第4話 陛下と、卓上遊戯を楽しみます。

 

「どちらになさいますか?」


 陛下と向き合って椅子に座ったリーファは、微笑みと共に問いかけた。


 す、と対面に腰を下ろした陛下は大変姿勢がよいが、コロコロと丸みを帯びた体で膝の上に手を置くと、ちんまりとぬいぐるみが座っているようでとかく可愛らしい。


 そのお姿を目にするだけで、何時間でもこうして座っていられそうだ。


 陛下はこちらをご覧になり、ふと、目に柔らかな光を浮かべてお言葉を述べられる。


「そなたの、好むほうを」

「わたくしは大軍略の方が、どちらかと言えば好みでございます!」

「本当に、変わっている」


 陛下が軽く手を挙げると、従者の手により都周辺の地形を簡略化した盤面が運ばれて来た。


 大軍略は、配された地形と兵駒の他、土嚢や食糧などまで駒が用意されている。

 城攻めと守りに分かれて打つため、最初に賽子サイコロを転がしてそれを決めるのだが。


「そなたが選んで、良い」

「よろしいのですか?」

「得意を、目にしたいゆえ」


 リーファの手の内が読めないから知りたい、ということなのだろう、と陛下の心の内をそのように察し、うなずいた。


「では、受け手を」

 

 城を守る側を選ぶと、決め事に従い、間に幕を張ってお互いに最初の手の内を見せないようにした後、駒を配す。


 幕をのけると、陛下は不思議そうな顔をした。


「独特の陣容、と、思えるが」

「そうでございますか?」


 陛下の布陣は、『先槍さきやりの形』と呼ばれる攻めに適したもの。

 対するリーファの布陣は、さまざまな物が随所に配置されていて、兵の駒も固まってはおらず、城や壁前に少しずつ配している。


「始めましょう」


 お互いにコトリ、コトリ、と駒を動かしていく間に、陛下が小さくお尋ねになられた。


「そなたに、一つ。聞いても、良いか」

「なんなりと!」

「不躾であるが……いや、やはり」


 と、口にしかけたところで、陛下は言い淀まれる。


「わたくしに、隠すことなどございません。陛下、ご遠慮なさらずに……我が身はすでに、陛下のものにございますれば」


 リーファがふんわりと微笑みかけると、陛下はなぜかうろたえたように、視線を泳がせた。


「リーファ様。少々、はしたない発言かと……」


 侍女のサイラが耳打ちするのに、リーファは口元に手を当てる。


「なっ、何か問題がございましたか!?」

「いや、ない……すまぬ」


 陛下は首を横に振ってうつむかれたが、心なしかその耳元が赤いようにも思えた。

 

 何か恥ずかしい想いをさせてしまったのか、と思ったが、すぐに顔を上げた陛下はこちらが待っていることを察せられた様子で、言いづらそうに口にした。


「そなたは、子を望めぬ体であると、言うが……それを知った時、恨みを、覚えはしなかったのか?」

「どなたに対するそれでございましょう?」


 リーファは、心の底から不思議に思って、思わず問い返す無礼を働いてしまった。


 そしてすぐに、どうやら、陛下はリーファの告白に後ろめたさを抱いておられるようだと気づき、少し困りつつも素直に答える。


「特に恨みなどはございませんが……強いて言うのなら、陛下の玉体を狙った不届き者たちには、憤りがございます」

「……己が身に災いをもたらしたことに、対してか?」

「いいえ。陛下のお命を狙ったことに対して、でございます」

「仮に……本心を口にしても、そなたを逆賊とは、せぬ。訊ねしは此方、なれば」


 陛下はスッと視線を盤面に落とされ、駒を進められた。

 言う間に、こちらの布陣に尖兵が入ろうとしている。


 だがリーファへの問いかけは、まるで刃を落とした小刀を、さらに真綿に包むかのような気遣いに満ちていた。


 本当に、優しい方だ。

 

「陛下に対する恨みなど、一切ございません。まぎれもなく本心にございます!」


 リーファは尖兵を無視して別の場所に駒を進めつつ、笑顔で答える。


「あの事件があればこそ、わたくしは陛下の優しさに触れることが出来たのですから! 知らずに過ごすことに比べれば、なんと幸せな人生でありましょう!」

「……そなたは、本当に、変わっている」

「ええ、皆からもそうくさされております。ですが、それがためこうして陛下と向き合うことも叶いました!」


 尖兵がもう、城の側まで迫るところで、リーファは土嚢どのうの駒と兵の駒を合わせて、川の側に配すことに成功した。


「わたくしが陛下を想う気持ちは、陛下が民を想われる気持ちにも劣らず、と信じております!」


 すると、盤面を見て軽く目を見張られた陛下が、リーファの発言を受けてもう一段、大きく目を見開かれる。


「そなた……は」

「何か?」


 ニコニコと首を傾げるリーファに、陛下は盤面とこちらの顔を幾度も見比べられた後、今の指し手の意味をお問いになられた。


「大河の堰を切る、つもりで、駒を?」

「逆にございます。こちらの堰が長年の役目ゆえに緩み始めているのを知っておりますので、先に兵を配しました。民が水に沈むは、望ましきことではございませぬので」


 真剣な目になった陛下に、リーファは逆に気持ちが落ち着いていくのを感じた。


 指し手の意味に気づき、ご不快な想いをされた様子は見受けられなかったので。

 政に口を出す、のは、女の役目ではない。


 しかしあくまでも遊戯の盤面で、陛下がそうしたことに気づかれる分には、問題なかろうとも思う。

 

 陛下の子を成せぬ以上、少しでもお考えや生きる上での助けになれるよう務めることくらいしか、リーファには出来ないから。


「大軍略は、まつりごとの縮図とも習いました。であれば、戦ばかりでなく、民草のための盤面を築くこともまた、楽しみ方の一つではないかと、わたくしは思いまして」


 リーファの布陣は、国の営みの助けとなる、それ。

 決して戦のための布陣ではないことに、陛下はお気づきになられた様子だった。


「民がため……」


 幾度か、小さくうなずかれた陛下は、思慮深い色を浮かべた、その瞳の中にリーファ自身の姿を捉えられ。

 不意に、核心をついた質問を口になさった。


「不思議には、思っていたのだが」

「はい」

「子を為せぬそなたが、なぜ、後宮入りを許された、のか。……聴かせては、もらえぬか?」

 

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