第6話 幸せになるための方法

 翌日の朝。クロバラメイムは、大広間の長テーブルに座り、ケスバラレイムと一緒に朝食のパンケーキを食べていた。

「先生、本当にロドリゴは一連の殺人事件に関与していないのでしょうか?」

「他の事件については分からないけど、今回の件に関しては、おそらく関わっていないでしょう。むしろ、犯人に踊らされていたと表現するのが正しいわね」

「つまり、犯人はロドリゴを犯人に仕立て上げるために、睡眠薬で眠らせたというわけですね」

「というか、本当にロドリゴが犯人だったら、すぐにその場から姿を消すと思うけどね」

 ケスバラレイムは、薔薇の香りが極限まで凝縮されたローズティーを飲む。

「確かに、普通に考えてみれば、死体のそばで呑気に眠るなんて、そんなリスクの高いことはしませんよね」

「それにしても気がかりなのは、あの百合の花よね」

 ケスバラレイムはそう言って、出入り口のそばに配置されたプランツスタンドの上に飾られた、白百合の花瓶に目を向ける。

「ボーモン夫人の時もそうだったけど、なぜ、いつも死体のそばに白百合の花が一本落ちているのかしら?」

「どうせ、犯人が被害者の死を悼む演出をするために供えただけでしょう。それより、先生! ロドリゴのスケッチブックはどこに消えちゃったんですかね」

 あの後、クロバラメイムとエルヴィスたちが部屋の中をくまなく探したものの、結局、どこにも見当たらなかったのである。

「今頃、彼を尋問して、スケッチブックの在処を聞き出そうとしているんでしょうけど、時間の無駄よ。どうせ持ち主であるロドリゴも行方を知らないはずよ」

「では、やっぱりジェノバが被害者を殺害した後に、スケッチブックをどこかに持ち出して……」

「やっぱり、ジェノバのことを取り逃したのは大きなミスだったみたいね。この運動音痴」

「なっ!」

 クロバラメイムが、ケスバラレイムの向かい側で同じく朝食を取っていたクリスティーナの方を振り向いた。

「昨日、あのクールな刑事さんから聞いたよ。動きが機敏のくせに、意外と走るのが遅いって」

「ちょっと君、勝手に話に割り込んでくるのはやめたまえ!」

 クロバラメイムは、顔を真っ赤にして、声を荒らげる。

「あんたがもう少し早く走っていれば、ジェノバを捕まえられたのに」

「言っておくがね。僕は、これでも、薔薇族の中で一番足がはやっ……」

「あら、そういえば、あなたの可愛い妹さんはどうしたの?」

 ケスバラレイムの質問に、クリスティーナはナイフとフォークの手を止める。

「昨日の事件のショックで、朝からずっと部屋に閉じこもっている」

 クリスティーナの話を聞いたケスバラレイムは、嬉しそうに口元を歪ませながら、クロバラメイムに目を向ける。

「なっ、なんですか、先生?」

 この時、クロバラメイムは、すごく嫌な予感を感じたが、まもなくそれが現実のものとなろうとしていた。

「クロバラメイム、チャンスよ」




 太陽が天頂を通過した昼下がり。アポロンの間には、サロンの主催者アイラを筆頭に、ポール、イザベル、マドレーヌ、それに加えてドイツ人解剖医、ホルスト・ニーチェとフランスの詩人、ガブリエル・バレエが集まっていた。

