第11話 明かされる過去
次の日の朝、濃霧が漂うヴァレンタイン城からマドレーヌを乗せた馬車が出発した。それから一時間後。ケスバラレイムが、テラスでローズティーを飲んで、朝食のパンケーキを食べていると、新聞を手に持ったポールが現れた。
「全く、騒がしい城だな」
ポールは文句を言いながら、ケスバラレイムの向かい側に座り、新聞を広げた。すると、ケスバラレイムは、くすりと笑う。
「私たちが失踪したお兄様に会いに行っている間、あなたはまた女と一緒に寝ていたのね」
「へへへ、相変わらず鼻が効くな、マダム」
ポールは照れ臭そうに笑って、新聞の上から顔を出す。
「だが、俺にちょっかい出すより、クリスティーナの相手をした方が何倍も面白いぜ」
「どういうこと?」
「また親父に縁談の話を持ちかけられて、凹んでいるのさ」
「確かに、落ち込んだクリスティーナをお目にかかれるのは楽しそうね」
ケスバラレイムは、パンケーキをフォークで刺して、ナイフで小さく切る。
「へっ、やっぱり性格悪いな」
「それはお互い様でしょ?」
ケスバラレイムは甘い声で言った後、パンケーキを刺したフォークをポールの口元に近づけた。
「そうかもな」
ポールはパンケーキを口の中に含むと、不敵な笑みを浮かべて、ケスバラレイムを見つめた。
クロバラメイムが部屋を出て、朝食をとるために大広間に行く途中、ティファニーを見かけた。
(ん? あれはティファニーじゃないか)
ティファニーは、思い詰めた表情を浮かべて、廊下の窓の前に立ち止まり、無数の白百合が咲き誇る広大な庭園を眺めていた。
(なんとなく声をかけづらいが……)
クロバラメイムはそう思いながらも、勇気を出して、ティファニーに声をかけてみた。すると、ティファニーはいつものように可愛らしい笑みを浮かべて、クロバラメイムの方を振り返った。
「おはよう、クロバラメイム!」
「おはよう、ティファニー。今日は、クリスティーナと一緒じゃないのかい?」
彼の問いかけに、ティファニーの顔がみるみるうちに暗くなっていった。
(もしかして、これはしてはいけない質問だったか)
クロバラメイムは、彼女の表情を見て、自分の発言を激しく悔やんだ。
「朝からハンティングに出かけたわ」
「そっ、そうか。こんな朝早くから」
「昨日、ジェノバ叔父様のことを伝えたら、急に機嫌が悪くなっちゃって」
「それは仕方ないさ。自分を捨てて、女と逃げた父親をそう簡単には許せないだろう」
クロバラメイムは、クリスティーナの心情を悟る。
「でも、ジェノバ叔父様は、殺されたのよ」
「確かに、ご遺体の状態から推測すると、日常的にひどい虐待を受けていたような跡がいくつも残っている。あれは、被害者に対して、ひどい憎しみを持った人間の犯行に違いない」
「あんなところにずっと閉じ込められていたなんて、本当に可哀想だわ」
「おそらく犯人は失踪と見せかけるために、被害者を殺害した後、ずっとあそこにご遺体を隠し続けていたのだろう」
「ということは、私たちの前に現れたのは、やっぱりジェノバ叔父様ではない、別の誰かということよね?」
「ああ、そのことについては、ほぼ間違いないだろう。だがしかし、犯人はなぜジェノバにわざわざ変装して、舞踏会に現れていたのか。犯人の目的がよく分からないがね」
ティファニーは不安に満ちた眼差しで、クロバラメイムを見つめた。
「クロバラメイム、私、怖いわ。私も、エルシアやアイラみたいに殺されちゃうのかしら?」
「ティファニー、君は大丈夫さ」
「どうしてそんなことが言えるの?」
「だって、君はサロンの関係者ではないからさ」
「そうだけど」
「サロンの活動に関わっていなければ、ジェノバも君に手出しはしないはずだ」
「それにしても、どうしてアイラが死んだのに、サロンは解散されないのかしら?」
「きっとポールさんが跡を継ぐんじゃないのか?」
「ポール叔父様に務まるのかしら?」
ティファニーは疑問を抱いていた。
クリスティーナは、馬に乗って森の中を颯爽と走っていた。当初はハンティングをすることで、ジェノバのことや縁談の話など嫌なことを忘れようと思っていたが、なかなか頭から離れず、苛立っていた。
「くそっ!」
クリスティーナは、徐に空を見上げた。すると、鷹が悠々と飛んでいた。
(いいな。私もあの鷹のように、何もかも捨てて、自由に空を飛び回りたい)
