第13話 鮮血の仮面舞踏会

 太陽が沈み、すっかり夕闇に包まれてゆくと、城の内部から燦然と輝くシャンデリアの光が窓から溢れ出した。この光に吸い寄せられるように、今宵も多くの招待客が訪れた。凄惨な事件の記憶を打ち消してしまうほどに、ダンスホールは熱気に包まれ、相変わらず賑わっている。だが、それとは対照的に、城のあちこちにポリスたちが配置され、前回以上に厳戒態勢であった。

 エルヴィスの指示通り、ティファニーは、壁の花を演じるビアンカとマドレーヌと共に、壁際のソファに座っていた。だが、特に何もすることがなく、ただ座っているのは、彼女にとってひどく退屈であった。

(今頃、クロバラメイムはクリスティーナと一緒に踊っているのかな?)

 ティファニーは、楽しそうに踊る男と女たちに目を向けると、大きな溜息をつく。クロバラメイムとクリスティーナが、一緒に踊っているところを想像してしまうだけで、なぜか胸が締め付けられように苦しくなってしまう。

「やぁ、ティファニー!」

 赤いアイマスクをつけた、タキシード姿のガブリエルがティファニーの前に現れた。

「ガブリエル? あなたも舞踏会に参加していたの?」

「ああ、もちろんだとも。今夜こそ、天使のように可愛い君の姿を、目に焼き付けようと思ってね」

 ガブリエルは、ティファニーの前で跪いて、手を差し伸べる。

「ガブリエル?」

「そんなところにずっといては退屈だろう、ティファニー。気分転換に僕と一緒に踊らないかい?」

「えっ、でも、私……」

「行ってきなさいよ、ティファニー」

 ティファニーが一瞬躊躇うと、二人掛けのソファに座っていたビアンカが、扇子を仰ぎながら、にこりと笑った。

「大丈夫よ、こっちは私たちに任せて」

「分かったわ。ビアンカがそう言うなら」

 ティファニーが、ガブリエルとともにダンスホールの中央に向かった後、マドレーヌは、正しいホールドで軽やかなワルツを踊るエルンスト夫妻に視線を移した。たとえ仮面をつけていても、マドレーヌにはすぐに彼が、シュタインだと分かった。

「どうしたの、マドレーヌ? あの二人が羨ましいの?」

「いいえ、別に」

 マドレーヌが寂しそうな笑みを浮かべて、扇子を広げると、エルンスト夫妻が華麗なステップを踏んで、彼女のそばを通り過ぎて行った。一方、エルンスト夫妻から少し距離を置いたところでは、ケスバラレイムが、ポールとダンスを楽しんでいた。

「やっとあんたと踊ることが出来たぜ、マダム」

 ポールは満足そうに言いながら、彼女をウィングする。

「私も、あなたと踊れて幸せよ、ポール」

「このまま俺の部屋までエスコートしてやろうか?」

 ポールは、ここでヒールターンをする。

「遠慮しておくわ」

「おっと、そりゃぁ、残念だ」

 ケスバラレイムがポールの誘いを断ると、壁の花を演じていたマドレーヌは扇子を仰ぐのを止めて、ビアンカの方を振り向いた。

「少し喉が渇いたわ。一瞬だけ席を外して良いかしら」

「別に構わないわよ」

「すぐに戻るわ」

 マドレーヌは、足早に険悪なムードを漂わせながら、壁際に立つクロバラメイムとクリスティーナの前を通り過ぎて、ダンスホールを出て行った。

「いつまでそこに立っているの?」

「それはお互い様だろ?」

 二人は我慢比べでもしているかのように、壁際から一歩も動こうとしない。

「今のあんたって、まさに壁際の薔薇だね」

「君にだけは言われたくないね」

 腕を組んだクロバラメイムが苛立った口調で言うと、クリスティーナは、ある男に目を止めた。

「ねぇ、あれって、ジェノバじゃない?」

「何?」

 クロバラメイムが、クリスティーナが指を差す方向に目を向けると、ジェノバらしき男が、銀色のアイマスクをつけた紫色のイヴニングドレスを着たご夫人と踊っていたのである。

