第12話 懺悔と後悔の果てに

 翌日の朝、雨を孕んだ分厚い雲が空を覆う中、教会の墓地には、クロードとカーティスがいた。クロードは杖をついて、ジェノバとジュリアが眠る墓の前で、呻くような声を出して泣いていた。

「ううっ、ジェノバ、本当にすまない。おっ、お前を守ることが……出来なくて……この無力な父を許しておくれ」

 クロードは、事件に巻き込まれたジェノバを助けることが出来なかった自分の無力さを悔やんでいた。

「誰よりも家族想いの、一途なお前が娼婦なんかと駆け落ちするはずはないと、わしはずっと信じていた。どんなにポールやクリスティーナがお前を罵っても、わしだけはお前の味方だよ。本当だよ。信じてくれ、ジェノバ」

 クロードのそばに立っていたカーティスが、空を見上げると、雨がポツポツと降って来た。

「旦那様、そろそろお屋敷に戻りましょう。風邪を引いてしまいます」

 カーティスは、冷たい雨に当たり、クロードが体調を崩すことを心配していた。

「お前は先に帰っておれ。わしは、もう少しだけここにいる」

「しかし!」

「頼む。もう少しだけ、ジェノバのそばにいさせてくれ」

 断固として、墓の前から離れようとしないクロードに、カーティスは手を焼いていた。




 クロードとカーティスが墓地に行っている間、談話室では、エルヴィス主導のもと、明日のジェノバ捕獲作戦に向けての作戦会議が行われていた。室内には、ケスバラレイム、クロバラメイム、ティファニー、クリスティーナに加えて、サロンのメンバーであるポール、イザベル、シュタイン、マドレーヌ、ビアンカが、長テーブルに座り、暖炉の前に立つエルヴィスに視線を向けていた。

「ヴァレンタイン侯爵がまだいらっしゃらないが、すでに開始時間が過ぎてしまったので、これから明日のジェノバ捕獲作戦について説明したいと思います」

 時間に細かいエルヴィスは、クロード不在の中、作戦会議を始めてしまった。

「おいおい捕獲って、ジェノバは野生動物かよ」

 エルヴィスは、鼻で笑うポールを無視して、長テーブルに城の間取り図が書かれた紙を広げた後、短い棒を使って、それぞれの配置場所を確認した。

「今回の作戦でも、いつものように、ダンスホールの入り口周辺にポリスたちを配置するわけですが、我々はホールの内部には足を踏み入れることは出来ないので、ここは是非、仮面舞踏会の参加者であるサロンの皆さんにご協力して欲しい」

 エルヴィスは、サロンのメンバーにも協力を呼びかけた。

「さて、作戦の中身についての説明ですが、まず、ティファニーさんには、ビアンカさんやマドレーヌさんたちと壁の花を演じてもらい、会場でジェノバらしき男を探していただきます」

