロバラレイムは、城の南側にある潔白の間に集まっていた。二人は、部屋の壁際に立ち、丸テーブルの席に座るマドレーヌと、彼女の向かい側に立つエルヴィスの厳しい尋問に耳を傾けていた。
「なぜ俺の命令を無視して、たった一人でダンスホールを出たんだ?」
「すぐに戻るつもりでしたから、一人で出歩いても大丈夫かなと思いまして」
「だが、喫茶室で君を見かけた者は誰もいない。本当はどこにいたんだ?」
「本当に喫茶室にいました。ただ私が行った時には、ちょうど誰もいなかったんです」
「君には空白の三十分がある。実際、君がダンスホールから姿を消している間に、エルンスト夫人やカメリーノ嬢が殺害されている。三十分もあれば、単独でも十分犯行を実行出来るはずだ」
「違います。私は本当にやっていません」
マドレーヌは、唇を震わせながら、無実を訴える。
「ならば、エルンスト夫人のそばに落ちていた、この香水瓶はどう説明するつもりなんだ?」
エルヴィスは、テーブルに置かれた香水瓶を指差して、マドレーヌを険しい目つきで見据えた。
「この香水瓶は、いつも化粧台に置いてあるもので、普段は持ち出すことはありません」
「ちなみに、この香水瓶はどこで手に入れた?」
「亡き父が私のために、ガラス職人に作らせた、世界で一つしかない香水瓶です。それにこの香りだって、パリでも指折りの調香師に特別に作らせたもの。他の調香師がそう簡単に出来る香りではないわ」
「だが、その世界で一つしかない香水瓶が、エルンスト夫人のご遺体のそばに落ちていた。つまり、君は何者かがブルドン邸に侵入し、わざわざ犯行現場まで持ち出したと言いたいということか?」
「はい。それしか考えられません。だって、本当に身に覚えがないんですもの」
「とはいえ、こちらでブルドン邸の調査をしたところ、不審者が侵入した痕跡は一切見つけられなかった。つまり、君自身がエルンスト夫人を殺害した際に落としてしまったんじゃないのか?」
「私は誰も殺していないし、この香水瓶がなんであんなところにあったのかも分からないわ!」
マドレーヌは必死で自分の潔白を訴える。
「そうか。ならば、ここで一つ、あんたに見てもらいたいものがある。おい、あれを持ってこい」
「はっ!」
エルヴィスが命令すると、ポリスの一人が部屋を出た後、布に包まれたローブを持って、再び入室してきた。
「警部! 持って参りました」
「ここに置け」
「はっ!」
ポリスは、テーブルの上にローブを置いた。
「これは?」
マドレーヌが尋ねると、エルヴィスは手際よく布を取って、ローブを彼女の前に近づける。
「これはアイラさんを毒殺した犯人が身に纏っていたローブだ。早速だが、このローブの匂い、少し嗅いでみろ」
エルヴィスに言われた通り、マドレーヌはおそるおそるローブに染みついた匂いを嗅ぐと、みるみるうちに顔がこわばった。
「分かったか? このローブに染み付いた強烈な匂い、君がつけている香水と同一のものだ」
「……この匂い、そんな」
「いい加減、そろそろ真実を語るべき時ではないか、マドレーヌ・ブルドン!」
「違う。私じゃない。私は本当に何もやっていないわ」
追い詰められたマドレーヌは、目から大粒の涙を流しながら、席を立ち上がり、ある男の名を叫んだ。
「ポールよ! ポールが私を犯人に仕立て上げたのよ!」
「ポール?」
「そうよ! あの男が、私の弱みにつけ込んで、私を利用したのよ! そうよ、きっとそうだわ!」
マドレーヌは目を血走らせながら、自分の無実を訴え続けた。半狂乱になったマドレーヌを目にしたエルヴィスは、大きな溜息をつく。
「ごほっ、ごほっ、全部、はぁっ、はぁっ、あの男が仕組んだのよ! はぁっ、はぁっ、ポールが、ポールがジェノバだったのよぉっ!」
マドレーヌの息が次第に荒くなってゆく。
「尋問はここまでだ。今すぐ被疑者を部屋に連れて行け」
「はっ!」
「それからすぐにドクターを呼べ。まだ死なれては困る」
マドレーヌは胸を抑えながら、苦しそうに顔を歪ませながら、咳き込んだ。
「ごほっ、ごほっ、悔しっ……絶対に……許さなっ」
ポリスたちは、二人がかりでマドレーヌの両腕を抱えて、潔白の間から足早に出て行った。
ティファニーが居間で、読書をしていると、窓の外から雷が轟く音が聞こえてきた。
「あら、そろそろ雨が降りそうね」
何気なく窓の外を見てみると、空は黒い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうであった。
(クリスティーナ、またハンティングに出かけているのかしら?)
