第7話 すれ違う想い

 今日は、柔らかい日差しが降り注ぐ晴天であったので、マドレーヌとシュタインは、ヴァレンタイン城の近くにある公園で、彼の二人の子供を連れて、ピクニックをしていた。木陰に座り、芝生の上で元気に追いかけっこをしている子供たちを見守る二人の姿は、まるで本当の夫婦のようであった。この穏やかな時間をシュタインは、とても大事に過ごしていた。

 だが、その一方でマドレーヌには一つ気掛かりなことがあった。

「ねぇ、シュタイン。イザベルを連れて来なくてよかったの?」

 すると、シュタインは寂しそうに妻のことを語り出す。

「アイラのお芝居を見に行くと言って昼前に屋敷を出て行ってしまったよ」

 ここ最近、イザベルとの関係はますます冷え切っていた。イザベルは家庭のことをほったらかして、日中から他の男たちと遊び歩いては、夜遅くに帰る日が続いていたのである。こうした彼女とのすれ違いの生活に、シュタインは、うんざりしていた。

「彼女は、もう僕に興味がないのかもしれないね」

「シュタイン、そんなに落ち込まないで。あなたには天使のように可愛い子どもたちがいるじゃない」

 マドレーヌが、彼女なりにシュタインを励ますと、彼は意味深なことを言った。

「あの子たちが本当に僕の天使だといいんだけどね」

 シュタインは、楽しそうに駆け回る子どもたちを見て、苦笑した。




 ニ階の衣装室で、お芝居で着るドレスの衣装合わせをしていたアイラが、鏡の前でメイドたちを叱責していた。

「このドレス、シミがついているじゃない!」

「大変申し訳ございません」

「すぐに代わりのドレスを見つけてきて」

「はい、只今!」

 アイラは鼻息を荒くして、メイドたちに命じた後、椅子に座り、テーブルの上に置かれた籠に入った林檎に目を向けた。すると、部屋から出ようとするメイドをすぐに引き止めた。

「ねぇ、カーティスを呼んできて」

「かっ、かしこまりました」

 メイドは、怯えた口調で言った後、そそくさと部屋を出て行った。そして数分後、カーティスが慌てて、アイラのもとに駆けつける。

「何か御用でございましょうか、アイラ様」

「これなんなの?」

 アイラはそう言って、微かに変色した林檎を指差した。

「この私に腐った林檎を齧れと言うの?」

 激怒したアイラは、籠を振り払い、床に落としてしまう。カーティスが呆然と立ち尽くしていると、アイラは不敵な笑みを浮かべた。

「何をしているの、カーティス。さっさと拾いなさい」

「えっ」

「拾いなさい!」

 激しい剣幕で、アイラはカーティスに命じた。カーティスは怒りを押し殺しながら、アイラに言われた通り、床に膝をついて、林檎を拾い始めた。すると、アイラは突然立ち上がり、彼の頭にヒールを押し当てながら、高らかに笑い出した。

(忌々しい悪魔め! 覚えていろ! 必ず、この手でヴァレンタイン城から追い出してやる!)

 アイラへの復讐を誓ったカーティスは、この屈辱に耐えながら、黙々と林檎を拾い続けたのであった。




  テラスでローズティーを一口飲んだ後、ザッハトルテを食べて、午後のティータイムを満喫していたケスバラレイムの前にポールが現れた。

「よう、マダム。ジェノバの手がかりは掴めたかい?」

 ポールは、意地の悪い微笑みを浮かべながら、ケスバラレイムに問いかける。

「あら、ポールじゃない。また私を誘いに来たの?」

「まぁな」

 ポールは手短な返事をして、ケスバラレイムの向かい側に座った。

「そういえば、あの変態画家が釈放されたらしい」

「当然よ。ジェノバは、あんな間抜けなことはしないわ」

「おいおい、ひでえ言い方だな。確かに気が短いところはあるが、パリでは売れっ子の分類に入る人気画家なんだぜ。あいつが描いたスケッチをギャラリーで売れば、すぐに完売さ!」

「スケッチと言えば、あの刑事さん、ロドリゴのスケッチブックを必死で探していたわね」

「昨日は最悪だったぜ。例のスケッチブックのせいで、俺の部屋にまでポリスどもが押しかけて来やがったんだよ。全く迷惑な話だ」

 ポールは口を尖らせながら、警察の強引な捜査に文句を言っていた。

「なんであんなに必死で探し回ってんだ、あいつら」

「確かに。本当にどうでもいいものなのにね、スケッチブックなんて」

 ケスバラレイムは、再び食べかけのザッハトルテを一口食べた。

「なぁ、マダム。この後、何か予定でもあんのか?」

「なぁに? デートのお誘い?」

「まぁな。あんたに見せたいもんがあるんだよ?」

「見せたい物?」

「おう。きっと、あんたも感動すると思うぜ」

 こうしてケスバラレイムは、午後のティータイムを終えた後、ポールとともにヴァレンタイン城の敷地内にある離宮、愛の劇場に向かうことになった。




 今日は雲一つない良いお天気であったため、クロバラメイムは、クリスティーナの狩猟に同行していた。ハンティングジャケットを着て、馬に乗っていたクロバラメイムは、初めての狩猟に緊張していた。だが、そんな彼に、クリスティーナは挑発的な言葉をかける。

