第2話 陛下の心を、貴女はご存知ですか?


 翌日。


 まだウキウキとした気分が冷めないリーファが身支度を終えて庭に出ると、待ち構えていたように姿を見せた者たちがいた。


 他の後宮入りした女性たちが、道の向こうから静々とした、しかしいているような足取りで近づいてくる。


「……リーファ様」

「……見れば分かるわよ」


 日傘を差してくれているサイラの耳打ちに小声を返すと、ふん、とリーファは鼻を鳴らして表情を作る。

 お高く止まった微笑みなど手慣れたものだし。


 彼女らの来訪など、あらかじめそれを予測していた。


 特に緊張もせずに彼女たちを迎えつつ顔を見て取ると、現れたのは後宮に集められた者たちの内、最も高貴な者たちの子女である。


 中でも、最も格が高いのは中央にいる金糸の髪を持つ女性だ。

 白い肌に緑の瞳、厚く体を包む豪奢な衣装の上からでも腰の高い優れた肢体を持っているのが分かる。


 正妃候補として最有力視されている、同盟関係にある西国の姫エルリーラ・アルトリアだ。


 明るさと気高さを感じさせる、華のある顔立ちだが、瞳の奥にどこか険しい色があるのを隠し切れていない。


 彼女以外の取り巻きは、格で言えばリーファと同じ程度。

 徒党を組んでこちらと対峙する彼女らに、先に微笑みかけて見せる。


「ご機嫌麗しう、お姉さま方。何かご用ですか?」


 目的など分かり切っている。

 大体全員が自分よりも年上であることに対し、皮肉を交えて口に出すと、取り巻きたちが鼻白んだ。


 しかし、エルリーラには通じなかった。

 彼女は、ご機嫌麗しう、と少し拙い調子で口にする。


 こちらの国の言葉は通じるだろうが、慣れていないのだろう。

 知性には特に関係のない事柄だが、リーファは美しい彼女のそうした様子に少し愛らしさを感じて笑みを深めた。


「何か、おかしなことでも?」

「いいえ。特におかしなことはなかったように思えますけれど、お心当たりが?」


 笑みを崩さないながらも、放つ気配の険しさを深めたエルリーラは、もしかしたら自分の訛りを気にしているのかもしれない。


 愛嬌と思えばいいのに、と思いはするが、口には出さない。


 ジッと正面から目を見つめていると、彼女は目を逸らすこともなく、本題に入った。


「アナタはどうやって、陛下のご興味を引かれたのです?」

「何も特別なことはしておりませんよ」

「そのような言葉が、信じられるとお思いですか?」


 取り巻きたちも首を縦に振る。

 『抜け駆けは許さない、何か裏があるのでしょう』と感じていることが、ありありと分かった。


 つまり、彼女たちは何も分かっていない。


 自明のことではあったが、それでもリーファは少しガッカリして、同時に、本当におかしくなった。

 笑みを抑え切れず、口元に手を当ててクスクスと小さく音を漏らしてしまう。


「先ほどから、無礼な方ですね」

「無礼? 礼を知らぬのは、どちらでございましょう?」


 チラリと言葉と視線に刃を込めて、リーファは真紅の瞳を持つ目を細めた。


 それに気づいたのは、エルリーラだけのようだ。

 軽く息を飲んだ彼女と違い、取り巻きたちは、まぁ、とリーファの言葉遣いに驚いたような仕草を見せるのみ。


 察しの悪い。

 彼女らは相手をするに値しない、と感じて、リーファはエルリーラだけに狙いを定めた。


「私が陛下の興味を引いたわけではありません。正しくは、貴女が陛下の興味を引けなかったのです」

「……それは、同じ意味では?」

「全然違う話ですわ。陛下が私に興味を向けられたのは、先に私が、陛下に興味を抱いたからにございます」


 リーファは口元から手を下ろすと、腹の前で両手を組んだ。

 自分よりも高い位置にあるエルリーラを、気持ちの強さで見下すように背筋を伸ばす。


「陛下がアナタに興味をお持ちになられないのは、貴女がたが陛下に興味を持たないことが理由ということすらお分かりになっておられないご様子ですので」

「興味は持っています。でなければ、この場に赴くはずがないでしょう」

「果たしてそうでしょうか? そうして、ここで待っているだけの貴女は、では陛下の興味を引くいかなる努力をされたのです?」


 問うてやると、エルリーラは言葉に詰まったのか口元を引き結んだ。