「あの黄金の仮面に、赤いマント……間違いない、あれは」

 クロバラメイムは、いきなり駆け出した。

「ちょっと待って!」

 クリスティーナは、クロバラレイムを引き止めようとしたが、今の彼に彼女の言葉が耳に入るはずがなかった。

「ジェノバ! 今度こそ逃さないぞ!」

 しかし、クロバラメイムに気がついたジェノバは、すぐにご夫人を突き放し、ダンスホールの出入り口に向かって走り出してしまう。

「おい! 危ないじゃないか!」

「やぁね」

「ごめん! ちょっと退いて!」

 クリスティーナは、踊るカップルたちを押し分けて、クロバラメイムを追いかけた。




 ちょうどその頃、ティファニーは、ガブリエルと不規則で不安定なステップを踏みながら、ポルカを踊っていた。

「ああ、僕は幸せ者だよ。愛しい天使に何度も足を踏み潰されて……うぐっ!」

 先程からティファニーのヒールが、ガブリエルの足首や膝にガンガン当たっていた。しかし、彼女と踊ることをずっと夢見ていたガブリエルにとって、この鈍い痛みすら至福の喜びであったのだ。

「あふっ!」

 ティファニーは、ガブリエルから目を離した瞬間、彼の左足を思いっきり踏みつけてしまった。

「クロバラメイム!」

 ジェノバを追いかけるクロバラメイムを見かけた、ティファニーは、踊ることを止めて、彼の後ろ姿に釘付けになってしまった。

「どっ、どうしたんだい、ティファニー?」

「ごめんなさい、私、行かなくちゃっ!」

「えっ? ちょっとティファニー!」

 この時、すでに引き止めようとするガブリエルのことなど眼中になかった。ティファニーは、急いでクロバラメイムを追いかけて行った。

「僕より、あのバラ臭い探偵を選ぶなんて」

 ダンスホールの中央で、ショックを受けていたガブリエルに追い討ちをかけるように、彼のそばで踊っていたカップルたちの肘が背中に当たり、バランスを崩して、うつ伏せの状態で床に転んでしまった。




 先にダンスホールを飛び出したクロバラメイムは、薔薇の回廊の方向に向かって走るジェノバを発見する。

「待て!」

 前回、ジェノバを取り逃がしてしまった悔しさが再び込み上がり、クロバラメイムは躍起になっていたのである。

(前回は逃したが、今回は絶対に逃さないぞ!)

 ジェノバは階段を駆け上がり、二階の方に向かってゆくと、クロバラメイムも息を荒らげながら、階段を一気に駆け上がった。

(あっちもポリスたちが厳重に警備をしているはずだ!)

 しかし、クロバラメイムが薔薇の回廊に差し掛かった瞬間、思わず足を止めてしまった。

「なっ! これは」

 薔薇の回廊にいくつも配置された石膏像のそばで、複数のポリスたちが頭や胸から血を流して倒れていたのである。

「おい、大丈夫か? しっかりしろ!」

 しかし、ポリスたちは誰一人、クロバラメイムの呼びかけには反応しない。

「まさか、もう……」

 クロバラメイムは、一番手前に倒れているポリスに近づき、彼の手首に親指を押し付けて、脈を確認した。しかし、脈はすでに動いていない。

「くそっ、手遅れか」

 クロバラメイムが、大理石の床に拳を打ち付けると、後ろからクリスティーナの声が聞こえてきた。

「クロバラメイム!」

 だが、クロバラメイムから何の返答も返ってこない。彼は、ポリスたちの亡骸の前に立ち尽くしたまま、険しい表情を浮かべていた。

「はぁっ、はぁっ、何があったんだよ?」

「ポリスたちが死んでいる」

「えっ? この人たち、全員死んでいるの?」

 クリスティーナは驚愕しながらも、ポリスたちの死体を見渡す。

「ああ。全員、銃で撃たれた跡があるが、僕は銃声を聞いていないんだ」

「ということは、私たちが到着する、ずっと前に殺されたってこと?」

「そういうことになるな」

「ねぇ、クロバラメイム。ジェノバはどうしたの?」

「すまない。また見失ってしまった」

 すると、クリスティーナは、彼の言葉を聞いて落胆してしまう。

「嘘、また見失ったの?」

「だが、この薔薇の回廊を抜けて、テラスの方向に向かったのは間違いない」

「じゃあ、私、今から追いかけて……」

「いや、僕が行く」

「えっ、でも……」

「君は、早くこのことをロックフェラー警部に知らせてくれ。いいな!」

 クロバラメイムは、念を押すように言った後、テラスを目指して、再び走り出した。





 二階の北側にある、舞踏会の喧騒が届かない、静かなロココ調の一室で、イザベルは、仮面を外して、白百合の花の花瓶が置かれたコンソールの前に立つジェノバと対面していた。