 本日のサロンは、殺害されたエルシアのこととポリスに連行されたロドリゴの話題で持ちきりであった。

「おお、哀れな豚娘! 愛しい王子様に心臓を滅多刺しにされてしまうとはっ!」

 ガブリエルは、大袈裟な身振りでエルシアを弔った後、彼女が座っていた席にアイリスの花束を置く。

「本当にジェノバに殺されたのですか?」

 マドレーヌはそう言って、お茶を飲む。

「どうせ、ロドリゴの馬鹿が酒に酔った勢いで、手を出したんじゃねぇの」

 ポールはバーカウンターテーブルで、ウィスキーをグラスに注ぎながら、言った。

「だが、ワインに睡眠薬が仕込まれていたという話をロックフェラー君から聞いたぞ」

 窓際にあるレッド・ベルベットのアームチェアに座った、ドクターニーチェは、葉巻の煙草に火をつける。

「どちらにせよ、この城のどこかに人殺しが潜んでいることに変わりはないでしょ」

 イザベルの発言に、アイラは苛立つ。

「ちょっとイザベル、私の城を悪く言うのやめてくれない?」

「ふははっ! 相変わらず、強欲な女だな。この城は、まだ君の所有物ではないだろう」

 ホルストが嘲笑すると、アイラは彼を鋭利な目つきで睨みつけた。

「ところで、僕の愛しいティファニーはどうしたんだい?」

 以前からティファニーに好意を抱いていたガブリエルは、彼女のことが心配で堪らなかった。

「げふっ。あのデブが死んだショックから、まだ立ち直れないみたいだぜ」

「僕のティファニーがあんな豚娘のために落ち込んでいるなんて。ああ、今すぐ、この腕で彼女を抱きしめたい。いや、彼女も優しく抱きしめてくれる王子様の登場を望んでいるはずだ!」

 ガブリエルは、勝手な思い込みを炸裂させながら、突然立ち上がり、アポロンの間を飛び出してしまった。サロンのメンバーは、そんなガブリエルの姿を冷ややかな視線で見送る。

「どこまで自惚れているのよ、あのポエマーは」

 イザベルの言葉に、ポールはゲラゲラと笑い出す。

「ところで、また週末も仮面舞踏会を開催するのですか?」

 マドレーヌがアイラに尋ねると、彼女は扇子を仰ぎながら、答える。

「もちろん。でも、その前に久々にお芝居でもしたいわね」




 朝食を食べ終えた後、クロバラメイムは、ティファニーの部屋の前に立っていた。もちろん、半ば強引に立たされていると言った方が正しい表現である。

「男を見せなさい、クロバラメイム」

 クロバラメイムから少し距離を置いた場所で、ケスバラレイムとクリスティーナが見守っていた。クリスティーナは、すでに愛用の猟銃を握りしめ、いつでも撃てる準備を整えている。

(そんなことを言われても、一体なんて言えばいいんだ?)

 クロバラメイムは、部屋の前で硬直しながら、頭を悩ませていた。落ち込んだ女性になんて声をかけて、慰めればいいのか。女性経験が全くないバラ臭い男にとって、これは最高難易度のミッションであった。

 背後から二人の視線を感じながら、クロバラメイムはいざ扉をノックする。だが、案の定、返事がない。そこでクロバラメイムはぎこちない口調で話しかける。

「ぼっ、僕だ。クロバラメイムだ」

 すると、窓の外を見ていたティファニーが、意外な人物の訪問に驚き、扉の方を振り向く。

「えっ、えっと。きょっ、今日は天気がいいから、一緒に散歩でも……ふぎゃっ!?」

 ここでいきなり開いたため、クロバラメイムの鼻に扉が直撃する。

「クロバラメイム! 会いにきてくれたの!?」

「えっ、あっ、ちょっ」

「私、嬉しい!」

「ティファニー!?」

 花のように満面の笑みを浮かべたティファニーは部屋から飛び出し、クロバラメイムに抱きついた。すると、クリスティーナの殺意に満ちた鋭い視線を背中全体に浴びたクロバラメイムが、急いで振り向いて、素早く言い訳をする。