「私は陛下に文を出しました。毎日、彼の方が好みそうなことを調べ、御心に触れるような事柄を。……陛下ご自身に、それをせよと、示していただいておりましたから」


 ざわり、と取り巻きたちが顔を見合わせる。

 しかしリーファは、彼女らには目もくれなかった。


 まっすぐにこちらを見たまま耳を傾けているエルリーラにだけ、語るように、言葉を重ねる。


「私だけではありません。後宮に入る女の全てに、陛下はとっくに、何を為すべきかを示して下さっています。奥ゆかしい方ですから、聡い者や、真に陛下に興味を抱いている者にしか気づけはしない方法で」


 今度は取り巻きたちが、しん、と静まる。

 リーファが待っていると、エルリーラが口を開く。


「……陛下は、女たちに後宮入りを強要されたことはない、と、祖国を出る前に聞いておりました」

「左様でございますね」

「なれば我らがこの場に在るのは、自らの意思。陛下の寵愛を賜るために他なりません。……明確な意思表示です。それでは足りなかった、と?」

「足りませんね」

「なぜ? 陛下は、我々を試しておられるのですか?」

「そのようなことはなさいません。陛下は、むしろ後宮の者たちのことを思えばこそ、奥ゆかしいのです」


 リーファは目だけ笑んだまま、先ほどとは逆に笑みを消した。

 そこでようやく、取り巻きたちもこちらの怒りに気づいたようだ。


「貴女がたがご興味を持っておられるのは、陛下の地位や権力と、生まれる子に継承されるそれらであること。その事実に、あの聡明な陛下が気づいておられないとでも、思っているのですか?」

「……!」

「そのように浅ましい心根ゆえに貴女がたに興味を示されないのですよ。ーーー陛下の外見に惑わされ、見下し、本心ではいとうていらっしゃるから」


 陛下に対して、なんと不敬な! と取り巻きが騒ぎ始めるが、リーファはバッサリと切り捨てる。


「陛下はご自身で、ご自身をよく分かっておいでです。そして私は、陛下の外見に対する見下げた気持ちなど微塵もございません」


 むしろ、先日目にした陛下はふくよかで、確かに不恰好と言われれば、そうかもしれなかった。


 でもリーファにとっては、子どもが抱く包み人形のようで可愛らしくさえあった。

 恋がもたらす盲目であろうと、そうした気持ちを抱くことそのものが陛下の望んだ形であったからこそ、リーファの元へ来て下さったのだ。



「ーーー容姿の美醜など、陛下の内面に秘める魅力の前では些細なことでございますから」



 そう言い切ると、リーファはゆったりと両手を広げて一歩、足を前に踏み出す。


 軽く身を引く取り巻きたちと、ジッと動かないエルリーラ。

 彼女に、リーファは淡々と圧を強めて声を低くする。

 

「貴女がたの内心の侮蔑と、私のただの言葉。一体、本当に不敬なのはどちらでございましょう?」

「アナタは……一体、何なのです?」


 軽く青ざめながらも、エルリーラが問うてくる。


「一体、陛下の何を知っているというのですか?」

「私は、陛下を慕う者にございます。そして何を知っているかと問われれば、貴女でも知りうることしか存じ上げません。……貴女は、陛下の詠む詩の美しさを存じ上げないのですか?」


 リーファは、散々に読み返した皇帝陛下の言葉を諳んじた。


「月下美人ノ咲クガ如ク、垂レルコウベヲ愛デントス。イシズエラント筆ニ込ム、トコシエナラヌ我ガ身ヲバ。声ナキ声ヲ声トセヨ。添イテ恵ムヲ初勅トス」


 初勅しょちょく

 それは、民の上に立つ者として、皇帝即位の際に述べる言葉のことだ。


 誠心誠意に国を栄えさせ、民に恵みを与える、と。


戴冠たいかんの折、陛下の下された言葉の内には、含意がもう一つございます」

「含意?」

「ええ。自らが民に向ける想いに重ねて、陛下は詠っておられます。我らに」


 リーファは自分の胸に手を当てて、昨夜の彼を思い返した。

 落ち着いていて、遠慮がちで、探るように……しかし決して拒絶することなく、次第に心を許してくれた皇帝陛下のお姿を。


「それは、次の礎となる者を産み育てる『後宮の我ら』に向けた言葉でもございました」


 月下美人の咲くが如き民の内に、そなたらも在るのだと。

 礎たらんとする気概を持つ者は、筆を走らせよと。


 このような我が身であっても添い遂げんと誓う者は、声なき声ではなく、声を上げよと。

 