「私たちは壁の花だってよ」

 ビアンカは、納得のいかない様子で、マドレーヌとティファニーと顔を見合わせる。

「仕方ないわ。誰かと踊っているより、そっちの方がジェノバを探すのに集中出来るし」

「そうね」

 マドレーヌは、ティファニーの意見に賛同する。

「エルンスト夫人は、ご主人とともに行動してもらい、不審者がいないか周囲を常に警戒してください」

「そんなんじゃ、せっかく仮面舞踏会を楽しめないじゃない? ねぇ、シュタイン」

 不貞腐れた様子で、イザベルは扇子を仰ぎながら、不満を口に出す。

「ジェノバが捕まれば、またいつものように楽しむことができるだろう。イザベル、今は辛抱すべき時だ」

「まぁ、そうだけど」

 マドレーヌの隣に座るポールは、シュタインの向かい側に座る彼女の横顔を流し目でさり気なく見ていた。

「そして、クリスティーナさんは、クロバラメイムと踊りながら、怪しい男がいないか確認して欲しい」

「ちょっと待ってよ! なんで私がこんなバラ臭い男と!」

 クリスティーナが、エルヴィスに噛み付くように異議を唱えていると、クロバラメイムは大きな衝撃を受けて、顔が引きつっていた。

「僕も、壁の花ではないんですか?」

「これ以上、壁の花はいらん」

「ちょっと待ってください! そんなの納得いきません。僕がこんな女心の欠片のない野蛮な娘と踊るなんて」

「私だって、あんたみたいな馬鹿みたいにうるさい男と踊るくらいなら、ティファニーと一緒にいた方が全然マシだよ」

「なっ! 君みたいな喧しい娘に言われたくないね!」

「ちょっと外に出なっ! あんたの顔見ていたら、胸糞悪くなってきたわ」

「それはこっちの台詞さ!」

 痺れを切らしたティファニーが、二人の間に入ってヒートアップする口喧嘩を止めようとした。

「ちょっと二人とも喧嘩はやめなさい!」

 クロバラメイムとクリスティーナが揉めている間、ポールは、どさくさに紛れて、ケスバラレイムに自分のパートナーになって欲しいと申し込む。

「今度はあんたと踊りたいな、マダム」

「ふっ、どうせあなたのことだから、気が変わって、他の女のところに行くんでしょ?」

「こう見えて、俺は一途なんだぜ。なぁ、マドレーヌ」

 すると、マドレーヌは作り笑いを浮かべながら、ぎこちない口調で返事をした。

「えっ、ええ。こう見えて、意外と一途なのよ」

「そう。あなたが言うなら、考えてみるわ」

「良いお返事、待っているぜ」

 ポールは、ウィンクをした。

「自分は、別室でヴァレンタイン侯爵と執事のホフマンさんと待機するつもりです。何か異変が起きたら、近くのポリスに知らせてください。すぐに駆けつけます。いつもジェノバを取り逃しているので、今回こそはやつとケリをつけ、この城に平和を取り戻したいと思っています。そして最後になりますが、今回の作戦では、ジェノバとの大きな衝突が予想されるので、皆さん、明日の夜に備えて、ゆっくりと体を休めてください」




 作戦会議が終わった後、ケスバラレイムとクロバラメイムは、大広間の長テーブルで夕食のマトンの腰肉とオマール海老のサラダを食べていた。先程、クリスティーナと大喧嘩をしたせいか、クロバラメイムはまだ苛立っていた。すると、ケスバラレイムは、挑発的な口調で、そんな彼にある提案をする。

