第7話 陛下と、詩の時間。

 

「そなた、は、不思議である」

「何を、不思議に思われることがありましょう」


 またある日の昼下がり。

 今日は白のお召し物を身に纏われた陛下は、普段よりもずんぐりとしている。


 椅子にお寛ぎになられるご様子から、リーファはまるで絵に見た熊猫パンダの如き可愛らしさを感じていたのだが。


「望み、はないのか」


 まるで午睡しているかのようなご様子から、ふと糸のように細い目の奥から、瞳をこちらに向けられる。


「地位に依らず、名誉に依らず。己を、殺してはおらぬか」


 その問いかけに、リーファは心を曇らせた。

 案じてくださる気持ちは嬉しく思う反面、そのようなことで御心を煩わせるのは本意ではない。


「陛下。……本日は、詩を詠み合いとう思いますが、いかがでしょう?」

「詩、か」

「はい。……陛下に比ぶれば拙く、少々恥ずかしうございますけれど」


 リーファが答えの代わりにそう提案すると、陛下に応じていただけた。


「良き、と、思う」

「では、わたくしから」


 リーファは頭の中で詩を整えると、小さく口にする。


「月下美人ノオトナイハ、無垢ムクノ望ミヲ幸イニ、玉心ギョクシン砕ク御身オンミヲバ、イデ安ラグトコトセム。耕シ肥ヤシノケナレバ、喜ビ交ワスヲ春トセム」


 わたくしの望みは、国に尽くさんとする、陛下の安寧にございますれば。

 その御心が少しでも安らげば、それ以外に望むことなどありましょうか。


 リーファの詩に耳をお寄せになり、静かに意味を介して、陛下はうなずかれた。


初勅しょちょくに、添うか」

「陛下の詠まれた詩の内、もっともわたくしの心を打った内の一つにございますれば」

「では」


 しばしと言うにもあまりに早く、返歌を口にされる。


桃源トウゲンノ想イハ香リ立チ、鏡トナリニオウハ立芍薬シャクナゲ。国ノ牡丹ボタンニ似タルハ芳醇ホウジュン、共ニ心ヲサラハナ。望ミ歩クは百合ユリノ道。添イテ恵ムヲコタエトス」


 朕の安らぎを望む、そなたが安らぐを、朕は望もう。

 国は人。そなたもまた、朕のが心を砕く、人一人なれば。


「まぁ……」

「臣民に心を砕くは、我がつね。そなたに対して、抱く想いに、違いはあれど」


 陛下は、こちらの内心をはっきりと見抜かれていた。

 しばらくの間親しくさせていただいているとはいえ、やはりこの方は、聡くてあらせられるのだ。


「心を曇らせるに、当たらぬ」


 返歌を詠む速さと、静かな微笑みに込められた想いに、リーファは思わず口元を覆う。


「陛下……」

「このいとまも、想うも、また安らぎ。朕もまた、そなたの心曇らせる者なれば、相子あいこ

「わたくしの心が……?」


 陛下の心を煩わせる以外に、どんなことがあるのか、と訝しんだ時に。

 陛下は昼の休みを終えられて、椅子から腰を浮かされた。


「そなたと、しとねを共に、と、望むには。朕は、心を決めることが、出来ぬゆえに」


 優しい微笑みから、一転。

 陛下は、申し訳なさそうな表情を浮かべられた。


「体と共に、心を、深く、通わせて……責務に、躊躇いが、生まれるを、望まぬがゆえに」


 正妃となれぬリーファに、心が惹かれているとハッキリと口になさった。

 それゆえに抱けぬ、と。


「陛下は……お優しい方です」


 嬉しさと、哀しさを、リーファは感じた。

 しかし同時に、それは陛下もまた、同じなのであろうとも、想う。


 抱けば、正妃となる者を愛せなくなるやも知れぬ、と、この国を案じればこそ。


「そして陛下は、時に、恨めしくも思うほどに、誠実でもあらせられます」

「……」

「ですが、愛二つ抱くほどに、強壮なれともまた、思うことはございません。そうしたお人柄であればこそ、わたくしは惹かれたのでございますから」

 

 陛下はそれには応えず、黙ってその場を去った。


 ーーー陛下。そのお気持ちを、苦しむことはございません。


 口にした言葉とは裏腹に、リーファは思い、従者へと問いかける。


「ねぇ、サイラ。……私は、狡いわよね」


 陛下の心の安らぎ以外に望みはない、などと、どの口が。


「儚く在る我が身のくせに、陛下の心に残りたいと……それだけを望んでいるのに」


 そうして、今のようなことを陛下に口にさせてしまったのに。


「リーファ様が望んでおられるのは、それだけ、ですか?」

「……そう、それだけ」

「リーファ様は、何でも出来るのに、嘘だけはお下手ですね」


 言われて、リーファは面食らう。

 サイラは、何事もなかったかのように茶器の片付けをしながら、言葉を続けた。


「陛下の御心の安寧を願うも、本心でしょうに」

「それは、そうだけれど」

「リーファ様の為していることを思えば……」


 サイラは、あっさりと結論を口にする。


「月下美人の淡い願いくらい、少し迷わせた後に、かの方の心の土に根付いても、よろしゅうございますよ」

 

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