第4話 王子様の形跡

 クロバラメイムがおそるおそる目を開けると、銀色の髪を一つに束ねた少女が銃口を空に向けて発泡していた。そして一匹の鷹が落ちてくると、彼女は馬鹿にしたように鼻で笑いながら、クロバラメイムを見据える。

「次はお前の番だよ、バラ臭い男」

 少女はそう言って、クロバラメイムに銃口を再び向けた。

(やばい! 次は本気だぞ!)

 なぜ、この何の面識もない少女に命を狙われなくてはならないのか。目に涙を浮かべながら、両手を上げて、立っていると、彼の背後からティファニーの声が聞こえてきた。

「見つけたわよ、クロバラメイム!」

「えっ?」

 クロバラメイムが後ろを振り向くと、ティファニーが手を振りながら、駆け寄ってきた。

「ティファニー、逃げるんだ! 君も巻き添えに……」

「ティファニー」

「へっ?」

「ちょっとクリスティーナ、何をしているの!?」

 ティファニーが近づいてくると、クリスティーナはすぐに猟銃を構えるのをやめた。

「ふん、命拾いしたね」

 クリスティーナは、そそくさと馬を走らせ、森の中へと消えて行った。

「はぁっ、はぁっ、本気で撃たれるかと思った」

 死の恐怖から解放されたクロバラメイムは、胸に手を当てながら、乱れた呼吸を整える。

「大丈夫、クロバラメイム?」

「あっ、ありがとう、ティファニー。君のおかげで命拾いしたよ」

 突然の急展開に動揺しながらも、クロバラメイムは彼女にお礼を言った。そして、先程から気になっていたことをティファニーに質問する。

「ところで、今の子は知り合いかい?」

 すると、ティファニーは顔色を曇らせながら、ぎこちない口調で答える。

「うっ、うん。私のお姉さんなの」

「えっ!? 君のお姉さんだったのかい?」

「そう。クリスティーナは、とっても変わり者なのよ。女の子のくせに、ハンティングに夢中なの」

「たっ、確かに。君とは対照的にとても猟奇的な女の子だね」

 クロバラメイムはそう言って、クリスティーナが仕留めた鷹の亡骸を見つめた。もし、あのままティファニーが来なかったら、クロバラメイムは確実にクリスティーナに仕留められていたかもしれないだろう。




 空が抜けるように青さに澄み切ったお昼頃のこと。ヴァレンタイン城のアポロンの間には、アイラが主催するサロンのメンバーたちが、ソファに座って、紅茶を飲みながら、談笑していた。ドイツの下級貴族出身のエルシア・ゲーテは、お菓子好きのせいか、周りの貴婦人たちよりふくよかな体型をしている。顔については、決して美人ではないが、笑顔が可愛らしい愛嬌のある十八歳の娘である。

 エルシアは、いつものようにフルーツケーキを食べながら、憧れのジェノバのことを語り出した。

「ああ、愛しいジェノバ様。早く私をパートナーに選んでくださらないかしら」

「そんなにジェノバと踊りたいなら、少しは痩せてみたらどう?」

 黒いベルベットのワンピース・ドレスを着たイザベル・エルンストは、ワンホールのフルーツケーキを貪り食うエルシアを見て、呆れていた。だが、その一方で、部屋の隅で、美味しそうにお菓子を食べるエルシアを夢中で描く、画家のロドリコ・グロピウスは、彼女に熱い視線を送り続けている。もちろん、食べることに夢中のエルシアにとって、彼の視線などどうでもよかった。

「これでも、いつもよりは食欲を抑えているつもりよ」

 エルシアはそう言って、指についたカスタードクリームをペロリと舐める。

「その調子じゃ、次の仮面舞踏会までに、ドレスのサイズをワンサイズ下げられないわね」

「それにしても、ヴァレンタイン侯爵は、正気ですの? この状況でも、週末に仮面舞踏会を開催なさるおつもりなんて」

 ペール・グリーンの絹シフォンのデイドレスを着たマドレーヌ・ブルドンは、不安に満ちた表情を浮かべていた。彼女は、十八歳のフランスの上流貴族出身の令嬢で、亡き父は、フランス騎士団の団長を務めていた。そして、亡くなった父からもらったジャスミンの香水を今も大切に使っている。

「きっとアイラの圧力に屈したんでしょ?」

「どうせ、若い男でも漁って、食べちゃうんでしょ?」

 エルシアはそう言って、今度はエッグタルトにかぶりつく。

「ヴァレンタイン侯爵も気の毒だわ。自分の城の中で、愛しい恋人が平然と他の男と関係を持っているなんて」

「また次の被害者が出てしまうのではないか、とても心配ですわ」

「マドレーヌ、心配しすぎよ」

「そうよ。世間は、ジェノバが殺したって騒いでいるけど、明確な証拠もないわ。何でもかんでもジェノバ様のせいにするのは間違っているわよ」

 エルシアは、あくまでもジェノバの無実を信じていたのである。彼女の言葉を聞いたロドリゴの線が、一気に乱れてゆく。

「ジェノバに僻んだ人間の犯行かもしれないわ」

 イザベルは挑発的な眼差しで、ロドリゴに目を向ける。しかし、ロドリゴは描く手を止めることなく、黙々とエルシアを荒々しいタッチでデッサンを続けたのであった。




 ケスバラレイムが朝食を食べ終えると、ポールに半ば強引に城の中を案内してやると言われたので、仕方なく、彼と一緒に迷路のように広大なヴァレンタイン城を散策することになった。

