第8話 陛下と、姫の時間。


「エルリーラ、のみ、か?」


 いつの間にやら慣習になった、三人での、週に一度のお茶の時間。


 他の日も、ぽつぽつと後宮に通われるようになった陛下は、現れたエルリーラに戸惑われたような表情を向けられた。


 至極当然の話であろう、とは、エルリーラ自身も思う。


「本日は、リーファの体調がかんばしくないようで。もし陛下のお気に召さねば、本日は取り止めになさいますか?」

「いや。朕は、そなたも、好ましく思う、ゆえに」

「光栄ですわ」


 エルリーラは、特に悪意もなく、微笑みと共にそう口にする。

 後宮の内で陛下との関わりを求める者は、幾人かいた。


 ーーーそして、姿を消した者も、幾人か。


 薄々と、そうした出来事の動きを心得ておられるのだろう。

 陛下は、軽く表情を曇らせる。


「リーファの不良は……大事、で、あるか?」

「いいえ」


 エルリーラは、キッパリと否定した。

 陛下が御心を曇らされぬよう……リーファは、そう口にしていたから。


「リーファは、ワタクシにとっても、かけがえのない宝にございますれば」


 実情、毒を盛られるような真似はさせないよう、エルリーラは細心の注意を払っていた。


 彼女の存在あればこそ、陛下は後宮に降りられる。

 寵愛を受けているからと、目先の嫉妬で珠玉の機会が損なわれるのは、本意ではない。


「なれば、良いの、だが」


 陛下のお優しさは、もうエルリーラも心得るところだった。

 他の女の前で、長々と別の女の話をなさるようなことはなく、不要な気遣いではあれどその心が在ることを好ましくも思う。


 だが、エルリーラの答えは嘘だ。


 ここ最近、リーファは陛下の前以外では、心なしか精気を欠く様子を見せていた。

 恋煩いにあらず、である。


 故に、エルリーラは問い、リーファは応えた。

 

『私は、長く在る身ではないのです。本日は、エルリーラのみで御前に……』


 寂しげにそう微笑むあの娘に、陛下に進言すると伝えたが、拒絶された。


『手は尽くしたのです。そして叶わぬからこそ、私はこの場所へ。……どうか、エルリーラ。内密に』


 そう言われてしまえば、エルリーラが否を口にすることは出来なかった。

 

「二人、なれば。話すに、機会のあること、と、思う」

「はい」

「そなたは、正妃を、望むか」


 率直な問いかけに、エルリーラは軽く目を見開いた。


 図るような色が、糸のような細目の奥にある、陛下の瞳に浮かんでいる。

 普段の理知とも、時折リーファに見せる慈愛とも、違う色。


 それは為政者の瞳だった。


「そこに、愛なく、とも。親情、あるいは、信条のみ、なろうとも。礎となるを、望むか」


 陛下の口になさる言葉を受けて、エルリーラの心に浮かんだのは、戸惑いでも、畏れでもなく。


 安堵、だった。


 ーーー認められた。


 これは、おそらくは陛下がエルリーラという存在を共に歩むに足るかを見極める、最後の審査。


「はい」


 はっきりとそう口にして、冷徹さすら感じるその目を見返す。


「本質のところで、ワタクシは陛下の愛を望んではおりません」


 この場に在るは役目ゆえ。

 であればこそ、心と触れ合いのみを望むリーファと、平常の関係で在れるのだ。


「正妃に座し、子宝を得、末に母国と嫁ぎ国の安寧に尽くす。ワタクシは、その為に在りますれば」


 王家に生まれた者の宿命など、とうに呑んでいる。


 陛下の御心と、エルリーラの想いは、そう遠くはない。


 お互いの合意があれば、成就は容易いのだ。

 それはリーファの意思でもあった。


『私以外が陛下の側に在ることを避け得ぬのなら、私はエルリーラがいいわ』


 御心の成就を、心から望む彼女が、そう口にしたことがあった。

 自分の覚悟に、その願いが乗る程度、何ほどのこともない。


「では、側室との間に、子を成すも」

「望む者が在れば。ですが争いの種となるは、少々望ましくはありませぬ」


 頂きに座す者の宿命とは、そうしたものだ。


 子は、育つに容易くはない。

 目を離した隙に、流行り病で、策謀で、失われる脆き命。


 エルリーラにしてもまた、子を授かれる身にあるかも分からず、複数の子を産めるかもまた未知。

 子を成すが死の道たるも、また有り得る。


 故にこそ、様々に事情を考慮せねばならない。


「側に侍るを認めて頂けるのなら、季節一巡り。ワタクシの寝所にお勤め下されば、それ以上の望みはありませぬ」

「では、そのように、計らおう」


 陛下は一つうなずくと、小さく笑みをお見せになられた。


「縁、とは、不可思議なもの。愛を注ぐ花も、志を共にする者も、得難い」

「はい」

「共に得た朕、は、幸福……なので、あろうな」


 何を想っておられるのか、遠い目をなさる陛下に、エルリーラはうなずいた。


「不運と幸運は、紙一重。縁の重なりあればこそ、丸く収めるのが我らの成すべきことかと、存じます」

 

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