余計なものを挟まないで下さい

波津井りく

「この百合はワシが育てた」と言いたいだけの人生でした。

「よーし全員くじ引いたな? じゃあ移動開始、十分で済ませるようにー」


 黒板にチョークでランダムに割り振られた番号を見ながら、各々荷物を鞄に詰め込み立ち上がる。よくある席替えの光景だ。

 友達の近くだといいなとか、あいつの隣は遠慮したいとか。

 学生生活にそんなちょっとした悲喜交々なスパイスを振りかける行事、席替え。


「神は死んだ……!」


 僕は今、我が身に降りかかった事態に血の気が引いているところだ……

 くじに書かれた七の数字に少しだけ縁起がいいと喜んだのも束の間。

 その数字が割り振られた席の隣に、早々と腰を下ろした女子が熊谷さんだと気付いてしまった。


 それだけでも畏れ多いが、更に周辺の並びに目を向けてしまったが最後。

 目の前が真っ暗になるとはこういうことかと痛感する程に、割り当てられた席順に深く絶望した。


「クマちゃん……席、近くだね……」


「だねー。やったね、うかちゃん」


 僕の席を挟んだ隣列には熊谷さんの親友、鵜飼さんが。仲睦まじい二人の姿は大変和やか。握りしめた七番の紙片をぐしゃりと握り、僕は未だ立ち尽くしたまま。


 ……なんでよりによってこの配置なんだろうか。神様は僕に死ねと仰る?


 この胸に渦巻く感情をあえて言葉にするならば、居た堪れなさだろうか。

 いやそれは流石に綺麗過ぎるような。正直に言えば信仰心を試されている心地だよね。

 踏み絵ってこういう感じかなと過るくらいには、自分を自分たらしめるものとの葛藤が凄い。 


 誤解のないように表明しなければいけないが、熊谷さんも鵜飼さんも決して嫌な人ではなくて。

 雰囲気が可愛い人だよね、と微笑ましく口の端に上るタイプの、普通の女子だ。

 ギラギラしくもけばけばしくもない、制汗剤とリップクリームの匂いがする普通の女子生徒。


 ──けど、僕はあの席にはいたくないですすみません。誰か代わって最前列でも構わないから!


「……クマちゃん、隣の子、誰だろね?」


「うーん? まだ来ないね? 誰だろ」


 え? 仲悪い同士に挟まれてギスギスしているところに比べれば天国みたいな状況だろうって?

 そう言われたらその通りだと納得するし、否定の余地はないよね。微塵もない。

 これは僕の信仰心の問題であり、関わることなく二人を遠くから眺めていたい心理に基く、切なる願いなので。


 そろりと周囲を窺い、席順に不満そうな顔をしている人を探す。

 あわよくばくじを交換して欲しい。けれど願い虚しく皆とっくに腰を落ち着けていて、新しい隣人に順応している様子。


「で、出遅れた……っ」


「どうした鹿妻、早く座れー。ホームルーム終わるだろー」


 担任に急かされ、熊谷さんと鵜飼さんも隣人が僕、鹿妻だと理解したらしかった。

 二人は嫌な顔をするでもなく、どうして突っ立ったままなんだろうと不思議そうに僕を見ている。


 そのあまりにも尊いきょとん顔に、やはり僕は己の信仰に殉ずると決めた。

 僕は手を上げ担任にこう言い訳してみた。


「先生、黒板が見えないので、前の人と代わって貰っていいですか!」


「いや、無理じゃないか? 前列お前より目悪い子しかいないしな」


「……デスヨネ」


「もし不自由ならあれだ、鹿妻も眼鏡デビューするようにな」


「アッ……ハイ……」


 裸眼の僕が元より眼鏡の子を押し退けるのは、流石に道理に悖る行いだった。

 すごすごと重たい足取りで着席する僕を見上げ、熊谷さんはのほほんとした声で挨拶してくれた。


「隣、鹿妻くんだったんだね。よろしくね。もしあれならノート見せてあげるから、言ってね」


 ──優しっ……尊い……!


「もし……黒板の字、見えなかったら、読んであげる……からね」


「アリガトゴザイマス!」


 もう無理駄目無理尊くて死んでしまう無理! はい無理死んだー! 鹿妻のライフ百キュン死に確定ー!


 という本音は墓の下まで持って行くけれども、心臓が張り裂ける前に捩じり切れてしまいそうなんですが。死因:尊死なのですが。

 二人の温かなご厚意に触れ浄化されつつも、高性能に歪んだフィルターが益々全力稼働してしまう。それだけに席順が悔やまれてならない。


 ──あああああ! この尊い百合カップル是非遠く後ろの席から眺めていたかったなああああ!


「そうだ、あのね鹿妻くん。授業の時、うかちゃんに手紙回したい時……こっそり手伝ってくれる?」


「はい喜んで!」


「ありがとー」


 お許し下さい百合の神よ、僕は長年『百合の間に挟まる男は死ね!』と篤く信仰して来ました。

 しかしこの教義を今からしばし、そっと心のお道具箱にしまいます。

 僕は信仰を捨てたのではなく、これより二人の橋渡しを仰せつかったのです。

 断じて百合の間に挟まる男になるのではありません。我が信仰心に誓って。


 懺悔の祈りを捧げた後、開き直った僕はイチオシのメインカプを堪能しようと両隣に神経を集中した。

 不純極まりないが指一本触れる気のない純然たる推しの気持ちで二人の間に挟まる僕が──


 まさか半年後に告白されるとは夢にも思わなかった始まりの日でした。

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