「本当に広いお城ね。自分がどこにいるのか分からなくなってしまいそうで怖いわ」

 ケスバラレイムは、方向感覚がなくなってしまうような不安を抱きながらも、クロード・ヴァレンタインの祖父が収集した古い風景画や骨董品などが展示された長い回廊を歩いてゆく。

「長年、ここで暮らしている俺でさえ、よく迷っちまうんだ」

 ポールは自嘲しながら、言った。

「迷ったふりをして、そのまま私を自分の部屋に連れ込むつもりでしょ?」

「おいおい、今のは心外だな、マダム。言っておくが、俺は初対面の女にいきなり手は出さねぇ主義なのさ」

「嘘は泥棒の始まりよ」

「へへへ、見破るのが早いな」

「私とお散歩している暇があったら、早く良い人でも見つけてきたら」

 すると、ポールは首を横に振って、苦笑する。

「何度抱いても飽きない女を探しているが、なかなかこれが見つからねぇんだよ」

「うふふ、そんな女いるわけないでしょ」

「あははっ、確かにな」

 ポールがゲラゲラと笑うと、前方から険しい表情を浮かべたカーティスが近づいてきた。

「ポール様、こちらにいらっしゃいましたか」

「よう、カーティス。浮かない顔をしているな。またアイラに虐められたのか?」

「……」

「図星だな」

「次の仮面舞踏会をなんとしても強行するそうです」

 カーティスは、怒りに震えながら、ポールたちに知らせる。

「あのバカ親父。結局、アイラには逆らえなかったのか?」

「アイラ? アイラって誰なの?」

 ケスバラレイムは、ポールに問いかける。

「親父がキャバレーで拾ってきた踊り子さ。今や、我が物顔で、この城に住み着いて、好き勝手しやがる、わがままな害虫だ」

「なるほど。ヴァレンタイン侯爵は女を見る目がないってことね」

 ケスバラレイムは、くすりと笑う。

「そういうことだ」

 ポールは、冷ややかに笑う。

「私は悔しいです。あんな品のない女に、旦那様が食い物にされてしまうとは」

 カーティスは、拳を握りしめて、アイラへの怒りを露わにする。

「確かに、俺もアイラのやり方が気に食わねぇな。いくら恋人だからと言って、少し出しゃばりすぎていると思うぜ」

「あの女に、これ以上好き勝手やらせれば、ヴァレンタイン城はめちゃくちゃになってしまいます。一刻も早く、彼女を追い出すべきですよ」

「おいおい、俺に言われても困るぜ」

「ポール様も、どうか旦那様を説得してください! 私の力だけではどうにもなりません」

「うーん、それは無理だと思うぜ」

「どうして?」

「だって、俺、親父に嫌われているからな」

 ポールが、頭をポリポリと掻きながら言うと、カーティスは大きな溜息をつく。

「はぁ、ポール様がもう少ししっかりしてくだされば」

「おい、なんか言ったか?」

「いいえ、なんでもございません」

「でも、このまま手を打たなければ、ますます女王様の暴走はエスカレートするんじゃない?」

 ケスバラレイムは、無垢な瞳をした、少女の胸像に近づき、その滑らかな頬を人差し指でなぞるように触れた。

「ポール様や旦那様が頼りにならないなら、私が、汚い手を使ってでも、あの女をこの城から追い出すしかないですね」

 カーティスの目は、闘志で燃えていた。




 ケスバラレイムが、ポールたちとアイラの話題で盛り上がっていた頃、エルヴィス・ロックフェラーは、城の地下にある隠し通路を探索していた。ここは昔、戦争で捕虜になった兵士たちを幽閉していた牢獄であり、錆びついた鉄格子のそばには、破損した拷問器具ようなものが、あちらこちらに転がっている。

 地下牢獄には、当然、太陽の光は届かない。そのため、エルヴィスは手に持ったランタンで周囲を照らしながら、慎重に前に進んだ。もちろん、この場所は、城の一部の人間しか知られていないわけだが、今回は捜査のために、特別に探索の許可をクロードからいただいた。この牢獄がどの位の広さで、どういう構造になっているのかは全く不明であったが、エルヴィスは、とにかくカビ臭い牢獄の中をゆっくりと足を進める。

「ん? なんだ、あれは?」

 エルヴィスは突然立ち止まり、足元をランタンで照らした。すると、彼の目の前には、血がこびりついた短剣が落ちていたのである。

「短剣?」

 エルヴィスがしゃがみ込んだ時、短剣のそばに落ちていた黄金の蝶のアイマスクを発見する。

「これは、ジェノバの仮面?」

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