「明日に備えて、ダンスの練習でもしたらどう?」

 すると、クロバメイムは、海老を喉に詰まらせ、咽びこんでしまった。

「ゲホッ! ゲホッ!」

 クロバラメイムはナプキンで唇を拭った後、長テーブルを叩いた。

「何回も言いますが、僕がクリスティーナと一緒に踊るわけないでしょ!」

「私が練習の相手になってあげてもいいわよ」

「余計なお世話ですよ」

「本当に頑固なのね。あなたみたいな頭の固い男は、一生踊る喜びに気づくことはないでしょうね」

「別に気づかなくて結構です」

 クロバラメイムがワインを一口飲むと、ケスバラレイムは長テーブルの中央に置かれた白百合の花瓶に目を向ける。

「ところで、このお城にいると、白百合の花をよく見かけるわね。私の部屋や私たちが先程いた談話室にも飾られていたわ」

「言われてみれば、確かにそうですね。どうしてこんなに白百合の花が飾れているんですかね?」

「答えは単純明快。白百合は、ティファニーが大好きな花だからさ!」

 ケスバラレイムの向かい側の席で夕食をとるガブリエルが、堂々とした口調で答えた。

「ガブリエル君! 君、さっきどこに行っていたんだい? ロックフェラー警部が心配していたぞ」

「ふっ、ちょっと野暮用があってね。会議に間に合わなかっただけさ」

「野暮用?」

「庭園に植えられた白百合の花をいっぱい盗んで、城の庭師にこっぴどく怒られていたんでしょ?」

「なっ! どうしてそのことをっ!」

 ガブリエルは赤面しながら、激しく動揺する。

「メイドたちが噂をしていたわよ」

「えっ? もうそんなに噂が広まっているのかい? ああ、このことがティファニーの耳に入ったら、僕の恋は終わりだぁ」

「今度お花をプレゼントする時は、ちゃんと自分のお金で買うことね」

 ケスバラレイムが、落ち込むガブリエルを楽しそうに見つめる中、クロバラメイムは、食事の手を止めて、難しい表情を浮かべていた。

「そうか。白百合は、ティファニーが好きな花なのか」




 この日の夜、ティファニーは、自分の部屋のベッドで、クリスティーナと一緒に横になっていった。二人は、白を基調にしたネグリジェを着ていた。

「ごめんね。変なわがまま言っちゃって」

「いや、いいんだ。ティファニーが安心して眠れるならそれで」

「ありがとう、クリスティーナ」

 ティファニーはお礼を言うと、さり気なくクリスティーナの手を握りしめた。すると、クリスティーナは頬を赤く染めて、動揺してしまう。

「えっ、あの、ちょっと、ティファニー」

 だが、ティファニーは寂しそうな眼差しで、クリスティーナを見つめていた。

「ねぇ、クリスティーナ。本当にアメリカに行っちゃうの?」

「ティファニー。もうお祖父様から聞いたの?」

「ええ」

「そっか。知っていたんだ」

 クリスティーナはそう言って、天蓋に目を向ける。

「私たち、もうそんなに長く一緒にいられないんだね」

「うん。そうかもしれない」

「クリスティーナがアメリカに行ってしまったら、どんなに寂しくても、私、一人で眠らなければならないんでしょ?」

 クリスティーナは、大きく目を見開いて、ティファニーを見つめる。

「ティファニー、私は……」

 クリスティーナは、思わずティファニーを抱きしめてしまった。

「クリスティーナ」

 ティファニーは、クリスティーナの背中に手を回し、優しく抱きしめる。

「絶対に一人にはさせない。私、ティファニーに寂しい思いなんてさせない。今度の縁談だって、断ってやる。どんな手を使ってでも」

 クリスティーナは、喉の奥から搾り出すような声で、ティファニーに縁談を断ると約束した。クリスティーナも、小さい頃からずっと一緒に暮らしていたティファニーと離れるなんて考えられなかった。二人は、周囲の想像以上に固い絆で結ばれていたのである。

「本当に? 私たち、これからもずっと一緒にいられる?」

「どんなことがあっても、私、ティファニーを離さない。約束する」

 クリスティーナは、ティファニーの手をぎゅっと握り締める。

「本当? 約束よ」

 クリスティーナは、ティファニーのブロンドの髪を優しく撫でた。すると、ティファニーは、安堵の表情を浮かべて、そのまま深い眠りについてしまった。





 夕食を終え、ケスバラレイムが客室に戻る途中、テラスで夜空を見上げて、一人物思いに耽るエルヴィスを見かけたので、思わず足を止めて声をかけてみた。

「まだいたの、刑事さん?」

「マダムか」

 ケスバラレイムに気づいたエルヴィスは、後ろの方を振り向いた。

「随分とご熱心なのね、こんな夜遅くまでいるなんて」

 ケスバラレイムは、テラスに出て、エルヴィスにゆっくりと近づく。

「まぁな。これ以上、ジェノバの好きにはさせられないからな」

 エルヴィスは、フロックコートのポケットに手を突っ込む。

「前から気になっていたんだけど、どうしてそんなにジェノバに執着するの?」

 すると、エルヴィスは少し躊躇いながらも、その理由を語り出す。

「俺の妹が、ジェノバに殺害されたんだ」

「あら、それはお気の毒ね」

「彼女も、ジェノバの虜になってしまった、被害者の一人だった。社交シーズンになると、この城の舞踏会に参加しては、ジェノバらしき男を探していた」

「ちなみに、妹さんは、サロンのメンバーだったの?」

「そうだ。妹は、幼い頃から、エクソシストであった祖父の影響で、超自然的な現象に関心があった。特にこの城に突然現れるジェノバにまつわる迷信に興味があって、彼と結ばれれば、本当に永遠の若さを手に入れることが出来るのか。この伝説を確かめるために、妹は、俺の反対を押し切って、サロンのメンバーになったんだ」