「まっ、待ってくれ、違うんだ、これは」

 だが、すでにクリスティーナの銃口は、クロバラメイムに向けられていた。

「あらあら照れちゃって」

 ケスバラレイムは嬉しそうに言った。

「さっさと離れな! 撃つよ」

「わっ、わかった。わかったから、ほら、離れて、離れなさい、ティファニー!」

「えぇっ! もう少しこうしていたいな」

 ティファニーは名残惜しそうに、クロバラメイムから離れた。とはいえ、彼が今も命の危険に晒されていることに変わりはなかった。




 こうして四人は、城の広大な庭園を出て、日光の木漏れ日が差し込む森の中を散歩することになった。ケスバラレイムは薔薇の刺繍が施された真っ赤な日傘を差して、ゆっくりと歩くと、ティファニーは早速、クロバラメイムにちょっかいを出してきた。クロバラメイムは、戸惑いながらも、元気を取り戻した彼女を見て、密かに安堵していた。一方のクリスティーナは、クロバラメイムに甘えるティファニーを何も言わずに、じっと見つめていた。

「あら、どうしたの? そんなに浮かない顔をして」

 ケスバラレイムがクリスティーナの異変に気がつき、声をかける。

「なんだか私と一緒にいる時より、楽しそうだから」

 クリスティーナは思わず、苦笑する。

「でも、ティファニーが元気になってくれるなら、嬉しいかな」

 すると、ケスバラレイムは、ここでクリスティーナのティファニーに対して抱く、愛情を感じた。

「優しいのね」

「えっ?」

 ケスバラレイムの妖艶な笑顔に、クリスティーナは思わず見入ってしまう。

「誰よりも彼女の幸せを願う、あなた……とても素敵よ。でもね」

 ケスバラレイムは、足を止める。

「たまには、自分の幸せを願うのも大切だと思うわ」

 クリスティーナは、自分が忘れかけていたものに気づく。

「私の幸せ……」

「いてっ!」

 突然、クロバラメイムの頭に、ゴムボールが直撃した。

「大丈夫、クロバラメイム?」

 ティファニーが、心配した様子で、クロバラメイムの顔を覗き込む。

「いててっ! 一体、誰だ!? 薔薇族の貴公子である、この僕の頭にダメージを与える不届き者はっ!?」

 クロバラメイムが、後頭部を手で擦りながら、キョロキョロと周囲を見渡していると、前方からラケットを持った、一人の令嬢が近づいてきた。

「ごめんなさい。大丈夫?」

「謝って済む問題じゃないぞっ!」

「あら、ビアンカじゃない?」

 クロバラメイムが声を張り上げると、黒髪の令嬢は、彼の横を通り過ぎて、ティファニーに近づいた。

「ティファニーに、クリスティーナじゃない!」

「あら、お知り合い?」

「彼女は、ビアンカよ。アイラのサロンのメンバーなの」

「そう。アイラさんの……」

 ケスバラレイムは、ロセッティの『プロセルピナ』に描かれたローマの女神を思わせるほどに、蠱惑的な色気を放つ黒髪の美女、ビアンカ・カメリーノを見据えた後、笑顔を作って、拾ったボールを手渡した。

「はい、どうぞ」

「ありがとう、マダム」

「いいえ、どういたしまして。もしかして、あなた、ローンテニスをしているのかしら?」

「こらあぁぁっ! 被害者を無視すんなあぁっ!」

「ええ、そうよ。アイラにお願いして、森の一部を借りてやっているのよ」

「楽しそうね。私達も、参加してもいいかしら?」

「もちろん。人が多いほうが、楽しいわ」

「だって、クロバラメイム」

 ケスバラレイムは、クロバラメイムのほうを振り返った。

「おい、そこの無礼な令嬢! 今すぐ、僕と勝負しろ!」

 クロバラメイムはいきなり立ち上がり、ビアンカを指差して、挑戦状を叩きつける。

「ええ、喜んで! もちろん、手加減はなしよ」

 ビアンカは、ウィンクをした。

「上等だ! 薔薇族の華麗なる運動神経を見せつけてやろう!」

 彼の後ろで、クリスティーナは、呆れた様子で眺めていた。




 こうして、ビアンカとローンテニスをすることになったのだが、試合が始まった瞬間、クロバラメイムは愕然としてしまう。

「ちょっと待て! これはどういうことだ!」

 ネットを挟んだ向かい側のコートには、ラケットを構えた、三人の令嬢たちがいた。前方には、クリスティーナ、後方には、ビアンカと彼女の従姉妹である、オフェーリアがいる。いくら相手が女であるとはいえ、この状況は、クロバラメイムにとって明らかに不利であった。