クリスティーナが馬を止めて、上空を飛ぶ鷹をぼんやりと眺めていると、突然、すぐ近くから銃声が聞こえてきたのである。
「えっ?」
撃たれた鷹が地面に急降下してゆく。クリスティーナがその様子を見て驚いていると、馬に跨ったケスバラレイムが現れた。彼女はハンティングスーツを着て、比較的古いライフルを手に持っていた。
「マダム。あんたがやったの?」
「ええ、もちろん」
「ふん、やるじゃない? 探偵貴婦人」
「狙った獲物は逃さないタイプなの、私」
その瞳には、目が合うだけで、射殺されてしまいそうなほどに強い殺気が満ちていた。クリスティーナは密かに警戒しながらも、その恐怖を押し殺すように、不敵な笑みを浮かべた。
「ふっ。あのバラ臭い男とは正反対ってことね」
暇を持て余していたポールが、アポロンの間でビリヤードをやっていると、カーティスが現れた。
「ポール様、ジェノバ様の解剖が終わり次第、速やかにジュリア様が眠る墓地に埋葬されるそうです。その時は、是非ポール様もジェノバ様に最後のお別れを……」
すると、ポールは鼻で笑う。
「まさか、わざわざそんなことを伝えるために、ここに来たわけじゃねぇよな、カーティス」
ポールは床に叩きつけるように、キューを投げ捨てた後、カーティスに近づき、顎を掴む。そして、無理矢理口づけをすると、案の定、カーティスは激しく抵抗した。
「おやめください、ポール様!」
だが、ポールは、カーティスの手首を掴み、八フィートのビリヤード台に押し倒し、弱みを握るように、股間を容赦なく揉み込んだ。
「同情するぜ、カーティス。あんな馬鹿女に大切な童貞を奪われちまって」
ここで、カーティスの脳裏に、鞭を持ったアイラに寝室で襲われた記憶が蘇ってゆく。
「なぜ、それを……」
カーティスは絶句してしまう。誰にも知られたくない秘密を、よりによって、この悪魔のような男が知っていたからだ。
「俺のベッドの中で、アイラがいつも自慢げに話していたからさ。お前を一夜限りの玩具にしていたことを」
「なっ」
「安心しな、カーティス。今から、俺の手で上書きしてやるよ」
「ポール様」
ポールは、カーティスの首筋を舌で舐めまわし、ワイシャツのボタンを外して、巧みな愛撫を繰り広げてゆく。キャンディーを転がすように乳首を舌で転がしながら、パンツを下ろした後、ポールは、カーティスの大事な尊厳に舌を這わせて、なぶり始める。
「あっ、ポッ、ポール様、そっ、そこは……」
悍ましい快楽の渦に飲み込まれたカーティスは、次第に抵抗する意志を削ぎ取られてしまった。
太陽が天頂を通過した午後の昼下がりのこと。城の応接室には、クロバラメイムとエルヴィス、そして解剖医のホルスト・ニーチェがいた。ホルストは、三人掛けのソファに座り、古代ローマをモチーフとしたブルーイタリアンのティーカップで紅茶を飲んだ後、ポリスたちの対応に文句を言った。
「全く、君たちはどこまでせっかちな連中なんだね」
「申し訳ございません。ドクターニーチェ」
エルヴィスがポリスを代表して謝罪をすると、ホルストは、徐に鞄の中から書類を取り出した。
「これが検死の結果だ」
「ありがとうございます」
エルヴィスは、ジェノバの検死の結果が記された書類に目を通す。
「今回の死体も鋭利な刃物か何かで心臓を貫かれた跡がある。だが、ボーモン夫人やエルシアたちとは違って、頬や背中に痣が複数あって、激しく抵抗したような跡が、体のあちこちに見受けられた」
「つまり、これまでの被害者たちは、ジェノバと顔見知りであったということですか?」
「アイラもそうだが、ジェノバはサロンに参加していたご夫人たちばかりを殺害している。つまり、サロンの内情に詳しい者による犯行の可能性が高い」
「案外、犯人はサロンの中にいるのかもしれないね」
ホルストは、喜びを滲ませた微笑を浮かべる。
「もし、犯人がサロンのメンバーであるとすれば、次に狙うのは……」
「ビアンカか、イザベル、そしてマドレーヌだね」
「俺の勘が正しければ、その中にジェノバと繋がりのあるやつがいるかもしれない」
エルヴィスはそう言って、一通り目を通した書類をテーブルの上に置いた。
「サロンに通う女たちの交友関係を徹底的に調べ上げれば、何か手がかりが掴めるかもしれんよ」
「ちなみに、次のサロンが開催されるのはいつなんですか?」
「残念ながら、未定だよ」
「えっ? ポールさんじゃないんですか?」
すると、ホルストはゲラゲラと屈託のない声を上げて笑った。