「さすれば、生涯をかけて声を上げた者を、子を育む者を愛そう、と」


 リーファの解釈に、取り巻きたちももはや言葉を失っているようだった。


「ここまで言われても、お気づきになれませんか? そこまで、貴女は愚かですか? ……その程度の読み解きをする気すらないほど、陛下ご自身に興味を持たれなかったご自身をこそ、貴女は恥じ入るべきでは?」


 流れるようにそう口にすると……意外なことに、エルリーラは顔を伏せた。

 てっきり食ってかかってくるかと思っていたので、少し拍子抜けする。


「……ワタクシは、詩に造詣が深くありません。アナタは、自らだけは知っていると、それを誇るのですか」


 言われて。

 リーファは思ったよりもこの女性が、劣等感の強い人だと気づいた。


 先ほどの訛りの時もそうだが、この国の文化を知らないことが、そうさせるのかも知れない。


 そして同時に、リーファは自分の不明を少しだけ恥じた。

 数年という歳月があったのに、理解する努力をしなかったことが、異国から来たからと帳消しになるわけではないが、少しだけ柔らかく伝える。


「異国より参られた貴女には、そうかも知れませんね。ですが、貴女は今お知りになった。知った上で、どうなさいますか?」

「……」

「無知は恥ではありません。しかし、知ろうとせぬことは恥と心得ませ。……詩の読み解きも、陛下の御心も、それは同じことにございます」


 他に何かご用は? と尋ねると、誰も何も言わなかったので、リーファは恭しく頭を下げる。


「では、少し用事がございますので、私はこれで失礼いたします」


 リーファは後宮の女たちにそう言い置いて、その場を後にした。


 すると、サイラが部屋に戻った後に困ったような顔で苦言を呈してくる。


「幾ら何でも、言い過ぎですよ」

「あれくらい言わなきゃ分からないでしょう。……これで誰か、本気になってくれるといいんだけど」


※※※


 その後。


 昼食を終えてしばらくすると、コンコン、と部屋のドアが叩かれ、エルリーラが訪ねて来る。

 取り巻きはおらず、どことなく神妙そうな様子だった。


「何かご用でしょうか?」

「アナタに折りいって、お願いがございます」

「何なりと」


 そう答えると、エルリーラは意外そうに顔を上げた。


 訪ねてきておいてその顔はどうなのか、と思いつつもリーファが待っていると、彼女は軽く指先を揃えて少し恥ずかしそうに、上目遣いで子どものように、恐る恐る『お願い』を口にする。



「ワタクシに、詩を教えていただけませんか?」



 会話にほとんど支障はなく、言葉の書き方は習っているものの、自国の言葉ほど上手くは書けないらしい。

 そんな彼女に、リーファは首をかしげる。


「教師に習うほうがよろしいのでは?」

「ワタクシは、アナタに倣いたいのです。……陛下の御心をよく知る貴女の心根と共に、教授を願いたいのです」


 あれだけ言われたのに、エルリーラは怒るでもなく自省し、頭を下げつつもはっきりと自分の気持ちを口にした。


 彼女は芯が強く、しなやかで、もしかしたら物事が見えている人物なのかも知れなかった。

 リーファは、自分の最初の印象が間違っていなさそうだったことが、少し嬉しく感じる。


「ダメ、でしょうか?」


 そんなエルリーラに、リーファは晴れやかに笑みを浮かべる。

 彼女が、陛下を支える誰かに最もふさわしい誰かになってくれるかもしれない。


 陛下の心根を、形だけでなく知りたいと思ってくれる女性ならば。


「ーーーそういうことでしたら、喜んで」

 

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