「ジェノバ……約束通り、私を迎えに来てくれたのね?」

 ずっと待ち焦がれたジェノバとの再会に歓喜したイザベルは、思わず、彼の胸の中に飛び込んでしまった。すると、ジェノバは唇を歪ませて微笑みながら、イザベルを両腕で優しく包み込んでゆく。

「これでやっとあなたは、私のものになるのね」

 イザベルが色気を含んだ甘い声で囁く。そして、ジェノバの胸板をそっと撫でると、彼女は目を大きく見開いて、その手を止めた。

「あなた、もしかして」

 イザベルがジェノバの顔に目を向けた瞬間、彼は短剣で彼女の腹部を突き刺してしまう。

「なっ!」

「もうお前の役目は終わった。ここで大人しく死んでもらう」

「そっ……んな……」

 イザベルは、口から血を流し、崩れ落ちた。ジェノバは、イザベルの死を確認した後、パンツのポケットから蝶と薔薇の繊細な金細工が施されたクリスタルガラスの香水瓶を取り出した。そして、彼はすぐにイザベルの亡骸のそばに落とし、そのまま足早に部屋から立ち去った。




 クリスティーナと別れた、クロバラメイムは、テラスに向かって、薄暗い廊下をひたすら走り続けていた。

(あと少しでテラスに到着するはずだ)

 だが、丁字路の廊下に差し掛かった時、女の悲鳴が聞こえてきた。

(悲鳴? ジェノバの仕業か?)

 丁字路を右に曲がったクロバラメイムが、そのまま真っ直ぐ進み、悲鳴が聞こえてきた二階のテラスに飛び出すと、そこにはジェノバと同じ格好をしたビアンカが血を流して、うつ伏せに倒れていたのである。彼女の背中には、ジェノバの短剣が刺さっていた。短剣の刃は、すでに心臓にまで達していた。そして、彼女のそばには、あの白百合の花が落ちている。