「クロバラメイム。お前は狩りをしたことがあるの?」

「乗馬はあるけど、狩りはしたことがないね」

 クロバラメイムが素直に答えると、クリスティーナは鼻で笑いながら、後ろを振り返る。

「ふっ、男のくせに狩りをしたことがないの?」

「わっ、悪いか。したことがなくて!」

「まぁ、お前のようなバラ臭い獲物が、森の中を彷徨っていたら、すぐにハンターどもに仕留められてしまうけどね」

「言っておくが、僕は獲物じゃないぞ!」

「あはははっ! 臭いだけで、どこにいるかわかるよ」

 狩猟で培ってきたクリスティーナの嗅覚は、クロバラメイムよりも鋭かった。散々、臭いと言われてきたクロバラメイムは、ここで言い返してやった。

「ふん、お嬢様のくせに、狩りなんてやって。そんな暇があるなら、少しは花嫁修行でもすべきじゃ……」

 すると、クリスティーナは、突然クロバラメイムの方に向かって、猟銃を発砲した。

「うわぁっ!」

 驚いた馬がクロバラメイムを乗せたまま、暴走してしまう。

「えっ、いや、あっ、ちょっと、まっ……」

 森の中に走り去ってゆく馬を見届けた後、クリスティーナは、ぽつりと呟いた。

「私には、守りたい人がいるんだ」




「クリスティーナのばか」

 ティファニーは居間のソファに座り、拗ねていた。

「ずるいわよ。クロバラメイムと二人っきりでハンティングをするなんて」

 ティファニーは、自分だけ置いていかれてしまったので、すっかり機嫌を損ねていた。

「やぁ、僕の愛しいティファニー。こんなところにいたんだね」

 彼女が、目の前に置かれていたお菓子を食べると、花束を持ったガブリエルが訪ねて来た。

「あら、ガブリエル。どうしたの?」

 ティファニーは、ガブリエルを目にしても、さほど嬉しそうな素振りは見せなかった。しかし、ガブリエルは、それでもめげずに、ティファニーにアピールを続ける。

「そりゃあ、もちろん、豚娘……いやエルシアのことで体調を崩したと聞いたから、心配でたまらなくなって、君に会いに来たのさ!」

 ここでガブリエルは膝をついて、花束を差し出した。

「まぁ、素敵な白百合の花……」

 ティファニーは、美しい白百合に目を奪われてしまう。

「私、白百合好きなの」

 ティファニーは、嬉しそうに微笑んだ。その姿を見たガブリエルは、嬉し過ぎて、心を躍らせてしまう。

「寝る間も惜しんで、城の花壇からむしり取った甲斐があるさ。君の笑顔が見られるだけで、僕の苦労はすっかり報われたよ」

 昨夜、ガブリエルは、ヴァレンタイン城の庭園に忍び込んで、こっそり白百合を盗んだのである。

「ねぇ、これ、あとでクリスティーナの部屋に飾っておいて」

「かしこまりました」

 ティファニーは、そばに立っていたメイドに花束を渡してしまう。

「えっ? そっ、それは君のために用意しっ……」

「ところで、今日は何の御用かしら?」

「あれ、さっき言ったと思うんだが」

「ごめんなさい。ちゃんと聞いてなかったわ」

 ここでガブリエルは、軽いショックを受けてしまうが、もともと根がポジティブなので、すぐに気持ちを入れ替え、立ち直った。

「あっ、そうだ! 今日の夕方、愛の劇場でアイラたちが芝居をやるんだ! 僕もこの芝居の脚本と演出を担当したんだ。絶対に君を飽きさせないくらいに、完成度の高い作品なんだ。是非、一緒に見に行かないかい?」

 ガブリエルは、目を輝かせながら、ティファニーを誘う。

「いいわね、お芝居。私も見に行くわ」

 特に予定がなかったティファニーは、軽い気持ちでガブリエルの誘いを受け入れた。

「本当かい? じゃあ、お芝居の準備が整ったら、すぐに迎えに行くよ!」

 完全に舞い上がっていたガブリエルは、鼻歌を歌って、スキップをしながら、部屋を出て行った。











 

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