「一対三って、ズルいぞ!」

「しょうがないでしょ。私達は、か弱きレディーなんだから」

 すると、クロバラメイムは、すぐにクリスティーナの発言を否定した。

「この嘘つきめ! 君は、か弱い部類に入らないだろ!」

「クロバラメイム、頑張って! 私は、いつだって、あなたの味方よ!」

「たまには、男の意地でも見せつけてあげなさい」

 クロバラメイムは、木陰のそばに立つ二人を睨みつけた。

「おい、そこの二人! 呑気に見ていないで、この理不尽な状況を指摘してくれたまえ!」

「ほら、よそ見していると、失神するよ! はあぁぁっ!」

 クリスティーナは、ボールを勢いよく打った。

「えっ、あっ、ちょっと待って! まだ心の準備が……ひぃっ!」

 クロバラメイムが、慌ててボールを打とうとすると、ビアンカが二発目のボールを打ち始めた。

「ほらっ! 次は私のボールよ!」

「ちょっと待てえぇっ! それ反則だぞおぉっ!」

 クロバラメイムは、ビアンカに向かって叫んだ。

「どこ見てるのかしら? バラ臭い紳士さん」

 桃色のバッスル・スタイルのドレスを着こなした、オフェーリアが、クロバラメイムに向かって、三発目のボールを打った。

「あうっ! いったあぁぁっ!」

 追い打ちをかけるように、クロバラメイムの脇腹にオフェーリアのボールが直撃した。ルールを完全に無視した試合に、彼は激しく混乱しながらも、ラケットを振ってみたものの、まもなくして、こけてしまう。

「全く、どこが華麗なる運動神経なのかしら」

 ケスバラレイムが呆れていると、ホルスト・ニーチェが現れた。

「おや、随分と賑やかだね」

 ケスバラレイムは、にこりと笑って、彼を出迎えた。

「あら、ドクターニーチェじゃない。珍しいわね。こんな賑やかな場所にあなたがいるなんて」

「屋敷の中にずっとこもって、死体とにらめっこしていると、気が滅入ってしまうからね。たまには息抜きは必要さ」

「これから、忙しくなりそうだし、休息はちゃんと取ったほうがいいわ」

 ケスバラレイムは、クロバラメイムが、ふらつく足取りで、ビアンカが打ったボールを辛うじて打ち返す様子を見ながら、言った。

「そうだね。大仕事がいくつか待っているからね」

 ホルストは、そう言って、にやりと微笑んだ。

「それに近々、私のメンテナンスもしなくちゃいけないからね」

「おお、そうだった。もう、そんな時期か」

「ええ」

「はぁ、長く生きていると、時間の感覚がどんどん短くなってゆくよ」

「確かに。時間って、残酷よね」

「クロバラメイム、危ないわ!」

 ティファニーが叫んだ瞬間、クリスティーナは、スマッシュを決めた。すると、クロバラメイムの額にオフェーリアが打ったボールが直撃してしまった。




クロバラメイムが理不尽な状況に陥っている頃、ガブリエルは、ティファニーの部屋の前で、彼女への愛を叫んでいた。

「ティファニー、ああ、愛しのティファニー! 僕だよ、ガブリエルだよ!」

 しかし、室内から返事はない。ここでガブリエルは異変に気づく。

「あれれ、おかしいな。返事がない。はっ! まさか、僕の突然の訪問があまりにも嬉し過ぎて、気絶しちゃったかな? 全く、可愛いお茶目さんだな」

激しい思い込みに浸ったガブリエルは、日が暮れるまで、誰もいない部屋に向かって、語りかけていた。


 




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