「はぁっ、はぁっ、まさかこいつがジェノバの正体?」

 クロバラメイムは、ビアンカの死体を見て、唖然としてしまう。




 クロードとエルヴィス、そしてカーティスが書斎で待機していると、廊下側から激しく揉めている、二人のポリスたちとクリスティーナの声が聞こえてきた。

「ちょっと君、ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」

「私は、クリスティーナ・ヴァレンタイン! ここの城主の孫娘だ!」

「そんなことを言われても、何か証明する者がなければ、ここを通すわけには……」

「騒がしいな。一体何事だ?」

 騒ぎに気がついたエルヴィスが、ピストルを手に持って、周囲を警戒しながら、扉をゆっくりと開けた。

「お嬢様、どうなされたのですか?」

「クリスティーナ、そんなに慌ててどうした?」

 クロードとカーティスが、クリスティーナの方に近づいて来た。

「刑事さん、大変だよ。ジェノバがっ、ジェノバが現れたんだよ!」

「なんだって?」

「やつは今、どこにいる?」

「ごめん、クロバラメイムが追いかけたんだけど、また見失っちゃったんだ」

「クロバラメイムがどこに向かったか、分かるか?」

「えっと、テラスの方に行ったんだけど、薔薇の回廊にポリスたちが何人も血を流して、倒れていて」

 その知らせを聞いたエルヴィスは、血相を変えて、部屋を飛び出した。

「警部!」

「お前たちは、ここで警備を続けろ!」

「はっ!」

 エルヴィスは、二人のポリスに命じた後、急いで現場に向かった。

「お祖父様! 私、一旦ホールに戻って、ティファニーたちの様子を見に行ってくる」

「分かった。気をつけて行きなさい」

「うん!」

 クリスティーナも、すぐに一階のダンスホールに向かって、駆け出した。

「旦那様、よろしいのですか? 一人で行かせて」

 カーティスは、クロードの判断が正しかったのか、疑問を抱いていた。

「お前も知っているように、あの子は束縛が嫌いな子だ。好きにさせておきなさい」

「はぁ」

 カーティスは納得のいかない様子で、渋々返事をしたのであった。




 仮面舞踏会も終盤に入り、ダンスを存分に楽しんだケスバラレイムは、ポールと腕を組んで、待ち合わせ場所の壁際のソファに近づいた。

「あら? 誰もいないわ」

 ここで優雅に寛いでいるはずのティファニーやビアンカ、そしてマドレーヌに加えて、クロバラメイムやクリスティーナの姿もなかった。

「どうせ若い男でも捕まえて、戯れているんじゃねぇの」

「あの三匹の可愛い娘たちなら納得出来るけど、クロバラメイムやクリスティーナもいなくなってしまうなんて」

「二人で仲良く密会でもしているんじゃねぇか?」

 ポールは、ニヤニヤと厭らしい笑みを唇にのぼらせる。

「あら、いつからそんなに仲良くなったのかしら?」

「ポール! 大変だ!」

 シュタインが、慌てた様子で二人に近づいてきた。

「おう、シュタインじゃねぇか。どうした?」

「先程まで一緒に踊っていた妻が、突然いなくなってしまったんだ」

「なんだって?」

「まぁ、それは大変ね」

「おそらく、まだこの城のどこかにいるはずだ。申し訳ないが、今から一緒に探してくれないか」

「いいわよ。ポールと一緒に探しましょう」

 ケスバラレイムは快く引き受けた。

「二人ともありがとう。本当に助かるよ」

「おいおい、勝手に引き受けるなよ、マダム」

 面倒事に巻き込まれるのが嫌いなポールは、不貞腐れてしまう。だが、ケスバラレイムは、嫌がるポールと腕を組んで、強引に連れ出そうとする。

「困っている人を見捨てるなんて出来ないわ」

「へへっ、あんたの口からそんな言葉が飛び出してくるなんて意外だな」

 こうして三人は、急遽ダンスホールを出て、イザベルの行方を探すことになった。





 クロバラメイムがポリスたちと一緒に現場検証をしていると、エルヴィスが駆けつけた。

「クロバラメイム!」

「ロックフェラー警部!」

「ジェノバの死体が発見されたと聞いたが」

 エルヴィスはそう言って、ビアンカの死体に近づいた。

「彼女はカメリーノ嬢じゃないか? まさか、彼女がジェノバだったのか?」

「僕も最初はそう思ったんですが、さっき彼女の頬を触ったら、まだ少し温かったんですよ。もしかしたら、犯人が時間稼ぎをするために、ビアンカさんを」

「つまり、カメリーノ嬢を囮にしたということか」

「ビアンカさんの他にも被害者が出てしまった可能性があります」

「なんだと?」

 ここでダンスホールにいるはずのティファニーのことが、なぜかクロバラメイムの頭を過ぎる。

「ロックフェラー警部。少しティファニーの様子を見て来ます。なんだか嫌な予感がしますので」

「分かった。ここは俺たちに任せろ」

「はい」

 クロバラメイムは急いで、ダンスホールに戻って行った。

(無事でいてくれ、ティファニー)