「あのゲスに、サロンを任せるわけにはいかないだろう」
「はぁ」
ホルストは、ティファニーと同じ意見を言った後、クロバラメイムたちに忠告した。
「だが、主催者のアイラがいなくなった今、サロンは解散の危機にある。調べるのなら、早めに調べた方がいい。犯人の思う壺になる前にね」
午後の光が薄らいで、森の中に夕暮れの気配が混じり始めた頃、ハンティングを終えたケスバラレイムとクリスティーナを乗せた馬が、とぼとぼと歩いていた。二時間の狩りで、ケスバラレイムは七匹、クリスティーナは四匹の獲物を仕留めた。ケスバラレイムに実力の差を見せつけられたクリスティーナは、素直に完敗を認める。
「なかなかやるわね、あんた」
「あら、そんなに本気を出したつもりはないんだけど」
「只者じゃないね。もしかしてプロのハンター?」
「いいえ、私は探偵よ。だけど、昔……そう、若い頃、イングランドの大きな内乱で兵士として戦ったことがあるの。でもね、あの時は、まだこんなに優れた武器なんてなかったから、敵を一匹仕留めるのに苦労したわ」
「へぇ、女のくせに戦に出るなんて、良い度胸してんだね」
「まぁ、でも三百年前までは別の身体だったからね。今よりもずっと力もあったし、運動神経も良かったから、肉弾戦でも負け知らずだったわよ」
「えっ?」
クリスティーナは、ケスバラレイムの発言に耳を疑う。
「それよりも、あなた結婚するの?」
「えっ? どうしてそれを」
驚いたクリスティーナは、はっとする。
「ポールから聞いたのよ。縁談の話があったから、元気がないって」
「ポールったら、余計なことを」
「過去にも何度か縁談を断っているみたいだけど、あなた、意外と男の選り好みが激しいタイプなのね」
「別にそういうわけじゃないよ。ただ、私みたいに自由を追い求める女は、結婚とか家庭に縛られる生活は性に合わないだけ」
「確かに、私は、結婚をして人生を狂わせてしまった人を何人も見てきたわ。だから、一概に結婚が、女の幸せに結びつくとは限らないかもしれないわね」
ケスバラレイムは寂しそうな表情を浮かべて言った。
「あんたは、結婚とかしたことあるの?」
「ええ、あるわよ。だけど、最後まで正式な夫婦になることはなかったわ」
「どういうこと?」
「妾だったの、私」
クリスティーナは言葉を失った。
「まぁ、相手は、小さな島国の、一国を治めるお殿様だったから、私のほかにも多くの女がいたわ。だけど、私のことをとても大切にしてくれた。子どもが出来た時なんて、お祝いにお城を頂いたのよ」
「お城を?」
「ええ。だけど、夫が亡くなってからまもなくして、廃城してしまったわ。私も敵軍に追われて、国を飛び出した。そして気がつけば、このお城に辿り着いていたの」
すると、クリスティーナは、呆れた表情を浮かべる。
「あのさ。さっきの話もそうだけど、どうせこれも作り話なんでしょ?」
「うふふ、信じるも信じないも、あなたの勝手よ」
「あんたって、無駄に想像力が豊かなのね。探偵なんかやめて作家にでもなったらどう?」
「それも良いわね」
ケスバラレイムは、にこりと微笑んだ。
その頃、ティファニーは、居間の窓際に置かれたグランドピアノで、ショパンの『別れの曲』を弾いていた。ティファニーが慈愛に満ちた演奏を披露していると、ソファに座って静かに聞いていたクロードが拍手をする。
「相変わらず、素晴らしい演奏だ。ティファニー」
「最後まで聴いてくれてありがとう、お祖父様」
演奏を褒められて嬉しくなったティファニーは、頬を赤く染めながら、クロードにお礼を言った。
「それで、お話って何かしら?」
ティファニーが問いかけると、クロードは立ち上がり、杖をついて、ピアノのそばに近づく。
「実は、お前に知らせなくてはならないことがあるんだ」
クロードは思い詰めた表情を浮かべながら、その知らせを彼女に告げた。
「クリスティーナに縁談の話が来ているのだよ」
「縁談の話?」
「そうだ。相手は、アメリカの資産家で、クリスティーナのことをとても気に入っている。縁談が上手く進めば、来月にもアメリカに出発するかもしれない」
「えっ? アメリカに?」
突然のことに、ティファニーは言葉を失ってしまう。
(アメリカに行ってしまったら、クリスティーナに会えなくなってしまうじゃない)
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