ティファニーがそんなことを思っていると、ミントグリーンのデイ・ドレスを着たクリスティーナが、居間に現れたのである。ティファニーは、すぐに本からクリスティーナに視線を移す。
「あら、クリスティーナ。今日はハンティングに行っていなかったの?」
「うん。今日は天候が崩れそうだったから、ハンティングに行くのは止めたよ」
クリスティーナは、グランドピアノの鍵盤に手を触れながら、苦笑する。
「そう」
「ティファニーは、マドレーヌの尋問、見に行ったの?」
クリスティーナはそう言って、鍵盤を人差し指で弾いてみた。
「行こうと思ったら、お祖父様に叱られてしまったわ。マドレーヌは見せ物じゃないって」
「当然だよ。そもそも、あの尋問は最初から無意味だよ」
「どういう意味?」
「どう考えても、マドレーヌはジェノバじゃないでしょ?」
ティファニーは嬉しそうに笑いながら、クリスティーナを真っ直ぐ見つめる。
「うふふ、良かった。クリスティーナも私と同じこと考えていたんだ」
クリスティーナは、グランドピアノから離れ、窓際に移動し、稲妻が走る空を見上げる。
「ところで、ティファニー。今夜は私の部屋で寝ない?」
「えっ、別にいいけど、珍しいわね。クリスティーナから誘ってくるなんて」
ティファニーが本を閉じると、クリスティーナは彼女の方を振り向き、意味深な微笑を浮かべた。
「私、夜に雷が鳴っていると、怖くて一人じゃ眠れないんだ」
マドレーヌの尋問が中断してしまった、その日の夜。ケスバラレイムとクロバラメイムが大広間で夕食をとっていると、エルヴィスが入って来た。
「おっ、ここにいたか、マダム」
ケスバラレイムは赤ワインを一口飲んだ後、エルヴィスの方に目を向ける。
「マドレーヌさんは、あれからどうなったの?」
「今は容態が安定して、部屋で眠っている」
「そう」
「良かった」
クロバラメイムは、サーモンのオランデーズを食べる手を止めて安堵をした。
「それで、これからどうするつもりなの? 彼女をこのまま逮捕するつもり?」
ケスバラレイムの質問に、エルヴィスは難しい表情を浮かべて、その場に立ったまま、しばらく考え込んでしまう。
「やはり、ブルドン嬢の言葉が引っかかる」
「ポールが一連の事件に絡んでいるかどうかってことでしょう?」
「だが、全ての事件において、彼のアリバイは証明されている。このままブルドン嬢の香水を超える重要な証拠が掴めないなら、彼女を逮捕せざるを得ない」
「いくらアリバイがあるからと言っても、ポールさんが事件に全く関与していないという証拠はあるんですか?」
「いや、それは」
エルヴィスは、言葉に詰まってしまう。
「どう考えても、マドレーヌさんお一人であれだけの犯行をするのは不可能ですよ。ロックフェラー警部、ポールさんのこれまでの動向を洗い直してください」
クロバラメイムは、エルヴィスに再捜査を強く求めた。
「でも、もし彼のことを調べるなら、内密に動いた方がいいかもしれないわね」
「なぜだ?」
「先生?」
「私のローズヒップがそう警告しているからよ」
ケスバラレイムはそう言って、自分の胸に手を触れた。
夜になると風が強くなり、横殴りの雨が降り出した。針葉樹は激しく揺れながら、雨の暴力に耐えていた。そして、空には時々稲妻が走り、鋭利な光の線が走る。ヴァレンタイン城は、不穏な闇に包まれてゆく。
雷の音が城の外から聞こえてくる中、カーティスは、ポールの部屋の前に立って、扉をノックした。
「入れ」
「失礼します」
カーティスが部屋の中に入ると、ウィスキーが入ったグラスを手にしたポールが窓際に立ち、夜の闇に沈んだ庭園を見つめていた。
「珍しいな。こんな時間に俺のところに来るなんてよぅ」
ポールは、ニヤリと品のない笑みを浮かべながら、ソファのそばに立つカーティスの方を振り返る。
「……」
だが、カーティスは何も言わずに、ポールを見据えている。
「人肌恋しくなったのか、カーティス? だったら、今から俺と一緒に飲もうぜ」
上機嫌なポールがグラスを軽く揺らしながら、カーティスを誘う。しかし、カーティスは首を横に振って、彼の誘いを断った。
「クリスティーナ様に、ジェノバ様の日記をお渡し致しました」
すると、ポールの顔から笑顔が消えた。
「ジェノバの日記を渡しただと?」
「私にはこれ以上、クリスティーナ様を欺き続けることは出来ません! ジェノバ様と引き離され、長い間、どんなに孤独な日々を過ごしてきたことか。ポール様は、クリスティーナ様に罪悪感を抱いたことはないのですか?」
「ふざけたことしやがってえぇぇっ!」
ポールは声を荒らげながら、グラスを勢いよく床に叩きつけた。
「ポール様!」
ポールの鬼のような形相を目にしたカーティスは、思わず後退りをしてしまう。
「俺のパーティーは、まだ終わっちゃいねぇんだよおぉぉっ!」
「あうっ!」
ポールは、カーティスの頬を殴った。しかし、それでも彼の怒りは収まらず、床に倒れたカーティスの腹の上に跨って、拳で頬を三回殴った。
「この野郎! ただじゃ済まさねぇぞ、カーティス!」
「ぐはっ!」
切れた唇から血を滲ませながらも、カーティスは怯むことなく、ポールを説得する。
「はぁっ、はぁっ、どの道、私たちが警察に捕まるのも時間の問題でございます。せめて、はぁっ、はぁっ、牢獄に入る前に、クリスティーナ様に本当のことを伝えることが、私たちに出来る最後の罪滅ぼし……」
「寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞ! この裏切り者があぁぁっ!」
「おっ、おやめくださっ、ポール……様!」
怒り狂ったポールは、カーティスの首を両手で絞める。カーティスは、息苦しさで顔を歪ませながら、ポールの手首を掴んで抵抗する。しかし、ポールは、容赦なくカーティスの喉笛を親指で押し潰してゆく。次第にカーティスの意識は朦朧とし、ポールの手首を掴んでいた手の力が弱まっていった。
「くっ、あっ……」
カーティスは、苦悶の表情を浮かべたまま、しばらくして息を引き取ってしまった。
「カーティス。最期に傷ついた俺のために、罪滅ぼしをしてくれよ」
瞳孔が開いてしまったカーティスの耳元で囁いた後、ポールはゆっくりと彼の首から手を離した。そして、カーティスの上着を引き裂いて、首筋から胸板にかけて舌を這わせて、愛撫を始めた。
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