 ケスバラレイムは、ポールとシュタインとともに、城の北側にある幻想の回廊を歩いていた。

「うふふ、本当にダンディーな方ね、シュタインさんは。見れば見るほど、ますます惚れちゃうわ」

 ケスバラレイムは、仮面を外したシュタインの目鼻立ちがキリッとした端正な顔に、すっかり惚れ込んでいた。

「はは、お世辞はやめてくださいよ」

 シュタインは、ケスバラレイムの熱い視線に、思わず苦笑してしまう。

「私、お世辞なんて生まれてから一度も言ったことはないわよ」

「おいおい、シュタインに乗り換えるなら、俺はもう帰るぞ」

 無理矢理連れて来られたポールは、不機嫌であった。

「ところで話は変わるけど、ここ最近、奥様に変わった様子はなかったかしら?」

 ケスバラレイムがイザベルの様子について尋ねた時、シュタインはしばらく黙った後、ぎこちない口調で答えた。

「いっ、いいえ。特には」

「ふん。どうせ、また他の男と遊戯でも楽しんでいたんだろ?」

 すると、シュタインが鋭い目つきでポールを睨みつける。

「君のことだ。どうせまたイザベルをたぶらかしたんだろう?」

「はぁ? 言いがかりはやめてくれよ。俺は、あんな女の相手をしているほど、お人好しじゃねぇ。それに、あの男癖の悪さは生まれつきのもんだろう」

「これ以上、彼女のことを悪く言うのはやめてくれ。不愉快だ」

「へっ、弁護士なんかやっている暇があったら、女を見る目でも養ったらどうだ?」

「なんだと……」

 ポールの挑発的な言葉に、シュタインは怒りに震えてしまう。

「あんなに男にいいかげんな女が自分の妻なら、俺はとっくに別れているさ」

「いくら君でも、イザベルを侮辱するのは許さないぞ!」

「じゃあ、あの二人のガキの父親は、本当にてめぇなのか?」

「……」

 シュタインが押し黙ってしまった瞬間、ケスバラレイムは、廊下の突き当たりの方に向かって歩いてゆくジェノバを発見する。

「ジェノバ!」

 ケスバラレイムたちの存在に気がついたジェノバは、いきなり走り出し、腰に差した長剣で、窓を割って、城の外に向かって飛び出してしまった。

「おい、あれは……」

「追いかけるぞ!」

 ポールはすぐに割れた窓に近づいて、暗闇に包まれた外を見渡した。

「いねぇな」

「うふふ。今日は大胆な演出をするのね、ジェノバ」

 ケスバラレイムが、ポールにゆっくりと近づいて来た時、不自然に扉が開いた部屋の中に入ったシュタインが、突然叫んだ。

「今度はなんだよ?」

 シュタインの叫び声を聞いたポールとケスバラレイムが、すぐに薄暗い部屋の中に足を踏み入れると、そこには白いイブニングドレスを真っ赤に染めた、イザベルの亡骸を抱きかかえるシュタインがいた。

「ああ、なんてことだ!? イザベル!? あああぁっ!」

 シュタインは、イザベルの頬を撫でながら、泣き叫ぶ。

「息を吹き返してくれぇぇ、イザベル!」

 ポールは、激しく取り乱すシュタインにかける言葉が見つからず、その場に立ち尽くしていた。だが、そんな彼をよそに、ケスバラレイムはイザベルの遺体に近づいて、険しい表情を浮かべる。

「一歩遅かったわね」

 ここでケスバラレイムは、鼻先をピクピクと動かして、周囲を見渡した。すると、イザベルの遺体のそばに落ちている、綺麗なクリスタルガラスの香水瓶を発見したのである。

「香水瓶? なぜ、こんなところに?」

 床に落ちた衝撃で、香水瓶の蓋が緩み、中身が少し漏れていた。そのため、仄かなジャスミンの香りが、室内に漂っている。ケスバラレイムにとって、それは、どこかで嗅いだことのある匂いであった。




 クロバラメイムが、慌ててダンスホールに戻る途中、鏡の回廊を歩くティファニーと遭遇する。

「クロバラメイム!」

 クロバラメイムの姿を目にしたティファニーは、すぐに彼のそばに駆け寄った。

「ティファニー!」

「どこに行っていたの? 私、ずっと探してて」

「ティファニー、無事で良かった」

「えっ!」

ティファニーが無事であることに安堵したクロバラメイムは、思わず彼女のことを抱きしめてしまう。だが、その一方で、まさかクロバラメイムから抱きしめられると思っていなかったティファニーは、この時、頬を赤く染めながら、ひどく動揺してしまった。

「万が一、君に何かあったら、僕はクリスティーナに……」

「あっ」

 ティファニーは、クロバラメイムの背後にいるクリスティーナと目が合ってしまった。ひどく間の悪い状況に、ティファニーは思わず彼女から目を逸らしてしまった。すると、クリスティーナは、寂しそうな目をして、その場からひっそりと立ち去った。













 











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