「好奇心の強い妹さんだったのね」

「ああ。だが、アイラが主催していた文芸サロンは、ジェノバが裏で操っているのではないかという噂が以前からあって、俺は気が気じゃなかった。妹には、何か異変に気づいたら、すぐに手を引くようにと忠告しておいたんだが」

「ジェノバの餌食になってしまったのね」

「ああ。彼女を守ることが出来なかった自分の無力さを、俺は何度も責め続けた。だが、いつまでも自分を責めていても何も状況は変わらないし、あの世に旅立った妹も、そんな兄の姿を見たら、きっと失望するだろうと、俺は彼女の墓に立った時、そう思ったんだ」

「亡くなった妹さんの無念を晴らすために、ジェノバを捕まえるつもりなのね」

「もちろんだ。必ずジェノバを捕まえて、祖国で眠る妹の墓の前で報告すること。それが、俺に出来る唯一の弔いだからな」

 ケスバラレイムは、エルヴィスの強い意志を孕んだ瞳を、頬杖を突いて見つめる。

「うふふ。素敵よ、今のあなた……」

「お世辞はやめてくれ」

「ところで、ジェノバ・ヴァレンタイン伯爵の検死の結果はどうだった?」

「性病の痕跡がなかった。やはり、女癖が悪かったと言う噂は全くのデタラメだ」

「でしょうね。だって、一緒に失踪した女の正体も謎のままだし」

「この失踪も、ヴァレンタイン伯爵を殺害した犯人が仕組んだ演出かもしれないな」

「あの死体の感じ……死後一、ニ年くらいかしら?」

「ドクターニーチェと同じ見解だな。ティファニーとクリスティーナが社交デビューをした時期に殺害された可能性がある。それに体にも、ひどい打撲の跡が何箇所も確認することが出来た。おそらく亡くなる直前まで、あの隠し部屋に監禁され、日常的に虐待を受けていたんじゃないか」

「確かに、腕や足の骨も折れていたし。犯人は、きっと亡くなる直前まで拷問を続けていたってことよね。ああ、可哀想なジェノバ」

「とはいえ、ヴァレンタイン伯爵の死は無駄ではないぞ。本物のジェノバが発見されたことにより、俺たちが、犯人を確実に追い詰めているのは間違いない」

「確かに、彼の亡骸は、私たちに大きな希望を与えたわ」

 ケスバラレイムはそう言って、夜空に浮かぶ満月を見上げた。




 城の中から使用人たちの足音が消え去った真夜中、カーティスは、カビ臭い地下牢獄に潜入し、周囲を警戒しながら、ゆっくりと足を進ませていた。

(確か、この辺だったはず)

 カーティスは、通路の一番奥にある、錆びついた鉄格子の扉をゆっくりと開けると、灯油ランタンで、太陽の光さえ届かない暗闇を照らし出した。そこは、壁に無数の亀裂が走り、湿気のせいでカビ臭さが鼻につく、汚れた部屋だった。室内には、血のような小さなシミがついたベッドと、ジェノバ・ヴァレンタインが生前使っていた、イギリス製のサイドテーブルが置かれていたのである。カーティスが、おそるおそる部屋の中に足を踏み入れると、壁際から鳴き声が聞こえてきた。

「うおっ!」

 ベッドの下から突然出てきた鼠に、カーティスは思わず驚いてしまう。

「はぁ、鼠ですか。驚かさないでくださいよ、全く」

 カーティスは胸を撫で下ろすと、ひどく傷んだサイドテーブルに近づき、灯油ランタンで照らしながら、一番上の引き出しをゆっくりと開けた。すると、そこには百合の浮き彫りが施されたターコイズ色の日記帳が入っていた。

(よかった。まだ誰にも見つかっていなかったようですね)

 カーティスは、安堵に満ちた表情を浮かべて、薄汚れた日記帳を取り出したのであった。












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